30年の時を経て、荘興、白い髪の少女と出会う

第9話 商港・研水の街外れに、客桟・千松園あり


 慶央の繁栄には、街の南を悠々と流れる江長川が密接に絡んでいる。一度に大量の人と物資を運ぶのに、船に勝るものはない。


 慶央の城壁を出て下ったところにある商港・研水には、国内外から客船・商船が集まった。また、立ち入りは厳しく禁止されていたが、少し離れて軍港もある。帆を張ったたくさんの軍船が整然と並ぶさまも、みごとな光景だ。


 船の出入りにともなって、たくさんの人も動く。研水では、客桟と飯屋と土産物屋が軒を連ね、そして盛り場は不夜城のごとく、朝まで提灯と篝火の灯りが消えることがなかった。


 賑わう通りから少し外れて、客桟・千松園はあった。

 一晩に泊められる客数は十人に満たないという、小さな客桟だ。


 客桟らしからぬ目立たない門を真ん中にして、高い土塀が敷地をぐるりと取り囲んでいた。中に入れば、屋根つき渡り廊下で結ばれた三棟のそれぞれに趣の異なった二階建ての建物がある。


 青陵国人はなにごとにも大げさな言い回しを好んだが、それにしても小さな客桟に松の木が千本とは……。しかし、泊り客は部屋に通された途端に、その名前が正しいことを納得するだろう。高台に建つ千松園のどの客室の窓からも、江長川の堤防沿いにある鬱蒼とした松林が眺められた。


 千松園のもとの姿は、たぶん、交易で蓄財した豪商の別邸であったに違いない。




 客桟・千松園は、びんに白いものが混じり始めた黄徐正おう・じょせいという名の亭主が、家族と数人の通いの下働きとともに切り盛りしている。


 黄徐正は若いころ、青陵国の南隣・呉建国の兵士だった。

 兵士といっても、彼も荘興と同じような小役人の家の生まれであったので、字が書けて算術もでき、如才なく振舞えた。


 彼は才覚を買われて軍部の兵糧を扱う部署にいたのだが、そこでは食材を納める商人と一部兵士の間で、不正が絶えなかった。彼自身は不正を嫌う性格であったので、関わりを持たなかったが、そういう生真面目な性格は得てして仲間からは煙たがられる。


 ある日、同僚の不正の罪が自分にかぶされそうになったことを察し、彼は逃亡した。そして流れ着いた青陵国で、元の名前は捨てて黄徐正と名乗り、荘本家に身を寄せた。


 元兵士でもあり体格もよかったので、手っ取り早く刀を振り回し身元の詮索も煩くない仕事といえば、荘本家が向いていた。また、まだ立ち上げて間もなかった荘本家は、その頃頻繁に縄張り争いを繰り返していたので、彼のような命知らずな手合いはいくらいてもよかったのだ。


 ある時、相手に深く斬りつけられて、徐正は足に大怪我を負った。一命は取り留めたもののかたわ者となった。流れ者の独り身でかたわ者となれば、生活の糧を得る道を見失い、野垂れ死ぬのを待つしかない。


 しかし、読み書きと算盤に達者で実直な徐正の評判を聞き及んでいた荘興が、働き者の女を彼に娶らせたうえで、なにかのカタで手に入れていた千松園を客桟に改装したのち亭主に据えたのだ。


 贅沢を望まなければ、荘本家に上納金を納めてもじゅうぶんに妻と子どもを養えた。今では成長した子どもたちも客桟を手伝う。


――長男の徐高はもうすぐ二十歳になる。嫁を取らせたら、荘興さまに願い出て、千松園を大きくしたいものだ――


 最近の徐正は考えている。徐高は器用で、包丁を持たせるとなかなかの腕前だった。泊り客の中には、彼の作る川魚料理を楽しみにしている常連も多い。


 故郷と名前まで捨てた自分が、異国の地で家族とそして将来の夢を持てるのも、すべては荘興さまのおかげだ。一日たりとも恩義を忘れたことはない。月に一度、上納金に江長川で捕れた生き鯉を添えて、納め続けてきた。


 そしてまた、泊り客に何気ないお喋りを仕掛けては、その返事の中に荘本家に役に立ちそうな情報も集めた。それらはすべて文にしたため、荘興さま宛に送る。


 荘本家の宗主である荘興が、なぜに自分を人が多く行き交う研水の客桟の亭主に据えたか、賢い彼にはわかっていた。


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