第23話 徐平、密談を盗み聞きする


「おう、そうであった。髪の白い得体の知れぬ小娘の話をするために、皆に集まってもらったのではなかった。今日は、英卓を連れ戻す計画のために、皆に集まってもらったのだ」


 宗主の女絡みの話と漂う酒の香に、なごやかに緩んでいた席だった。しかし、関景の言葉とともに、部屋は再び痛いほどの緊張に包まれた。


「いま、英卓は、六鹿山にいるということまではわかってはいる。六鹿山は低い山々が重なり合い、その懐は広く深い。そして、知ってのとおり、よそ者が入り込むのは難しいところだ」


 青陵国の西隣、越山国との境にまたがっている六鹿山には、質の良い銅を産出する鉱脈が縦横に走っている。そのために、青陵国と越山国、どちらの国も喉から手が出るほどにこの地が欲しい。国境いを守備する両国軍の小競り合いが絶えない場所だ。


 それだけならまだしも、銅を私掘・盗掘するものも多く、それらのものたちは気の荒い抗夫のみならず、命知らずな傭兵すら抱えていた。そして、夜になれば、野盗・山賊のやからが跋扈する。飢えた野犬の群れも多い。


「六鹿山に潜んでいるとわかったのは朗報だが、よりにもよってあそことはな。五年の放浪で、傭兵にまで落ちぶれたか。英卓のやつ、世を儚んで、死に場所を探しているとしか思えん。深い山の中から探し出すのも苦労だが、連れ帰るのも、一筋縄でいかぬと覚悟せねばなるまい」


「しかしながら、魁の生まれが越山国で、あの辺りの地理に明るいとは。これも、天の計らいであるかも知れません」


 允陶が言い、自分の名前が出たことで「はっ」と魁堂鉄が応えた。


「家令の言うとおりだ。五年越しの悲願に、ここまでは天の計らいとしか思えぬ幸運が続いた。しかしこの後は、そう簡単にはことは運ばぬであろうな。我らのすることを、あの園剋が手をこまねいて見ているとは思えんからな」


 腹違いの姉の李香の陰に隠れて長く息を潜めていたが、康記が成人しようとするいま、園剋は荘本家を乗っ取るという野望を隠そうとしなくなった。


 彼の陰の名は「毒蛇」。

 男の赤い舌は細く長く、そのうえに先が二つに割れていたとは。それはちろちろと動き甘言を囁く。油断して近づいたものに巻きつき噛みついて、喉の奥に隠し持った牙から毒を注ぐ。


「あやつに毒を注がれて、言いなりの手足になっているものは、荘本家にも相当数いると思ったほうがよい。 我々の動きはすでに漏れているはずだ。六鹿山に行く者は、多くても目立つ。十人でよいか? 急いてはことを仕損じる、慎重にも慎重をかさねようぞ」

 

 静聴していた猛者たちから次々と、手練れでもあり信頼もおける仲間の名前があがる。


「堂鉄、準備を整えて、年明けとともに、いまここにいる者たちと名前の挙がった者たちを引き連れて出立せよ。おまえのその体だ。いざとなれば、暴れる英卓を担いででも連れて帰ってこい」


 関景がそこまで言い終えたとき、人の肩より高いところにある窓が押し開いて、一つの人影が転がり込んできた。


 魁堂鉄がとっさに持っていた汁物の皿を投げつける。しかし、その人影は床の上をくるりと回って避けた。なかなかにすばしっこい侵入者だ。だが、軽々と卓上を飛び越えた堂鉄が鞘を抜き払った刀の切っ先を侵入者の頭上にかまえたのと、床に平伏して絞り出すように叫んだ侵入者の声は同時だった。


「英卓さまを探す一行の仲間に、俺も加えてください!」


 その声が徐平のものだと知って、皆は刀を収めて座り直した。だが、堂鉄だけは刀を振り上げたままだ。


「この者は盗み聞きをいたしました。ご命令があれば、即、首を斬り落とします」


 それには答えることなく、関景は少年が飛び込んできた窓を見上げた。大きく開いた窓の向こうで木の梢が揺れている。


「あの枝に潜んでいて、聞き耳を立て、そしてこの部屋に飛び込んだのか? まあ、千松園は徐平の生まれ育った家だからな、知らぬ場所などないのではあろうが。それにしても、なんと身軽いことよ。」


 そのとき、部屋の外の渡り廊下をばたばたと走る足音が響き、今度は堅く閉められていた戸が開き、足の不自由な千松園の亭主とその妻が飛び込んできた。目の前の光景に、亭主の黄徐正は床に平伏し妻は腰を抜かして座り込む。そして一歩遅く入って来た徐高が母を抱きかかえた。


「台所でおとなしく飯を食べているものと思っていましたが、はっと気づくと息子の姿がどこにもなく。それでも、生まれ育った家を懐かしんで、あちこち見てまわっているのかと。まさか、このようなことをしでかしているとは」


 もと兵士で荘本家の手下として修羅場もくぐりぬけてきただけのことはある。ここまでの彼の声は平静を保っていた。しかし床にひれ伏すその体が小刻みに震え、その声に涙が混じる。


「徐平はまだ年端もいかぬ子どもでございます。どうかどうか、骨の二、三本折れるほどに叩きのめし、ことの善悪を教え込んでやってください。しかししかし、命を奪うことだけはお許しください」


 部屋のもの皆が刀に手を伸ばしたというのに、関景の手にはまだ料理の盛られた皿と箸がある。彼はそれを置き、腕を組んだ。


「堂鉄、刀を収めろ。千松園の美味い料理を血で汚しては、こちらの申し訳も立たぬからな」

 

 その言葉に徐正の体の震えが止まり、彼の妻が安堵の小さな悲鳴を上げた。それを目の端で確かめた関景は、もう一度、徐平が飛び込んできた頭上の小さな窓を見上げた。そして独り言のように呟く。


「英卓が見つかったのも天の計らいであれば、徐平を捜索の一行に加えることも、また天の計らいかも知れぬ……。それにしても、身の軽い小僧だ」


 窓の外で、先ほどまで揺れていた木の梢はその動きを止めていた。そして小雪が舞い始めている。それが関景には天からの答えと思えた。

 



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