第34話 白麗、花見の宴にその美しい姿を現す
園剋の傍若無人な言葉に、荘興は顔色一つ変えることなく語り始めた。
「三十年昔のこととなる。俺はまだ若く、青陵国を旅していた時のことだ。旅の途中で出会った老僧より不思議な話を耳にした。この広い中華大陸をさまよう少女のことだ。その少女の髪は白く、そのものの吹く笛の音の妙なること天上の調べのごとくだとか。
その後、慶央に戻ってより、そのような少女がいるのであれば、会ってみたいものだと思い探すことにした。そのために、人の出入りを扱う家業の口入れ屋に精を出し、それがいつのまにか荘本家三千人といわれるほどに大きくなったのは、皆の者も知ってのとおりだ。だが、陰では、荘本家宗主の道楽と言われていたと承知している」
その言葉に覚えのある者たちから笑いが起きる。めでたい酒の席だ、皆で笑えば宗主の短気も怖くない。荘康もまた自分の言葉に笑う者たちを眺め回して、座が静まるのを待った。三十年に比べれば、この時は一瞬よりもまだ短い。
「しかしながら、昨年の秋に、俺の念願を天は見捨てなかったのか、白麗さまに出会うことが出来た。そして、幸運にも、我が屋敷に住んでもらうこととなった。
園剋、このような摩訶不思議な話に、おまえが何を思い何を考えようがそれは自由だ。しかし、これだけは言っておく。白麗さまと旅をしていた姉と弟は女衒ではない。彼らはこの中華大陸の西の果てにある西華国の皇族の端に連なるもの達だと聞いた。その二人が仕えていたのであるから、白麗さまの出自も高貴であることに間違いはない。おなごなどという軽んじた言葉は慎んで欲しい」
荘興の真実半分嘘半分の話に、皆は納得するしかない。そしてまた、荘興が荘本家の跡目問題に無頓着に見えるのも、旅の僧から聞いた少女を探すために立ち上げた荘本家だったと聞けば、それもまた納得するしかないのだった。
しかし、園剋は食い下がった。
「そうは言われても。義兄上の言葉を疑うわけではないが。はいそうですかと、引き下がるのは難しい。荘本家の宗主という立場の義兄上が、そのような子ども騙しの話で、ここに居並ぶ皆をたばかろうとするとは情けないではないか……」
だが、園剋は最後まで言葉を続けることができなかった。
允陶に先導されて、朱色の着物をまとった白い髪の少女が姿を現した。可愛らしく装った幼い女の子を裾持ちに従えている。この世に無垢という言葉があるのであれば、いま目の前を通り過ぎる光景がそうであろう。
少女はまったく周囲を気にすることなく、真直ぐに歩を進める。上座から降りた荘興は自分のもと居た席を指し示した。
「白麗さま、どうぞこちらへ」
しかし荘興が待つ場所にまで少女はたどり着くことなく立ち止まった。一顧だにせず前を通り過ぎようとした少女の長い着物の裾を、園剋が無作法にも掴んだのだ。
「これはこれは、高貴な白麗さまとやら。確かに、人の目を欺くほどに、美しい姿形をなさってはおられるが、この園剋の目をだますことは出来ませんぞ。俺は人ではなく、どうやら蛇であるらしいのでな」
そう言いつつ、瞳孔が縦に細長い目で満座を睨む。睨まれて、客人たちは少女に向けていた目を、いっせいに平らに伸びた蛙のごとく伏せた。彼に睨まれて碌なことはない。噛みつかれたら、その口の中に隠し持った牙で毒を注がれる。
「その白い髪はどのようにして色を抜いたのか、俺に教えて欲しいものだ。ああ、そうであったな。喋れぬとか。それに記憶まですぐに薄れるとか。なんとまあ、人をたばかるのに都合のよい嘘を次から次と、その可愛らしいお顔で考えついたものだ……」
着物の裾を掴んだ男の手を不思議そうに見つめていた少女が、ゆるりとその手の持ち主に視線を移した。図らずも目が合ったと同時に、園剋のよく動く口が止まった。
見上げていた少女の金茶色に輝く眼が、そのとき、暗く陰ったように園剋には見えた。少女が顔の向きを変えたことで、庭より差す初春の陽の光が遮られたのだと彼は思った。しかし、目があった瞬間、酒で温まっているはずの彼の体に、幾筋かの冷たい汗が流れたのはなぜなのか。
しかし、荘興が座を収める言葉をそして園剋が次に続く悪口雑言を思いつく前に、静まった部屋にパシリと、肉が肉を打つ音が響きわたった。着物の裾を掴んだままの男の手を、幼い嬉児が叩いたのだ。
「その手をどけてよ!」
この日の大役のために、毎日、彼女は姉の梨佳に教えられて裾持ちの練習を重ねた。そしてまたこの日の大役のために、慶央一の老舗といわれる彩楽堂で誂えてもらった薄桃色の地に小花刺繡を施した絹の着物を着ている。化粧だってしてもらった。中庭の池の水面に映った自分の姿を見て、我ながらに可愛いと思った。
それがあと数歩で大役を成し遂げようとした時、変な男が白麗お姉ちゃんの着物の裾を掴み変なことをまくし立てている。許せるわけがない。
仕える女主人と我が子の窮地を柱の陰から見ていた萬姜があとさき考えずに飛び出そうとする。それを若いが賢明な梨佳が押しとどめた。彼女は母の耳元で囁いた。
「お母さま、すべては宗主さまにお任せしましょう」
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