第26話 魁堂鉄、荘英卓の気配を近くに感じる


 駐屯地の雪は多くの兵士に踏まれて泥の沼と化していた。泥跳ねを気にすることなく堂鉄はぬかるみの中を歩いて、司令部のある天幕に入った。


 堂鉄を見て相好を崩した駐屯隊長が立ち上り彼を迎える。部下が惨殺された報告を受けたばかりだろうというのに、駐屯隊長にはそれはそれこれはこれであるらしい。


 荒縄で固く縛った行李を堂鉄に差し出しながら、彼は言った。

「魁さん、荘本家より荷物が届いてますぞ。荘本家の家令さんはよく気のつくお人ですなあ」


 その言葉に、この行李とは別便で、駐屯隊長は荘本家の家令よりまいないを受け取ったのだろうと知れた。駐屯隊長との世間話もまた荷物を仲間のもとに持ち帰るのも時間の無駄と、堂鉄は無言で刀を抜いて行李の荒縄を切り中身を確かめる。


 好奇心を抑えきれない駐屯隊長が首を伸ばしてきて、堂鉄の手元を覗き見る。


 一番上には、允陶の字で書かれた書状がある。それに目を通したあと、彼は荷物をかき回した。衣類やら美味そうな干し肉やら、旅の空の下で入り用なこまごまとした生活用品。そしてしばらくは不自由しないであろうほどの銭。


――允さんは、いつもながら、遠く離れた男を想う女のようにマメなことだ――


 文に書かれていたそれを、堂鉄は行李の底で見つけた。彼の大きい掌に載る大きさでずっしりと重い巾着袋だ。何重にもぐるぐると巻かれている赤い紐をほどかなくても、中身の見当はつく。砂金であろう。


 文には、「ここぞという時に、惜しみなく使え」と書かれていた。

 巾着袋を見る男の目が物欲しそうに輝き、髭に埋もれた口が動く。


「これは、なんとなんと、美しい布で仕立てられた巾着袋ですなあ。 都の宮女とかいうおなごたちは、このような布で仕立てた着物を着ているとか。その姿を拝めるものなら拝んでみたいものです」


 そういうことに疎い堂鉄は家令の文と巾着袋を懐に仕舞うと言った。

「あとの行李の中身は、我らには必要ない。そちらで勝手に処分してくれ」


 この駐屯地に再び戻ってくることはないとの決意だ。

「兵士たちが襲撃された場所を知りたい」


 ますます相好を崩して駐屯隊長は答える。

「おお、それは、それは。すぐに部下に地図を書かせましょうぞ」




 地図に描かれた 見回りの兵士たちが襲撃を受けた場所から、もう一つ深く山に分け入って翌日の夕刻。堂鉄たちが険しい山道を登っていると、降りて来る兵士たちの集団と出会った。 皆一様に纏っている武具にもその顔にも血糊がこびりついている。歩けないというほどではないが傷を負っているものもいる。


「急いでいるところをすまないが、何が起きたのか教えてくれ」


 彼らのなかの一人を呼び止めて、その手に銭を握らす。その銭を懐に仕舞いながら、いかにも疲れたふうに兵士が重い口を開いた。


「我々は、昨日の襲撃の経緯を調査していたのだが。偶然にも、この先にある小さな坑道を野盗が襲っているところに出くわして、激しい斬り合いとなった。野盗は手練れたやつらばかりだったが、運よく傭兵も加えた我々の方が人数が多く、野盗どもを追い払うことができた。しかし、我々も含めて多数の死傷者が出た。命からがらに逃げることができた怪我人たちは、山寺の本堂に集まっている。警備の兵士を置いてきたから、二度目の襲撃はないだろう。自分たちは駐屯地本営まで戻って、これからの指示を仰ぐところだ」


「その寺はどこにある」


「我々の来た道を戻ったところだ。一本道だから迷うことはない。それにしても、これほどの血生臭いことが立て続けに起こるとは。六鹿山で、いったい何が起きようとしているんだ。おまえたちも来た道を引き返したほうが身のためだ」


「いや、行かねばならない」


「忠告はしたぞ。なにがあっても恨むなよ」

 そう言い捨てると、兵士は先を行く仲間を追いかけた。


 その後ろ姿を見送って、堂鉄は踵を返す。

 彼の巨体がかすかに震えた。それは二か月に渡って探し続けた荘英卓の気配を感じたせいなのか。それとも西の稜線に陽が落ちて、あたりが一気に冷え込んだせいなのか。彼にもわからない。




 兵士が言ったとおりに、小さな山寺はすぐに見つかった。蝋燭の薄ぼんやりとした明かりの中で、本堂は怪我人たちで溢れていた。


 横たわった者の足の上に他の者の手が載る有様だ。うめき声・叫び声・泣き声が一つとなっていた。痛みにのたうち回るものともう動けないものが折り重なるさまは、地獄絵図を切り取ったかのようだ。


 だが、ここにいるものたちは皆、命が助かったのだから、痛くとも文句は言えないだろう。残っていた兵士たちによって怪我の手当てが終わり、重傷のものたちを医師のいる山里までどのようにして運ぼうかと思案の最中だった。


 怪我人を踏まないように気をつけながら本堂に一歩足を踏み入れ、堂鉄は大きな声で言った。


「荘英卓さまはいないか? それとも荘英卓という若者を誰か知らぬか?」


 そしてまたもう一歩足を踏み入れ、同じ言葉を叫んだ。応える声がすぐ横から聞こえてきた。


「英卓なら、俺が知っている」


 


 

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