第11話 黄徐正、荘興に文をしたためる
明けの刻を告げる一番鶏の鳴く声が聞こえてくる。
客桟・千松園の亭主・黄徐正は眠れぬ夜を過ごした。昨晩、ほの暗い燭台の灯りのもとで勢いにまかせて書いた荘本家宗主・荘興宛ての文のせいで、彼は眠れなかったのだ。
荘本家傘下にある客桟の千松園には、年に一度、年の初めに荘本家から文による申し渡しがある。客桟の亭主としての心得や上納金についての決まり事などが書かれた約定書だ。そしてその最後に必ず、荘興自らの直筆で書かれた一文があった。
『髪が白く笛の名手である美しい少女を見かけるなり、その噂を聞いたものは届けるように。十分な礼金が支払われるであろう』
徐正が千松園をあずかった時より、文言は一言一句変わっていない。 荘興は、この千松園だけでなく、彼の傘下にある客桟・妓楼・酒館などすべてにこの一文を配っている。
初めは、礼金目当てに荘興をだまそうとする不心得者が多くいた。
それもあって、荘興の<白い髪の少女>探しの道楽を、荘本家の者たちは皆、
――しかしながら、まさかまさか。この自分が、白い髪の少女について、荘興さまに文をしたためることになろうとは――
白麗という名の少女の髪が白く、またその容姿の愛らしさは、実際にこの目で見たので間違いはない。ただ、笛を吹くのかどうかは、確かめていない。笛らしきものが入っている錦の袋を見ただけだ。そして、いろいろと立ち入り過ぎたようで、趙蘆信という若い男を警戒させてしまった。千松園に数日滞在するとは言っていたが、気が変わった男は女二人を連れて、今日にでも旅立つかもしれない。
すべて、包み隠すことなく彼は文にしたためた。
客桟の朝は早い。
朝餉の用意に忙しい調理場からは、よい匂いも漂ってきた。徐正はその調理場に向かって言った。
「徐高を呼べ。……。いや、徐平だ、徐平を呼べ」
十五歳になる次男の徐平は兄の徐高と違い、客桟の仕事に熱心ではない。庭を掃き清めよと箒を持たせれば、目を離した隙に、それを庭木の幹に打ちつけて剣術の真似ごとをする。それならばと、調理場に立たせれば、これがまた、めったやたらに包丁を振り回す。徐平にとって獣の肉や川魚や野菜は、調理するものではなく、「えいっ、やっ」と、掛け声とともに切り刻むものであるらしい。
兄の徐高は言う。
「
また、千松園には、荘本家の者たちが徐高の料理を食しに来ることがある。そういう日には、徐平は用もないのにうろうろと客室に出入りしたがった。徐高が、荘本家屋敷に上納金と活き鯉を届ける時も、ついて行きたがる。
荘本家に憧れているのは、聞かなくてもその様子を見ればわかる。
徐正としては、兄弟どちらともにまっとうに客桟の仕事を継がせたかった。大切な息子を荘本家にあずけて、危険な目に合わせたい親などいるものか。だからこそ、文を託すのはまじめな徐高ではなく、乱暴者の徐平なのだ。
次男の徐平を呼びつけて、父の徐正は言った。
「この文を、宗主さまに直々に手渡すのだぞ。宗主さま以外のものに読まれてはならぬ大事な文だ。難しい仕事だが、やり遂げられるか?」
「
憧れの荘本家宗主に直接会える喜びに、徐平は顔を輝かせた。そのくったくのない明るい笑みを見て、父の胸は痛んだ。
小さな客桟の亭主が書いた文を、直接、宗主さまが手に取ることはない。こういう文は、宗主さまが読む前に、先に誰かの手に渡りそして目を通す決まりだ。その上に、荘本家の者たちは、荘興の<白い髪の少女>への思い入れをおもしろく思っていない。客桟の亭主の書いた文など、握りつぶされることも十分に考えられた。
だからこそ、徐平なのだ。
腕のよい調理人として、長男の徐高は荘本家の者たちに知られている。彼の腰の低いまじめな性格と顔を見知った誰かが、万が一に気をきかせて荘興に取り次ぐこともありえる。しかし徐平であれば、門番にすら相手にされず追い返されるだろう。運が悪ければ、礼儀作法を知らぬ不届き者として、手痛い目に合わされるかもしれない。
それで、荘本家に憧れる息子の目が覚めればと思う。世間では荘本家三千人と褒めそやすが、所詮は命のやり取りを日常茶飯とする任侠の世界に住む者たちの集まりだ。
――首を刎ねられることはないだろうが、棒で打ち据えられるに違いない。骨の一本くらいは折られるか。戸板に乗せられて帰ってくることになるだろう――
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