第12話 徐平、命がけで荘興に文を手渡す


 父から預かった荘興宛ての文を懐に入れて、研水から慶央にある荘本家屋敷までの道を、徐平は夢中で走った。


 千松園を出た時は、東の山の稜線に顔を出したばかりの陽だった。だが、そのうちに陽射しは高くなり、容赦なく彼の全身をあぶる。吹き出る汗で着物の色も変わった。それでも彼は、黄金色の稲穂が垂れた田の間を、小さな家の建ち並ぶ狭い通りを走り続けた。

 

 荘興の妻子の住む本宅は慶央城郭内の一等地にある。しかし、荘興自身が寝起きし荘本家三千人が出入りする屋敷は、慶央城郭外の東にあった。高い土壁に囲まれた広い敷地の中には、うまやも含めて何十棟も建物が建っている。そのうえに物見櫓ものみやぐらまで備えているので、まるで出城か砦だ。


 大きな門の前には、長槍を携えた門番が常に二人。

 半刻(一時間)を走り通した徐平は、息を弾ませたまま大声で門番に言った。


「おれは、研水の客桟・千松園の亭主・黄徐正の次男、徐平だ。宗主さまに直々に会って手渡しせねばならぬ、大切な文を持ってきた。宗主さまに会わせてくれ!」


「客桟のせがれが、宗主に直々にお会いしたいだと? 何を寝ぼけたことを言う。その首が体についているうちに、さっさと帰れ、帰れ」


 案の定、有無を言わさず、門番たちは徐平の体を長槍の柄で押し返した。しかし、徐平も引きさがってはいない。あらん限りの大声で叫んだ。


「俺の懐に入っているのは、宗主さまが直々に読む大切な文だ。俺を帰したりしてみろ。宗主さまの怒りに触れて、首を刎ねられるのはお前たちだぞ」


「なんだと。こちらがちょっと優しくものを言ってやれば、図々しく言い返しやがって。命が惜しくないのか」


「そのセリフは、そのままおまえたちに返してやる。宗主さまに会わせてくれるまで、ここを一歩たりとも動くものか」


 門の前にあぐらをかいて、徐平は座り込んだ。彼の後ろには、何事が起きたのかと、人が集まり始めている。騒ぎを聞きつけて、屋敷内からも剣を引っ下げた者も、数人、出てきた。


「そんなところに座り込みやがって。覚悟しろ」

 徐平に向かって長槍を突き出した者を「まあ、まあ」と、年かさの一人がなだめて言った。

「さきほど、関さまが屋敷に入ったばかりだ。これは、関さまにお手数でも戻ってきてもらわねばなるまい。我々では、判断しかねる」

 

 彼のいう関さまとは、その名を景といい荘興より十歳年上。世間をよく知り知恵者でもあるので、荘興が荘本家を立ち上げた時からの側近中の側近だ。その彼は徐高の川魚料理がお気に入りで、手下を引き連れて千松園には何度も来ていた。


――関さまがいるとは!――


 天は自分の運命をよい方向に動かしていると、徐平は思った。

 額を流れ落ちる汗が目に入りひりひりと染みる。夏の盛りを過ぎたと言っても、陽射しにはまだ力があった。


 しばらくして姿を現した関景かん・けいは、すでにことの次第の説明は受けたのだろう、道の上に座り込んでいる徐平を見て言った。


「見覚えのある顔だと思ったら、千松園のせがれの徐平ではないか。宗主に直々に手渡したい文があるとのことだが、それが叶わぬことくらい、おまえでもわかるだろう。折を見てお渡しするゆえに、その文は、わしが預かる」


「関さまでも、無理なものは無理です。宗主さまに直々に手渡すようにと、親父おやじ……。いえ、父に言われています」


「困ったことを言う奴だ。そこまで言うなら、考えないでもない。しかし、宗主には短気なところがある。門の前で煩く騒いだと知れば、怒りに触れるだろう。その覚悟はあるか」


 その言葉になんの迷いも浮かんでいない明るい目を輝かせて、徐平は答えた。

「あります!」 


「怖れを知らぬ若造が大口を叩きおって……。まあよい、わしについて来い、座敷に通そう」

 口調は苦々しいが、関景の細めた目が笑っている。




 姿を現した荘興は、黄徐平のすぐそばに立った。


 短気な彼は、上座に座って若者と対時するのも面倒だった。そして、傍に控えて座っている関景を通して、言葉をかけるのも時の無駄と思った。彼は徐平を見下ろして言った。


「それでは、文を見せてもらおう」

 

 荘興の精悍な顔の髭はすでに手入れされ、髪も結われたばかりのようだ。歳を感じさせない長身で引き締まった体が威圧してくる。しかし、徐平は自分で自分を奮い立たせた。汗で湿気った文を懐から取り出すと、うやうやしく頭上に差し出す。


 長い時間が経ったように思われた。静寂に耐えられなくなった徐平が顔を上げると同時に、野太い声が降ってきた。


「徐平、馬に乗れるか?」

「はい! なんとか……」

「では、先を駆けて、案内を頼む」


 そして傍らに控えている関景に言った。

「文によれば、千松園には手練れの男がいる。供の中に、腕に覚えのあるものが必要だ」


 


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