彼女の設定
とっくに食事は終わり、私はなんとか、彼女の素性を聞き出そうとしていた。
「帰国子女ってやつ? アメリカ、いや、ヨーロッパかな?」
「そうですね……日本語的に言えば、当たらずしも遠からずというところでしょうか?」
「今はどこに住んでんの? 都内?」
「都内と言えば都内ですが、住んでいるという定義に当てはまるかは疑問です」
そんな会話を何度か繰り返した後で、彼女は真面目な表情で言った。
「そんなに知りたいなら、教えてもいいですよ。絶対に信じませんから」
そして彼女はグラスの底に残っていた、溶けた氷ですっかり薄くなったアイスティーをプラスチックストローで啜った。
「信じるよ。どんな話でも」
自分がドラマの登場人物になったような気分で、私は彼女の目を見つめた。
「信じなくても責めませんよ。当然のことですから」
彼女は一瞬グラスに目を落としてつぶやき、私が問い返す前に顔を上げた。
「私は日本人でも地球人でもありません。銀河政府の目的に基づいて生成された人工生命体です。それがわかりにくければ、宇宙人だと思っていただいても差し支えありません」
私の記憶は、ここでまた途切れている。けれどおそらくはなにか問い返したのだと思う。信じるとか信じないとか以前に、こんな話をされたら普通は耳を疑う。
何度かのやりとりの後、私は結局のところ、彼女を信じなかった。それは彼女の言うとおり、責められることではなかったはずだ。けれど私はその話に乗ってみることにした。悪意のある嘘ではないと明白だったし、受験生の灰色の夏を青く彩る、素敵な遊びだと思ったからだ。
「……でも、そういうのって地球人に教えちゃいけない禁則事項じゃないの?」
「言っても信じませんので。無害と判断しました」
「オレは信じたけど?」
「あなたが信じても、誰かに言いますか? 受験ノイローゼと言われるのがオチです」
「それはまあ、そうだろうね」
「結局、証拠を見せなければ特に問題はないということです」
彼女が言うには、彼女が現代日本で生成されたのは、わずか二週間前のことになる。オルドビス紀に地球に着陸した無人探査船は、基本的な調査が完了した後で活動レベルを下げ、カンブリア大爆発で急速に多様化した原始生命体が知的生物に進化するのを待った。そして時は流れ四億五〇〇〇万年後、どうやら日本語で人類と呼ばれる動物の一種が、原始的な知性らしきものを持つに至ったと認めた。
無人機による調査で人類についてのレポートをまとめた後、探査船のAIは、そのDNA構造を再現し、人類のコピーを生成した。人類と接触し、無人機による観察だけでは得られない情報をレポートするためだ。
「ちょっと待って。四億年て」
「宇宙規模でみればさほど長い時間ではありません。あなたたちの太陽ができたのだって四七億年前ですから」
「その探査船は四億年も劣化しなかったわけ?」
「ソーラーパネル表面も含め、ナノテクノロジーによる自己修復素材でできています。探査船の基本です」
「DNA構造はどうやって調べたの?」
「ヒトゲノム情報はネット上に保存されています。IPを偽装して3G回線からネットにアクセスすれば簡単でした」
私の思いつくままの質問に、彼女は淀みなく答えた。どうやら彼女は、なかなかのSFマニアらしい。そうでもなければ、このような「設定」をすらすらと答えられるわけがない。私はそこまでのマニアではなかったが、理系男子として多少はSFも齧っていたし、SFマニアの女の子というのは、新鮮で好ましいことに思えた。
しかし今にしてみれば、これはできすぎた話にも思える。いくら理系とはいえ、そんな女子高生、あるいは浪人生がいるだろうか? 仮にいたとして、このように都合よく私の前に現れることがあるだろうか?
それを考えると、彼女の言ったとおり銀河政府が地球上で生成した人工生命体という話の方が、確率的にはまだありえるのではないだろうか。ドレイクの方程式に基づく計算では、地球外文明は確実に存在するはずなのだから。
いずれにせよ、私は彼女の話を信じたわけではないものの、その嘘を暴こうとは思わなかった。私程度の知識では本当のSFマニアをやり込めることはできないだろうし、むしろ万一彼女がボロを出してしまっては、せっかくの楽しい遊びが台無しになってしまう。私は下手な質問をするのはやめ、できるだけ彼女の話に乗ろうと考えた。けれど、それが悪手だった。
何を言おうにも、設定があやふやであれば答えられない質問になってしまう。私は上手く会話を続けることができなくなってしまった。
「オレも宇宙に行ってみたいな。ええと、キミは……人類についてレポートするのが任務なんだよね? それが終わったら……というか、いつまでやるんだっけ?」
「任務は今週いっぱいです。基本的なレポートは済んでいて、有機体によるコンタクトは形式的なものです。それが終われば、私は銀河政府に回収されます。もともとこの星の人間ではありませんから」
もしかしたら私は、彼女の知識を信じて思いつくままの質問を続けるべきだったのかもしれない。けれど会話は途切れがちになり、ぎこちないものとなってしまった。
「そうなんだ。いろいろ大変だね……」
回収されてどうなるのかは聞けなかった。
「ところでここ、冷房効き過ぎじゃない?」
食事を終えてからずいぶん時間も経っていた。あまり長居しても、店にも迷惑かもしれない。
「そろそろ帰って勉強しないと」
要領を得ない会話をしばらく続けた後、私は切り出した。まあ、彼女とは明日また会える。連絡先はその時に聞こう。
「そうですね。また明日」
彼女は「軽い微笑み」で言った。
「キミは帰らないの?」
「もう少ししたら帰りますよ」
どこに帰るのかはわからなかった。
店を出ると、蝉時雨と昼下がりの熱気が私を包んだ。
真っ赤な百日紅の花が咲いていた。
ビルの谷間には積乱雲が見えた。
夏は終わりに近づいているのに、始まったばかりのような気がした。
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