白麗と荘英卓、安陽に旅立つ

第58話 争乱の後始末、そして英卓の決意



 毒蛇・園剋の悪だくみで火を放たれた紅天楼が真夏の空の下で炎上した。しかし、素早く駆けつけた荘英卓とその手下たちの働きと、突然に振り出した雨で、慶央の街にまで延焼することなく火は消えた。そして、荘興は銀狼の助けを得て園剋を討ち取ることが出来た。



 火事と争乱騒ぎも収まり十日が過ぎた日の朝。


 荘本家の表座敷とそれに面した中庭には、かしこまった面持ちの猛者たちが肩を寄せてひしめきあって居並んでいる。彼らの口は緊張に固く引き結ばれており、咳払いの一つとして漏らすものはいない。


 荘本家宗主である荘興は、そのような皆の顔が見渡せる座敷の真ん中で仁王立ちとなっていた。もともと上背のある荘興だが、今朝の決意溢れる彼の姿は、誰の目にも一段と大きく見える。


 慶央の今年の夏は少雨ということもあって、うだるように暑かった。しかし、紅天楼が炎上した日に、突然、空に黒雲が湧き大雨が降った。その日より、吹きわたる風にかすかな秋の気配がある。


 中庭に敷いた蓆の上で胡坐をかく者、立った荘興の後ろに控えて居並ぶ者。皆の顔は噴き出た汗で照り輝いていたが、その表情はいちおうに皆、頭上の高い青空のように晴れやかだ。


「皆の尽力で、宿敵・園剋を打ち果たした!」


「おうっ!」

 荘興の力強い宣言に、居並ぶ者たちの間から、荘本家裏山の木の葉も震えたかと思われるほどの雄叫びがあがった。


「皆の者、安堵せよ。このたびの炎上騒ぎと争乱に、県令さまからのお咎めはないと決まった。すべての災厄は大悪人の園剋の仕業であり、荘本家はそれに巻き込まれたにすぎぬとのおはからいだ」


「おうっ!」

 続く言葉に、先ほどよりも大きな二度目の雄叫びが沸き上がる。


 荘興は立ったまま、皆の興奮した叫びが収まるのを待った。やがて、風にそよぐ裏山の木の葉も鎮まった時をみはからって、再び、口を開く。


「園剋を打ち果たしたいま、皆の者に知らせたいことがある。本日より、荘本家はよりいっそうの飛躍を遂げることになった。荘本家の安陽進出が長年の悲願であることは、ここに居る者たち皆、すでに承知のことと思う。荘家の誰が安陽に行くのか、それはいつの日となるのか。皆の者も、気になっていたことだろう」


 静かだった者たちの間からざわめきが起こる。もう一度、荘興は静まるのを待たねばならなかった。


「今回の働きを鑑みて、都・安陽行きは英卓に任せることとした。安陽においては、荘新家とでも、なんなりと好きなように名づけるがよい。雪が積もれば、安陽へと続く道の山越えが厳しくなる。英卓、このなかより精鋭三十人を選んで、冬になる前に慶央を立て」


 今まで無言をつらぬいていた関景が、その歳のわりにはよく通る声で言った。


「でかしたぞ、英卓! 天子さまの住まわれる安陽は広く、慶央とは違った活気に満ちている。荘新家を立ち上げる場所として、これ以上にふさわしい場所はない」


 感極まった彼の声に涙が混じる。若い頃に科挙の試験によい成績で合格した関景は、慶央に来る前は安陽の宮廷役人だった。


「そしてだな、英卓、わしもおまえと共に安陽に戻る。老いぼれではあるが、きっと、おまえの役にたてるだろう」


 皆からの期待を肌身に感じて興奮に顔を紅潮させていた英卓だったが、関景の言葉に驚いて思わず言い返した。


「関叔父貴、この英卓、その言葉を何よりも嬉しく思います。しかし爺さまは、この慶央で父上の補佐を続けて欲しい。当然ながら、父上もそれをお望みでございましょう」


「何を言うか、英卓。確かに見かけは老いぼれだが、気力ではまだ若いものには負けぬ。心配するな、おまえのお荷物などにはならぬわ」

 間髪入れずに答えた関景の語気は荒いが、その顔は上機嫌に笑っていた。

「この最近、興と共に荘本家を立ち上げた三十年前をやたらと思い出すのだよ。あの頃の血沸き肉躍る興奮をな。なあ、興、あの頃は……」


 長く続きそうな関景の昔話を押しとどめて、荘興が言った。


「関伯父貴の固い決意はおれにも変えることは出来ぬ。英卓よ、関伯父貴は知恵者だ。必ずやことあるごとに、おまえを助けてくれるに違いない。彼の申し出を、ありがたく受ければよい」


 その言葉に大きく頷くと、英卓は立ち上がった。荘興に向かって片手だけの拱手をして深々と頭を下げた。そして、荘興の横に座っている関景にも同じように礼を尽くすと、頭をめぐらせ居並ぶもの達をゆっくりと見回した。


「いま、安陽に新設する荘新家を取り纏める任を、父上よりまかされた。この身に鞭打っても、必ずや安陽の地で、父上と皆の期待に応えると約束する。まずはこの中から三十人のものを選ぶ。選ばれたものは覚悟して、この英卓にその命を預けよ!」


 旅立ちを決心した息子の言葉を父が引き継いだ。


「皆の熱い想いを、この荘興、心よりありがたく思う。選ばれた三十人は、安陽にて、必ずや期待を裏切らぬ活躍を見せてくれることだろう」


「おうっ!」

 居並ぶ者たちから三度目の歓声があがった。だが、今度の荘興は険しい顔つきでそれを押しとどめた。


「しかし、残念ながら、本日の集まりはこれで終わりではない。荘本家宗主として、片づけねばならぬことがある。あの荘家の恥さらしな男を、ここに引き出せ!」


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