第27話 蘇悦と名乗る男
柱に背中をあずけた男が堂鉄を睨みつけていた。
血に染まった布を、坊主の袈裟のように斜めに体に巻き付けている。肩に怪我を負ったのだと知れた。
柱に打ちつけてある燭台から蝋燭をとり、堂鉄はそれを男の顔にぐっと近づけた。
男の髷はほどけて、汚れた髪が垂れて顔の半分を覆っていた。その日その日をしのぐしかない暮し様がわかる黒ずんで荒んだ顔。突き出た頬骨にかさついた皮が張りついている。そして、こちらを睨む二つの目が熱を帯びて異様なほどにギラギラと輝いていた。自分の経験から堂鉄も知っている。さきほどまで死闘を繰り広げていた者の目だ。
「英卓さまを知っていると言ったな。おまえの名前は何という?」
「名乗るなら、そちらが先というのが筋だろう」
蝋燭を顔面に近づけられても、男はたじろがない。口の利き方も横柄だが、その目は相変わらず堂鉄を睨み続けている。正規軍の兵士の恰好ではないところから見て、坑道の持ち主に雇われた用心棒だろうと堂鉄は思った。それにしても、この目つきはなかなかの肝の据わりようだ。
「申し訳ないことをした。おまえの言うとおりだ。では、名乗らせてもらう。俺は荘本家の関さまの下で働いている魁堂鉄という。訳あって、荘英卓という若者を探している。居場所を知っているなら教えてもらいたい」
「人にものを訊きたいなら、そうこなくちゃねえ。では、俺も名乗ろう。俺の名は蘇悦だ。姓は名乗るほどのものではない。蘇悦と呼び捨ててもらってけっこうだ」
「では、蘇悦。英卓さまのことを聞かせてくれ」
だが、堂鉄の言葉に、蘇悦は顔の表情はふと緩み遠くを懐かしむ目をした。
「そうだったのか、慶央の荘本家か。あいつは荘本家のお坊ちゃんという訳だったのか。どうりで、俺たちと違って育ちがいいとは思った。ああいうものはいくら本人が隠そうとしても、物の言い方の端々に現れるものだからな。それであいつは無口だったのか」
「すまないが、おまえの無駄な口上を聞いている間はない。それでいま、英卓さまはどこにおられる?」
「ああ、……。やつなら、今は井戸の中か、あの世かのどちらかだな」
「どういう意味だ?」
「襲撃が始まってすぐに、やつはまともに敵の火矢を受けた。そのうえに横から一太刀浴びせられた。可愛そうに、あれじゃ、あいつの左手は体についていても、この先、使いものにはならんだろうな。しかしながら、おれもこのざまだ。担いで逃げることもできぬから、敵の隙を見てあいつを井戸の中に放り込んだ」
「井戸の中へだと?」
ここまで来て、そのようなことを聞かされるとは。堂鉄の声に無念と怒りが混じる。それを察した男はふっとかすかに笑う。
「何が可笑しい?」
いまにも剣の柄に手をかけそうな勢いの目の前の大男に、怪我を負っている男は少々慌てた。
「いやいや、心配するな、枯れた草に覆われたちょっと見では気づかれぬ底の浅い空井戸だ。木蓋をしておいたから、今夜の冷え込みも
「明日の朝では遅い。いまから、一緒にいってもらおう」
英卓を放り込んだという井戸の場所も知らなければ、二十歳になった英卓の顔を知るものも堂鉄たちの中にはいない。
「それは無理っていうものだ。あの野盗どもが戻ってきていることも考えられる。こんな家業だ。俺も野盗たちとは何度もやりあった。だがな、今日襲ってきたあいつらは、普通の野盗とは違っていた。あいつらの目的は俺たちが掘った銅をくすねることではないように思えた。剣を持たない坑夫や賄い女までも、あいつらは容赦なく斬った。その様子はまるで皆殺しが目的だったとしか思えない。それにいま戻れば、死肉を漁る野犬の群れも集まっているだろう。せっかく生き延びたこの命だ。いまあそこへ戻るのはまっぴらごめんだ」
無意識に堂鉄の右手が着物の懐へと入った。
指の先が、允陶から託された巾着袋に触れる。「ここぞという時に、惜しみなく使え」という文に書かれた言葉が蘇る。巾着袋を取り出し男の足元に置くと、彼の口から言葉が勝手に出てきた。
「これは半金だ。井戸にまで案内してくれれば、あとの半金を渡すと約束する。
確かめるがよい、砂金だ」
男は足元の巾着袋を見て、それから堂鉄を見上げ、また巾着袋に目を落とした。
そして巾着袋を拾い上げると、その重さをゆすって
「へえ、この巾着袋は、女物の着物で縫ってあるのか。あいつの帰りを待っている女がいるんだな……」
確かに慶央には英卓の帰還を待ち望んでいるものたちはいるが、その中に女はいないはずだ。しかし堂鉄はあえて黙っていた。男は巾着を懐に仕舞いながら言葉を続けた。
「道案内をしてもよいが、見ての通りで、いまのおれは刀は振るえない」
「お前の命は必ず守ると、この魁堂鉄が約束する」
「その約束、必ず守ってもらうぞ」
男は立ち上がろうとして床に手をつき激痛に顔をゆがめた。だが、堂鉄の差し出した手は振り払った。幸いなことに足に怪我はない様子だ。
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