第41話 荘英卓の決意



「堂鉄と徐平、おまえたちに初仕事を申しつける」


 寝台に横たわったままの英卓の言葉に、魁堂鉄と黄徐平の二人はあらたまって拱手して応える。


「英卓さま、なんなりと!」

「父上に挨拶がしたい。体を起こしてくれ」


 目覚めたばかりの病人にそのようなことが可能なのだろうかと、一瞬、堂鉄は永医師を見やったが、「大丈夫だ。英卓の望むようにしてやれ」と永は笑顔を見せて頷く。


 二人の手によって寝台の上に足を投げ出す格好で体を起こした英卓だったが、彼はしばらく考え込んだ。

「片手では、拱手も揖礼も出来ないな……」

 そうつぶやきしばらく考え込んで、右手の拳を左胸の心の臓の上に当てゆっくりと頭を下げる。


「父上、寝台の上でご挨拶するご無礼をお許しください。五年間の親不孝を重ねて、いま、おれは慶央に戻ってまいりました。もしお許し願えるのであれば、父上と荘本家のために、これからは力の限りに尽くしたいと思います」


 おもいがけないの息子の申し出に、興は感極まった。彼の記憶にある英卓はいつも暗い目をした口数の少ない少年だったからだ。


「おまえのその気持ち、父親としてまた荘本家の宗主として、しかと受けとらせてもらった。嬉しく思うぞ。だが、いまは、そのようなことを心配しなくともよい。但州の言いつけをよく聞いて十分に養生し、もとの元気な体に戻ることだけを考えるのだ。いずれ、兄の健敬と弟の康記にも会わせよう。二人とも、おまえの元気な姿を見て喜ぶことだろう」


「身にあまるお言葉、ありがたく思います」


 そして英卓はその不自由な体を関景に向けると、もう一度右手の拳を胸にそえて言葉を続けた。


「関爺さま、五年もの長い留守をお詫びいたします。いま、父上に申し上げたとおり、この英卓、荘本家のために身を粉にして働く所存なれば、どうかお導きください」


「英卓、よくぞ言った。若いころの興を思い出す。おまえの出奔も放浪も無駄ではなかったということだな。だからわしは常々言っていたではないか。荘家の三人の男の子どもたちの中で、英卓の気質が一番、興に似ておると……」


 彼はそこまで言うと言葉に詰まり、派手に鼻水をすすりあげた。


「関爺さま、このくらいのことで泣かないでくれ」

「毎日毎日、徐平が女のようにめそめそと泣くのでな。わしにもうつったに違いない」


 再び、英卓は荘興に向きなおる。

「父上、昨日、おれが気を失う前に、髪が白い美しい女を見たような気がするのですが。あれは夢だったのでしょうか?」


「いや、夢ではない。あのお人の名前は白麗さまという。この屋敷の大切なお客人だ。こうしておまえの命があるのも、白麗さまの看病があってこそ。しかしいまは看病疲れのために臥せっておられる。そのうちにおりをみて引き合わせよう」





※ ※ ※


 荘興の執務室で、荘康と関景と永医師の三人は、家宰である允陶の淹れる茶を味わっていた。


「英卓が眠っていたこの十日で、六鹿山で英卓を襲った残党をすべて始末した。そして、荘本家に潜んでいた毒蛇・園剋の息がかかった者たちも、また始末した。始末できなかった者たちも、我先にと慶央を逃げ出した。再び、戻ってくることはない」


 荘康の言葉に永但州が答える。

「さすがの園剋も、手足をもがれて、しばらくはおとなしくなるのか?」


「いやいや、蛇にはもとから手足などない」

 本気とも冗談ともつかぬ口調で、関景も答えた。三人の話の内容は重い。しかしながら、英卓が回復したことにより彼らの気持ちは軽い。関は言葉を続ける。


「英卓が無事に戻って来たことで、康記を操って荘本家乗っ取りというあれの企ても露と消えたことだろう。しかし、あのままおとなしく引き下がる男ではないのも確かだ」


「おとなしいのも、半年か、一年か……。園剋は人を操る術には長けているが、表立って自分からは行動しない」

 荘興の言葉に永但州はため息とともに答える。

「毒蛇は、しばらくは巣の中だ。どこまでも卑劣な男だ」


 手足となって彼の悪事に加担していた者たちは殺されたか逃げ出したかしたが、園剋は慶央城郭内の荘家本宅に残ったままだ。自分自身が咎められるような証拠は、ずる賢い彼は残していない。いや、小さな証拠が出たところで、姉の李香の健康がすぐれないいまは、荘興も義弟である彼を表立って処罰できないと高をくくっている。


「それでもまあ、これで、白麗さまも英卓も安心して養生に専念できる。どうだろう、旦州。荘本家の湯治場で、二人を養生させるというのは?」


「それはよい考えだ。あそこの湯は刀傷に効く。お嬢さんにもよい転地となるにちがいない。だが、英卓には必要ないかもしれんな。あの回復力には驚かされた。明日の朝には、もう、すたすたと歩いているだろう」


 永の言葉に皆が明るく笑う。


 煮出した茶の二杯目を注ぎ分けていた允の持つ柄杓がかすかに揺れた。優秀な家宰として、荘本家の外の仕事に関係する皆の言動には、彼はいつも聞かざる見ざるを心得ていた。だが、彼もまた英卓の帰還と回復をなによりも喜んでいる。

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