第22話 関景と允陶の密談
鍋の中でくつくつと音を立てて煮えている魚と野菜を、巨体と大きな手に似合わぬ器用さで皿に取り分けて、 魁堂鉄はそれを関景の前に置く。
本来であれば酌婦が呼ばれるか、千松園の亭主とその妻が並べられた料理の一つ一つに解釈を垂れながら甲斐甲斐しく世話を焼くところだ。しかし、今日の座敷には荘本家の猛者ちだけが、料理を前にして座っていた。
「今日のように冷え込む日は、味噌鍋にかぎるな」
向かいに座る允陶に注いでもらった酒を飲み干すと、部屋を見回した老人はことさら上機嫌な声で言った。
「どうした、おまえたち? 鍋が煮えすぎてしまうぞ」
そして、空けた盃を卓上に戻すと言葉を続けた。
「そうであったな、食えの飲めのと言ってもな。なぜおまえたちがここにいるのか、そのことをまずは話して聞かさなくては、美味い酒も料理も喉を通るまい。おまえたちに集まってもらったのは、他でもない……。探していた英卓の行方が知れた」
「おお!」
静かだった部屋に、驚きと期待の入り混じった皆のどよめきが満ちる。
「だがな、行方は知れたが、そこからあいつを連れ戻すのが少々厄介なことでな。そのためにはおまえたちの力を借りねばならぬのだ。もしかすれば、その命も預けてもらうことになる」
「この命、荘本家のためにであれば、差し出す覚悟はできております」
誰かが叫び、部屋は再びどよめきに満ちる。
「その言葉、この関景、ありがたく受け取らせてもらおうぞ。そしてその覚悟は宗主にも必ず伝える。では、詳しいことはおいおい語って聞かせるゆえに、遠慮なく、飲んでくれ。食べてくれ」
それでも誰も料理に手を伸ばそうとはしない。
「おお、そうであったな。堂鉄、おまえが飲んで食わねば、誰も動こうとせんではないか。わしの世話はもういいぞ。さあ、盃を持て。わしに注がせてくれ」
「ありがたくお受けいたします」
堂鉄は巨体を縮こまらせて座り直すと、大きな手にすっぽりと収まった盃を恭しく差し出した。
酒を酌み交わし鍋物の汁をすする音が部屋に満ちてきたのを満足げに確かめて、允陶から注がれた何杯目かの酒を、関景は飲み干した。
「允よ。おまえから荘興の意向を聞かされた時は、正直、自分の耳を疑ったぞ。五年目にして、まさかこの日が来るとはな。それにしても長い五年だった。あいつが慶央を飛び出した時はまだ十五の小僧だった。二十歳となった今では、当時の面影は、その顔にないやもしれんな」
「わたくしめも、宗主がその胸の内を語られた時、この体が喜びに震えました」
「おお。そうだろう、そうだろうとも。おまえも飲め」
しかし允陶の盃は卓上に伏せられたままだ。いつなん時主人に呼ばれてもすぐに駆けつけることができるようにと、普段から彼は酒を口にしない。そういえば、妻帯すらしていない。
――ふん、おなごとむつみ合っている時に、主人に呼ばれたら困ると思っているのか。ほんとうにつまらん男よ――
いつもなら頭に浮かんだことはすぐに口に出る関景だ。しかし、今回の吉兆を知らせてくれたのは彼だ。ぐっと我慢をする。だが、やはり悪態はつきたい。
「興のやつが、年端もいかぬ小娘を連れてきて
「小娘ではございません。白麗さまというお名前にございます。白麗さまの慶央までの過酷な旅に、宗主は英卓さまを重ね合わせられたそうにございます。そして、英卓さまを許すことと心を決め、呼び戻すことにしたと申されました」
しかし、允陶の言葉は年寄りに苦々しい過去を思い出させた。
「ふん、小娘の名前など、わしの知ったことか。あれの女運のなさにはほとほと呆れるわ。正妻の李香は本宅で臥せったままで、わしが世話をした妾にはさっさと死なれおって。それに凝りもせずに、いまは、いつ子が生めるかわからん小娘に魂を抜かれいる」
三十年昔の荘本家の立ち上げから常に傍らにいて、荘興を導いてきたとの自負が関景にはある。彼にとって、荘興はいつまでも説教の必要な若造だった。
「英卓が出て行ったあと、それでも健敬と康記がいれば、荘本家は安泰だと考えたわしも甘かった。まさか、泗水から来た園剋があのようにのさばるとは。興の身に何か起きれば、園剋は穏やかな気質の健敬を排除し、御しやすい康記を担ぎだすのは明らかだ。それにしても、康記は李香とあやつの間に出来た子だという噂まであるそうではないか。おぞましい」
「関さま、それはいくらなんでも言い過ぎにございましょう」
「ふん、噂に過ぎぬとしても、噂を噂のまま放っておく興の気が知れんと、わしは言っておるのだ。英卓を必ずや連れ戻して、荘本家を立て直さなくてはおおごとになるのは目に見えておる」
荘本家の行く末を、関景は誰よりも気に病んでいる。
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