第33話 萬姜、用意万端に白麗を花見の宴に送り出す

 

 允陶は努めて軽口に聞こえるように、少女の横に座っている萬姜に言った。


「萬姜、おまえがそのような不安顔でどうする? あの時に、『あたしにお任せください』と、胸を叩いてみせた自信はどうした? 今ごろになって怖気づくとは、その太った体は見かけ倒しか?」

 

 允陶の言葉に、その体を縮こまらせ、顔色を青くしたまま萬姜は答える。


「さきほど、表座敷のご様子を覗きに行きましたら、あまりに多くの方々が居並ばれておられて……。その光景に、いま、足の震えが止まりません。家宰さま、言葉の不自由なお嬢さまに、満座の席でのご挨拶など出来ますでしょうか? 人に頭を下げる作法すら、ご存じないお嬢さまですのに」


 「そのようなことか。心配するには及ばぬ。だからこそ、宗主はおまえに白麗さまを美しく着飾らせよと、命じられたのだ」


 允陶の返事に窮地を逃れる方法があるのかと期待して、頬に赤みが少し差した萬姜が首を傾げる。

「……と、申されますと」


 「このようにお美しい姿を目にすれば、その眼福に、誰もが少々の無作法など許そうという気になる。そのうえににこりとでも笑ってくだされば、申し分ない」


「家宰さま、さようでございます。さようでございますとも。このようにお可愛らしいお嬢さまの無作法を、誰が咎めたり出来るものでしょうか」

 

「そうではあるのだが。ただ、一人だけそうとは言えない者がいる……」


「それは、それはどなたでございましょう?」

 そう訊ねる萬姜の顔が再び青くなった。


「園さまだ。あのお方は、どのような席でも、引っ掻きまわさなくては気が済まぬお人だ。まあ、その時は、宗主がうまくさばかれるであろうが。萬姜、我々の仕事は白麗さまを表座敷にお連れするまでのこと。その後のことは、宗主にお任せするしかない」


 その言葉に心を決めた萬姜は、少女の足元にうずくまり少女の着物の長い裾の皺を一生懸命に直していた嬉児に声をかける。


「嬉児、さあ、参りますよ。大丈夫、梨佳お姉ちゃんに教えてもらったとおりにしていれば、心配なことはありません」


 嬉児もまた新しい薄桃色の着物を着て、その顔にはうっすらと化粧までしていた。彼女は幼いながら、今日の花見の宴において、白麗の裾持ちという大役を任されている。我がままで気まぐれな少女ではあるが、言葉に表すことの出来ないその心根は優しくどこまでも深い。幼い嬉児を困らすことはしない。嬉児の裾持ちという大役が無事に終わるまで、どのようなことが起きようと、決して癇癪を爆発させることはない。


 母の呼びかけに顔を上げた嬉児が元気よく答える。

「はい、お母ちゃま。だいじょうぶだよ。白麗お姉ちゃんのことは、あたちにどんとまかせて!」


 その言葉に滅多に感情を表に出さない允陶が噴き出しそうになり、慌てて横を向く。そしてわが子の言葉に意を決した萬姜は立ち上がると、少女の手に愛笛を持たせ、明るい声で言った。


「お嬢さま、たくさんのお客人が、お嬢さまの笛の音を聴こうと集まっておられます。さあ、お出ましになられませ」




 妓女たちに注がれた美酒が、花見の宴の客人たちの喉を何度も潤す。それにつれて座の雰囲気は和やかなものとなる。あと一、二杯の盃を傾ければ、誰もが騒がしくなり乱れてくるだろう。


 座を見渡した荘興がおもむろに立ち上がった。

「我が屋敷の客人・白麗さまを披露目するときがきた」

 その言葉に、一瞬にして座が静まった。楽曲は止み踊り子たちは再び平伏し、盃を卓に戻して皆は畏まる。


 しかし、康記と春兎は戯れ続けている。さすがに長兄の健敬が咎めようとしたが、荘興はそれを目で制した。その隣の毒蛇・園剋もまた、口元に運んだ盃はそのままだ。


 荘興は言葉を続けた。


「この席で、白麗さまをお披露目するのもいかがなものかと思いもしたのだが。巷では、白麗さまは人ではないというものもいる。その笛の音を聴けば、万病が治るというものまでいるそうだ」


 すでに白麗を見知っている者たちはかすかに頷き、噂だけでしか知らぬ者たちは期待で、おもわず喉ぼとけがごくりと動く。


「それゆえに、今日は皆の目で、その噂が果たして事実なのかどうか、明らかにして欲しい。家宰、白麗さまをこちらにご案内せよ」


 その時、やっと盃を卓上に戻した園剋が口を開いた。


「ちょっと待って欲しい、義兄上。天女のように美しいとか言われている白麗というおなごの披露目の前に、是非にでも教えてもらいたいことがある。義兄上とそのおなごの馴れ初めを知りたいと思うのは、この席で、おれ一人でもないと思われるが。白い髪のおなごを、義兄上は西国の姉弟の女衒より買ったとかいう噂もある。なあ、皆も聞いたことがあると思うが」


 そして蛇のように冷たい目で、ゆっくりと満座を見回した。目が合わぬようにと、皆はいっせいにうつむく。自分の言葉が皆を怖れさせたと知って満足した園剋は、その赤い舌先でちろりと唇を舐めた。


 

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