第38話 瀕死の荘英卓、慶央に戻る



「嫌がるようであれば、背負ってでも連れ帰れ」とは、関景が魁堂鉄に笑いながら言った言葉。しかし、このような形で、意識のない荘英卓の体を背負おうことになるとは、関景も魁堂鉄も、そして誰も想像してなかったことだ。


 背中に羽が生えているような若い徐平が先を歩き、雪が解けてぬかるむ細い道の足場を探す。それを頼りに、英卓を背負った堂鉄は、一歩一歩を慎重にかつ力強く踏みしめて山道をくだる。


 痩せた若い男の浮いた骨が、背負った背中に痛い。そして、ぐったりと意識のないそれは思いのほか重い。


 平坦な道になると、戸板に乗せかえて供の者たち数人で担ぐ。そのたびに堂鉄は英卓の脈を測り、息を確かめた。それはまだ英卓が生きている証ではあるが、死人のような顔色を見れば彼の命が風前の灯であることは確かだ。


 一日をかけて六鹿山をおりると、すでに伝達を受けた村医者が待っていた。だが、英卓の様子を一目見て、彼は首を横に振って言った。


「このまま、ここで静かに死なせたほうが、この若者にとっては楽であるとは思うが。荘本家のお人であれば、事情というものがあるのだろうな。それに、荘本家には、剣や矢の傷の治療にすぐれた医師の永但州さんがおられるはず。永先生であれば、万が一にも奇跡が起きるかも知れん。だがな……。そのためには、このお人の左腕は切り落としたほうがよいだろう。そのうちに、壊死の毒が体にまわる。そうなれば、慶央まで、命は持たないだろう」


 そして彼は視線を、動かぬ英卓から堂鉄に移した。


「力もあり、腕っぷしも強そうな、よい体つきだ。おまえさんだったら、この若者の腕の一本くらい、迷いなく切り落とせるだろう。どうだ、やってみなさるか?」


 その言葉に、堂鉄は頷くしかなかった。




 三日後。


 馬を何頭も乗り潰して街道を走り抜け、瀕死の英卓を乗せた馬車は慶央の荘本家屋敷に着いた。屋敷のあちこちにはまだ花見の宴の飾りつけがそのままになっており、浮いた気分に溢れていた。だが、変わり果てた英卓の姿に、皆は一瞬にして、塩を振った青菜のようにうなだれた。


 荘興にとって五年ぶりにみる英卓の顔だ。


 少年であったころの面影は消え失せて、大人の男の顔だ。美しかった母親に似て鼻梁が高く、いまは長い睫毛しか見えないが、目を開けば二重の切れ長な目だ。意思の強そうな薄い唇の形だけが、父親の自分に似ている。

 しかしその美しい顔も、火傷で左半分が焼けただれている。


「幸いなことに、目に火は入っていない。見ることに触りはないだろう」


 医師の永はそう言ったが、死んだように横たわる彼に、果たして目を開ける時がくるのか。火傷は左首筋を這って肩から背中にまで続いていた。そして左腕といえば……。


「左腕は切り落として正解だ。毒が廻れば、すでに命はなかった。まずはこの高熱を下げたいのだが。だが、こうも歯をかたく食いしばっていては、薬の飲ましようがない……」


 彼は英卓の状態と治療について説明を続ける。

 永但州の言葉をさえぎって、英卓の顔を覗き込んでいた荘興が訊ねた。


「あともって、どれほどの命だ?」

「明日の朝までというところか。おまえの元に戻ってくるまで持たせた命だ。親も子も悔いはなかろう」


 隣の部屋には、関景・允陶・魁堂鉄・黄徐平の四人が並んで座っていた。


 関景はあまりの無念さに落胆を隠そうとしない。時々、肩が揺れるほどの大きなため息を吐く。允陶も心の中の想いは同じだ。しかし、目の前で子を失おうとしている主人の胸の内を思い、かろうじて無表情を保っていた。


 魁堂鉄は任務を遂行できなかった申し訳なさに、巨体を小さくしている。不手際で終わったことに対して、いずれは責任を取るつもりだ。その横で、十五歳の徐平は拳で涙を拭いていた。この二か月の経験とその結果を思えば、涙は拭いても拭いても溢れてくる。


 部屋の外が騒がしい。


 誰かが部屋の中に入ろうとして、それを止めようとする者の間で、押し問答が繰り返されている。声が途絶えると同時に、戸が開いた。後ろにうろたえておろおろしている女中を従えて、白麗がその姿を現した。


「髪の白いおなごが、何をしに来た? 見物して面白いものなどない!」


 殺気だった関景が声をあらげる。

 彼はまだこの少女のことをよく知らない。英卓の無残な姿に打ちのめされていた彼は、目の前の少女に斬って捨てたいほどの怒りを覚えた。横においてあった剣の柄に手が伸びる。


 関景の怒りが理解できた堂鉄と徐平は、とっさには動けなかった。彼らより一呼吸早く允陶が立ち上がり、その身を少女と関景の間に割っていれる。彼は隣の部屋に向かって言った。


「宗主、白麗さまがお見えになりました」


 しかし、少女は関景と允陶には目もくれず、そして荘康と永医師もいないかのように、まっすぐに怪我人が横たわっている寝台に近づく。そして英卓の上に屈み、男の焼けただれた顔を金茶色の目でひたと見つめた。


 あわてた永医師が少女に言う。

「お嬢さん、この者は荘英卓といって、興の行方知れずだった息子だ。五年ぶりに戻っては来たが、大きな怪我を負っている。いまは治療中だ……」


 しかし、荘興は、医師に最後まで言わせなかった。

「但州、よいのだ。白麗さまは、医術の心得があられる」


 三十年前の夏の夜、朽ちた山寺で出会った旅の老僧・周壱は、昔話として、荘興に語った。


 彼の仕えた尊師は托鉢修行の若い頃に、怪我を負い、髪の白い少女の治療を受けたことがあると。百歳になっても頭も体も矍鑠かくしゃくとしていたその尊師は、話の最後に周壱に言ったのだ。「少女の治療を受けて、それまでとは別人のような軽く丈夫な心と体になった」と。

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