第25話 雪深い六鹿山に血の匂いが漂う


 昨夜は、六鹿山に、春の到来を前にしたこの冬最後の嵐が吹き荒れた。


 この冬は珍しく雪が多かったが、それでも根雪はまだらに解け始めていた。それが一晩で再び銀世界に戻った。しかたなく馬を乗り捨てて、徒歩で分け入った山中は静寂な銀世界そのものだ。


 一行の中で、一番の若輩者の黄徐平が先頭を歩く。

 後に続く猛者たちが積もった雪に足を沈めて歩くのに苦労しているというのに、若く身軽な彼は浮遊しているかのように雪の上を歩く。


 彼は左手に弓を持ち、矢筒を背負っていた。

 敏捷な体の動きと遠くを見渡せる目の良さに、彼の鍛錬を任された魁堂鉄はもしやと思い、弓を持たせた。


 徐平はすぐに上達した。

 いまでは目にもとまらぬ速さで矢をつがえ、その腕は百発百中だ。


 しかしそのことと、まだ少年である彼を六鹿山に伴うことは別の話だ。彼の若さと未熟さを理由に堂鉄は最後まで反対した。


「勘違いするな、徐平。連れて行かぬのは、危険だというのが理由ではない。おまえの命の一つや二つ、必ずこのおれが守ってやろう。だが、敵と斬り合うということは、人を殺すということだ。一度人を殺してしまえば、おまえはもう元の世界には戻れない」


 堂鉄を説得できないと知ると、徐平は関景に泣きついた。

 頑なで一徹な堂鉄に関景は言った。


「若い徐平に今回の任務はまだ早いと思う、おまえの気持ちがわからんでもないが。儂ほどの歳になるとな、時々、人の定めが見えるようになるのじゃよ。ちょうど五年前、手慰みに賽子の目に銭を賭けようかと博打場に入って、用心棒のおまえを見たとき。何があっても、儂はこの大男を連れて帰ると思った。あのときと同じじゃよ。儂には徐平の定めが見える。徐平は荘本家を必要とし、荘本家は徐平を必要としている」


 関景にそこまで言われると、堂鉄も返す言葉がなかった。




「徐平、遅れてくるものをしばし待て」


 疲れを知らぬ若者は、堂鉄の言葉に足を止め振り返る。

 その目の色は昨夜の嵐が嘘かと思えるほどに青く晴れ渡った空の色のように、屈託なく明るい。


 堂鉄の声に驚いた一羽の鳥が甲高く鳴き、高い木の梢から飛び立たった。白い息を吐く彼ら一行の頭上に、雪の塊りがばさばさと落ちてきた。


 肩に落ちた雪を払いながら、堂鉄は思う。


――この山腹のいたるところに、銅を掘るための穴が穿うがたれているのか。その中で燭台の煤に汚れた人間たちが岩肌をノミで削っているのか。それにしては、何も聞こえぬ。不気味な静けさだ――


 生まれて育った越山国にいたとき、そして流れてやってきた慶央の博打場で、それから荘本家の関景の下で働くようになって。彼は多くの人を傷つけ殺してきた。その数はたぶん、両手足の指を足しても足らないだろう。

  

 そのために、血の匂いには敏感だ。この六鹿山にどれほどの数の死者が埋められ、あるいは草むらで朽ち果てているのか、目に見える。修羅場をくぐりぬけてきた者が持つ<勘>としか言いようがないものだ。


 いまもまた、白一面の世界に、これから流されるであろう赤い血が彼には見えた。




 六鹿山の懐は広く深く、そして山腹に掘られている銅鉱は数知れず。英卓が私掘盗掘の現場で傭兵として雇われているとすれば、探し出すのは容易ではない。頻繁に移動していることも考えられる。


 青陵軍の駐屯地を中心に一つ一つの銅鉱を虱潰しらみつぶしに当たっていくしかない。堂鉄の持つ六鹿山の地図は、律義に黒く塗りつぶされていく。

 

 初めは河原に転がる石の中から小さなぎょくの一つを探し出す行為に思えた。しかし最近では、英卓らしい男の噂を聞くことがある。そしてまた、英卓を探しているらしい自分たちとは別の男たちの噂も。


 五日前に駐屯地を出て、六鹿山の南を捜索し、そして今日の夕刻近くになって再び戻って来た。だが、五日前と違って、駐屯地は、兵士たちが浮足立ち殺気だっていた。

 

 一人の兵士を掴まえて訊ねる。


「今日のこと、見回り兵士たちが襲撃され惨殺たのだ。それも五人だ。月に一度の、都・安陽に報告書を書くための形式的な見回りだったのに、運が悪かったとしか言いようがない。彼らを襲ったところでなんの利もないとは、国境線を争う越山国の兵士たちも承知のことである。ましてや野盗の類いが正規兵を襲うような無謀はしないはず。そうであれば、彼らは何者に襲われたのか。五人のすべてが無残にも止めを刺されていて、確かめようがない」


 これから仲間を惨殺した者を探すために山狩りに行くのだと言う兵士の声は恐怖に震えていた。「その五人の者たちの名を教えてくれぬか?」しかし、堂鉄の問いに、兵士は五人の者の名を律儀に答える。


 その答えは、魁堂鉄にとっては凶報でもあり吉報でもあった。


 それが凶報なのは、その五人の中に英卓の探索協力をひそかに頼んでいた兵士がいたからだ。彼の死で、英卓の居場所に関する情報を得られなくなった。


 しかしそれはまた吉報でもある。

 襲撃が兵士の口封じを目的とした仕業であれば、自分たちの探索は確実に英卓に近づいているということでもある。堂鉄は振り返ると言った。


「皆のもの、休んでいる間などない。準備が整い次第、我々も兵士たちが襲われたという場所に向かう」


 それ以上の詳しい説明はいらない。「おうっ!」と、その命を堂鉄にあずけた頼もしい仲間たちの返事が返ってきた。

 

「俺は、兵士襲撃の詳しい場所を隊長に訊いてくる。その間に、腹ごしらえをして、数日分の食料の調達を頼む」


 慶央を出てはや二か月が過ぎ去ろうとしている。春の訪れの早い慶央では、すでに梅の花は綻び始めたことであろう。



 

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