第57話 荘康と園剋の最後の対決



 黒輝は青陵国一の名馬だという荘興の危惧は外れていなかった。


 慶央から泗水に通じる街道で待ち伏せしていたものの、園剋を乗せた黒輝は荘興たちの横をするりと抜けて走り去った。それぞれの手下たちがぶつかり斬り合うさまを横目で見ながら、荘興は園剋を追う。だが、荘興の馬も足の速い馬ではあったが、細い山道に入ると、二頭の馬の距離は少しずつ開いていく。


――無念、逃したか……――


 諦めかけた時、前方で馬の激しく嘶く声がした。馬の腹に蹴りを入れてここを最後と速めると、園剋を乗せて後ろ足だけで立っている黒輝の姿があった。その先に鋭い牙を剥いたあの銀狼がいる。荘興は馬から飛び降りた。


 突然の銀狼の出現に驚き棒立ちとなった黒輝は身を震わせて前足で宙を何度も掻いた。


 その勢いに手綱を手離して黒輝の首筋にしがみついた園剋だが、やがてその手はずるずると滑って、彼は馬上から放り出された。大きな音を立てて落馬したその体は地面を転がる。そしてごろごろと転がること三度目で、不思議なことに、手足を無様なかっこうに曲げたまま彼の体が固まった。


 時が止まったのだ。

 荘興は駆け寄ると銀狼と転がっている園剋の間に立った。


「おかげで、園剋を捕らえることができた。これであの夜の約束は果たしてもらったな。あらためて礼を言う」


 荘興の言葉に剥きだしていた牙を引っ込めて、今度は、かすかに笑いながら銀狼は言う。


「いや、違うな。この男のことは、おまけのようなものだ。おまえはまだ知らないだろうが、わたしはもっと大きな恩恵をおまえに与えた。いま、弟の皇太子が慶央の街に雨を降らしている。紅天楼は灰となるが、慶央の街が火の海になることはない。おまえが大切に思っている者たちも、皆、焼け死ぬことなく無事だ」


「慶央の街が火の海? 園剋はそこまで企んでいたのか」


 そう言いながら振り返った荘興は転がった男を蹴とばす。止まった時の中にいる男は痛みなど感じないだろうが。

 銀狼は言葉を続けた。


「では、心置くことなく、白麗と英卓を安陽に行かせよ。二人は安陽で新しい者たちと出会う。白麗の下界での失せもの探しには、その者たちの助けが必要だ」


 再び銀狼と向かい合った荘興は答えた。


「白麗さまと英卓が安陽で誰と出会うのか、そして白麗さまの探しものとは何であるのか。やはり、おれには教える気はないのだな」


「そうだ。もう、おまえには関係のないところでことは進んでいく。知ってもしようがないことだ。では、これで本当の別れだ。この後、おまえと会うことはない」


 ふさふさとした銀色の毛の尻尾をあげると、銀狼はゆっくりと体をひねった。どうやら繁みにその姿を隠してから、時の流れを戻すつもりのようだ。

 荘興はその後ろ姿に声をかけた。


「すまない。最後にもう一つ、頼みを聞いてくれ。この男を縄で縛るまで、時を止めていて欲しい。見てのとおり、三十年の月日が過ぎれば、おれももう五十の坂を下るしかない老体だ」


 彼のせいいっぱいの皮肉は神に通じたのだろうか。銀狼は振り返ることなく返事のかわりにその立派な尻尾を揺らした。




 毒蛇と恐れられた園剋の最期は哀れなものだった。いや、人の心を持たぬ彼のことであるから、彼自身は自分を哀れなどとは露とも思っていなかったに違いない。


 園剋の手下たちを始末した者たちが来る前に、荘興は一人ですべてを片づけるつもりでいた。だが、縄で縛られて引き据えられてもなお、園剋は荘興に向かってその口から毒を吐き続けた。


「おれの醜態は、あの忌々しい白い髪のおなごのせいだ。あのおなごの吹く妖しげな笛の音は、人どころか馬や狼まで操る。あのおなごは、おれの企みをことごとく打ち破り邪魔をした……。しかし荘興よ。いや、失礼した。義兄上と呼ばねばならんな。義兄上よ、よい話を聞かせてやろう。あのおなごはいまはもう一握りの灰だ」


 鞘から抜き払った剣を持ち横に立つ荘興を見上げながら、彼は喚き続ける。


「あのおなごだけではない。康記も慶央の街もいまごろは灰になっている。おれは紅天楼に康記とあのおなごを閉じ込めて、火を放った」


「園剋、いつまでそこらの女たちのようにくだらぬ噂話に興じるつもりだ。見苦しいぞ。そろそろその口を閉じたらどうだ?」


 自分の言葉に驚き慌てるはずと思ったが、荘興は顔色も変えない。


――なぜだ、なぜ驚かないのだ? おれの企みはお見通しだったとでもいいたいのか。そういえば、追ってくるのも素早かった……。まさか、あのおなごも康記も慶央の街も無事だと信じるに足りる根拠があるのか? いや、この男を地獄に突き落とす最後の切り札が、まだおれにはある――


 荘興が剣を振り上げる。

 園剋はますます声を張り上げる。


「だがな、おれが康記を殺したことを、おまえはそのうちにありがたく思うだろう。あれが生きておれば、いつかはおまえの厄災の種になる。最後に教えてやろう。薄々は気づいておると思うが、 康記の実の父親は……」


 だが、園剋はそのあとの言葉を最後まで言うことが出来なかった。荘興が狙いを定めて振り下ろした剣は、彼の蛇の頭をその胴から斬り離した。


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