第20話 荘興、銀狼と青龍の兄弟神と対峙する


「この俺を気安くおじちゃん呼ばわりか? まあ、爺と呼ばれるよりはましだな」

 荘興の声音は健敬の幼子を相手にしたときと同じように柔らかい。


――龍といえども子ども。狼といえども、犬が少しばかり大きくなっただけではないか。なにを怖れることがある?―― 


 そして、何よりも、これは夢だとの確信が彼にはある。夜の暗闇の囲まれた庭だけに満ちている金色と銀色が絡み合った光。たぶん兄弟喧嘩らしい騒がしい言い争い。手練れによる夜の見張りが気づかない訳がない。


「兄上、上に乗ったら重たいよ」

「こそこそとあとをつけてきた、おまえが悪い」

「だって、兄上だけが下界に降りるなんて、ずるい」

「おまえは皇太子だろうが。なんのために、おまえに皇太子の座を譲ってやったと思っている? 父上の傍で、おとなしく帝王学を学んでいればいいんだ」

「だって、あれって、つまんないんだもん」


 無邪気な答えに呆れて押さえつける銀狼の手が緩んだのか。銀狼の前足の下をするりと青龍は抜けた。そして自由になった体を、金色の光をまき散らしながらぐるりと回転させた。青龍の姿がだんだんとぼやけて、不思議な光沢に輝く薄青い着物を着た男の子の姿が現われる。年齢は五、六歳くらいか。


 弟の変身を見とどけた銀狼もまた、渦巻く銀色の光に包まれた。


 その中から姿を現したのは、これもまた白く輝く着物を着た長身の男だ。一筋の乱れもなく濡れたような漆黒を頭頂部に髷として結い上げて、銀色のこうがいを挿している。美しい顔立ちをした若い男だ。


 しかし、人の姿となっても兄弟の言い争いは続く。


「兄上。あのおじちゃん、ぼくたちを見ても驚いていないよ」

「この出来事を、彼は夢だと思っている」

「炎を吐いて、ちょっとばかし焼いてみたら、本当のことだってわかるかな?」

「騒ぐな。天上界の父上に知られたら、私もおまえも小言だけではすまないぞ」


 兄に後ろ衿首をつかまれ引き寄せられた弟は、その体を宙に浮かせて両手足をジタバタと振り回した。しかし、それでも懲りずに、子どもは叫ぶ。

「でもさ、でもさ、ちょっとだけ」


――青龍が皇太子であれば、兄弟の天上界の父上というのは天帝のことか。夢にしてもなんと壮大な夢を見ていることよ。これは、三十年目にして、少女の姿のまま現れた白麗さまに関係しているのか――


 荘興の心を読んだかのように、兄の神が答える。

「これは夢ではない。そしていま、おまえが思うように、私が現われたのは白麗に関係している。だが見てのとおり、邪魔な弟のせいで、今夜は、ゆっくりと語り合う時間はないようだ。要件だけをおまえに伝える」


「要件とは?」


「おまえには英卓という息子がいるだろう。彼をこの屋敷に連れ戻せ」


――ああ、やはりこれは夢だ。久しぶりに英卓を思い出し、その行方など案じたからだ――


「連れ戻せと言われても、あれは行方どころか、安否さえ定かではない」


「どこにいると教えることは出来ないが、おまえがその気になって探せば英卓は必ずや見つかる。ただ、その過程は困難を極めるだろう。血も流れる。しかし、おまえはやらなければならない。それが定めだ」


「定めだと?」


 荘興の言葉に、若い男の神はその整った顔立ちを少し崩してかすかに笑った。


「そうだ、この下界で起きることのすべては、神に似せた泥人形である<人>の定めだ。藍秀と蘆信もそして三十年前におまえが首を刎ねた周壱も。いずれ、おまえにはすべてを語って聞かせよう。しかしいまはその時ではない……」


「いま、聞き捨てならないことを言ったな。<人>が泥人形だと?」


 しかし、答えはなかった。後ろ衿首をつかんでいた手が緩んだのか、大人たちの退屈な会話をさえぎって甲高い声が割り込む。


「おじちゃん、白麗がきれいからといって、変な気を起こしちゃだめだよ。白麗は、ぼくの許嫁なんだからな」


 荘興に代わって兄が答える。


「いつ、白麗がおまえの許嫁になった? 父上さえ、お認めになってはおられないことを、軽々しく口にするな。そもそもが、白麗はおまえよりもかなり年上だ。今回の騒動は、ませガキのおまえのぺらぺら喋る口が起こしたことだと、何度言えばわかる?」


「だって、だって……。ぼく、白麗のことがものすごく好きなんだもの」


 半泣きとなった幼い声に、若い男の神は天を仰いだ。天帝の額には神眼があるという。それを見開けば、天上界であろうと下界であろうと見通せないことはない。彼はそれを怖れたのか。


「皇太子、帰るぞ。青龍の姿に戻れ」

「うん、兄上」

「では、また逢おう、荘興」


 そうして、蛇のように細い体の青龍と銀色の毛並みが美しい狼は金色と銀色の光に包まれて、星々の散らばる夜空へと昇っていった。


 初秋の夜風が、突然、立ち尽くす荘興の頬をなぶった。

 それで彼は、止まっていた時が再び流れ始めたことを知った。

 

 

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