第14話 三十年の時を経て、荘興、白い髪の少女と出会う


「趙さま、お弁当をお持ちいたしました」

 戸の外で、千松園の亭主・徐正の声がした。


 そして、蘆信の返事を待つことなく、戸がすっと開く……。


 気配を消した男たちが左右に分かれて入ってきた。蘆信を取り囲むように立つ。その数、六人。油断したと悟るよりも素早く、あっというまの出来事だった。


「姉さん、白麗さまを守って、奥の部屋に!」

 叫んだ蘆信を制して、五十歳ほどに見える上背のある男が一歩前に出て言った。

「驚かせて、申し訳ない。こうでもしないと、素直に会ってはくれぬと思い、少々、手荒なことをさせてもらった」


 蘆信の剣の柄にかけた手を見やって、男は言葉を続ける。


「この状況で剣を振り回すことは、お互いに避けたほうがよいと思うのだが。 そちらは、女連れだ。その気はなくとも、災いが及ぶかも知れぬ。まあ、落ち着いて座られよ」


 そして蘆信を見つめたまま、後ろに控えていた宿の亭主に言った。

「亭主、すまぬが、皆に茶を頼む」


 目の前の男の落ち着いた雰囲気に呑まれたのか。それとも取り囲む男たちの隙のなさに諦めたのか。蘆信は男の言葉に従うしかなかった。


「西華国の追手のものか? それとも……?」

「いや、そのどちらのものでもない。俺の名は、荘興という。慶央に住むものだ」

「では、女たちに用はないであろう。二人は、部屋から出してもらおう」


「それがそうはいかぬ。そちらの白麗さまといわれるお人に用があって、参ったのだ。白麗さまも、どうか座って欲しい。それから、藍秀さんと言われたか。そちらもぜひに座られよ」


 見知らぬ男の口から白麗の名前が出て、蘆信の体に再び緊張が走った。左手に持った剣の柄に無意識に右手が伸びる。その気配を察して、周りを囲んで立っている男たちもまた剣の柄に手をかけ、半歩、足を踏み出す。


 その時、白い髪の少女を背にかばうように立っていた藍秀が、静かだがよく通る声で言った。

「荘さま。弟の蘆信に代わって、私がお話をお伺いいたします」


 驚いた蘆信が姉の言葉を遮った。

「姉さん、ここは、俺に任せてくれ」


 しかし、藍秀は首をかすかに横に振り、荘興を見つめると言葉を続けた。

「荘さまは、白麗さまのことをご存じの様子。そして、それはいつごろからのことでございましょう?」


 そこで初めて、荘興はまじまじと白麗を見た。目の前に座る白い髪の美しい少女は、武装した男たちの出現に怯えた様子もない。自分を見つめる男の目を、その金茶色の目でひたと見つめ返す。三十年昔に聞いた周壱の読経の声が、彼の首を刎ねた時の剣を持った手の感触が、満天の星の夜空に燃え上がる紅蓮の炎の色が、ふいに蘇る。


「三十年も、昔となる」

「三十年も待たれましたか。それは長い歳月でございました」


 藍秀はそう言うと、横の蘆信に体を向けて言った。


「蘆信、白麗さまとお別れの日が来ました。納得のいかないことではありましょうが、決して騒いではなりません。今日というこの日のために、白麗さまとともに私たちは西華国を出たのです。今まで黙っていたことを申し訳なく思っています。あなたが知りたいと思う詳しい話は、こののち、おいおいと語ります」


 そして再びその体を荘興に向け直すと言葉を続けた。


「では、白麗さまが笛の名手であられることも、聞き及びかと。いま最後に、白麗さまに笛の音をご所望いたしたく思えば、どうかわたしたち姉弟に少しばかりの時をくださいませ」


「おお、なんと。願ってもないこと。この日を、俺は三十年待ち続けた。笛の音を聴く時が惜しいとは思いもせぬ。それで、なんという曲を聴かせてもらえるのか?」


「白麗さまの奏でられる楽曲は、即興でございます。いえ、たぶんそうであられると思うのですが。荘さま、ご存じではありませんでしたか? 白麗さまは言葉が不自由です。ゆっくりと話せば、こちらの話す言葉は理解されますが、自ら言葉を発することは出来ません」


 藍秀の言葉に、少女が天涯孤独で人の手から人の手に渡される存在であることを、荘興は思い出した。その哀れさに、彼は少女の視線を逸らすことなく受けとめた。




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