第19話 眠れぬままに、荘興、過ぎし日を思う


 允陶の忠告も無駄となって、その夜の荘興は眠れなかった。


――いつかは、白い髪の少女と会えるだろうとは思っていた。たとえ会えなくとも、偶然に、人混みでその後ろ姿を見ることくらいならあり得るだろうと思っていた。それが中華大陸の西の果てから来たという姉弟が、俺に少女を託すとは。三十年昔、周壱という旅の老僧は何と言ったか?


『長い放浪の旅が、苦しかったことばかりといえば嘘になる。何度か、今度こそ、探し求める白い髪の少女に出会えるかもしれないと胸が高鳴り、無上の喜びを感じた日もあったことは事実』


 これは、明日になれば覚めてしまう夢なのか。それとも、関兄貴の言うように、手の込んだ芝居なのか。でなければ、人智の及ばぬことなのか――


 手をこまねいてただ考えるというのは性に合わない。いつも、その場その場で決断して即行動してきた。答えの出ない考えごとは、自分の尾を追いかけてその場でぐるぐる回る愚かな犬だ。


 その彼が、考えても答えの出ない問いに悶々として、何度も寝台の上で寝返りを打つ。最後には暗闇で天井を見つめて、横に紅天楼の春仙がいればと思った。女を抱けば、ここちよく眠りに落ちることが出来るだろうに。


 彼の思考は、妓女の春仙から妻の李香へと飛ぶ。


 荘興に惚れて嫁してきた李香だったが、やくざな生業を知るにつれて彼女の夫への想いは冷めた。そのうえに慶央の水が体に合わなかったのか。婚姻の翌年に長男の健敬を生んだが、少しづつ病いを得ていまは寝台に臥せる日々が続いている。


 荘本家三千人が出入りするこの屋敷とは別に、李香のためだけに、荘興は慶央城郭内に豪奢な本宅をかまえた。当然ながら、夫婦の営みもなくなっていたが、ある時に彼女は突然に二人目の子を欲しがり、健康より十歳も年が離れて三男の康記が生まれた。いまの李香は、泗水より来た腹違いの弟・園剋と十五歳となった康記との三人で、心の安息は別として何不自由なく暮らしている。


――長男の健敬、三男の康記。そして次男の英卓は……。いや、いまさら、あれを思い出しその行方を案じたところで、どうなるものでもない――


 自分に嫁いできたために幸せではない妻と、荘本家立ち上げのさいに惜しみなく金銭の援助してくれた義父。そのために妾を囲う気にはなれないでいた。が、関景に強く勧められた。その時はまだ子は健敬一人だったからだ。


「興、儂は荘本家の将来が心配だ」


「健敬にその素質がなければ、別の誰かが引き継いでもよいだろう。関兄貴は子沢山だ。荘本家が関本家となったところで、たいした問題ではない」


「なんと、呑気なことを。まあ、儂の眼に適った女たちに会ってみるだけでもいいではないか。おまえの気を引く女が一人や二人はいるかも知れぬぞ」


 何人目かに会った女は、中華大陸北にある小国の王族の血を引くという触れ込みだった。抜けるように肌の色白く瞳の色も薄かった。家系が断絶されて帰る当てもなく、いずれはどこかの妓楼に売られる運命だ。美しくはあったが無口で愛想のない女だった。その女を側に置きたいというよりも、その女に子を生ませてみたいと思ったのは、いまでも言葉に言い表しがたい不思議な感覚だ。


 囲って二年後に女は英卓を生んだ。しかし、産後の肥立ち悪く数か月後に静かに息を引き取った。最期まで荘興に心を開くことなく、また生まれた赤子を案ずることもなく、ただただ自分の生まれ育った国を懐かしがった。魂となって北の国に戻ることを望んでいたようにも思えた。


 さすがに手元で英卓を育てる訳にもいかず本宅にあずけたが、居心地がよいわけはなかっただろう。


 長男の健敬はそれが欠点ともいえるほどに優しい男だったが、三男の康記は気性激しく、またその後ろにいる李香の腹違いの弟も得体の知れぬところがある。何度も家出を繰り返して、十五歳の時についに英卓は帰って来なかった。そして五年が過ぎた。


 何度目かの寝返りを打つ。


――なぜに、今夜の俺はあれこれと思い出し、考えてもどうにもならぬことに悶々とするのか。三十年をかけて探した宝玉より尊い少女が、この屋敷にいる。すでにお休みになっていると允陶は言ったが、寝顔でも見に行けばよかったのだ。そうすればこのように、眠れぬまま朝を迎えることもなかった――


 中庭に面した戸の隙間から、ちらちらと動く明かりが漏れ見える。夜が明けるにしてはまだ早い。夜回りの者が持つ松明の明かりか。それにしては去る気配がない。

 立てかけてあった剣を手に取り、静かに寝台から下りる。戸に忍び寄り正面に立つと、両開きの戸を素早く押し開いた。




 白い玉砂利を敷きつめた中庭は金色の光で満ちていた。その真ん中で二匹の生き物が折り重なっていた。突然現れた荘興に驚いて、その四つの目が同時に彼を見上げる。


 下に組み敷かれていた青い大蛇があどけない子どもの声で言った。

「兄上、おじちゃんを起こしてしまったみたいだ」


 大蛇の首根っこに前足をかけていた大きな犬も、また、大人の若い男の声でそれに答える。

「おまえがギャアギャア騒ぐからだろう」


 落ちついて見れば、大蛇と思えたのは、その長い尾をのたうち回らせている子どもの青龍。そして犬と見えたのは、白銀色の毛並みもふさふさと美しい狼だ。


 

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