第7話 荘興、周壱の首を刎ねる


「ではまた、明日より、その歳を取らぬという白い髪の少女を探す旅を続けられるとよかろう」


 荘興は周壱に言った。一度襲ってきた眠気が、いまは消えている。しかし、周壱には荘興の言葉は耳に入っていない。自分に語りかけるように彼は呟いた。


「若い人に、こうして昔語りをして、いま、思い当たった。

 六十年も昔、年端もいかぬ小僧のわしに、尊師さまが昔話を語って聞かせたその想い。そして、今宵、わしも胸に秘めていた昔話を、初めて人に語りたいと思ったこの想い……」


 そう言うと、周壱は石のように無言となった。聞こえてくるのは、再び、夏虫の音だけ。荘興がその沈黙を破った。


「さて、その想いとは?」

 周壱の声は驚くほどに力強かった。

「わしも、死期を間近に感じるのだ」


 その言葉を、荘興は即座に打ち消した。

「なんということを言われる。足は悪そうにお見受けするが、ご老僧の声はいたって元気そのもの。足さえ治れば、旅は続けられるであろう」


 蝋燭の灯りの中で、荘興は投げ出されている周壱の右足を見やった。二人が語り始めた時より、その足はぴくりとも動いていない。


「自分の体のことは、自分が一番よくわかる。この足は日々に悪くなっている。歩き続けた日の夜など、まるで丸太を引きずっているように感じる。このまま旅を続ければ、行き倒れするのは、火を見るより明らかなこと。かといってここに留まれば、この体は、明日にでも野犬の餌となることも必定」


 彼は一度言葉を切り、意を決したかのように再び話し始めた。


「長い放浪の旅が、苦しかったことばかりといえば嘘になる。何度か、今度こそ、探し求める白い髪の少女に出会えるかもしれないと胸が高鳴り、無上の喜びを感じた日もあったことは事実。しかし年のせいか、動かなくなった足のせいか。この最近は、生も根も尽き果てたという思いに囚われてしまった。

 そこで、若い人。おりいって、この周壱、生涯最期の頼みがある」


 「生涯最期の頼みとは、なんと大げさな。この荘興、見ての通りの若輩者。しかしながら、ご老僧のお役に立つのであれば、喜んで手をかそう」


 荘興は、したたかに飲んだ酒に酔っていた。そして彼の心は、いま聞かされたばかりの<不老不死の白い髪の少女>に囚われていた。そのうえに蝋燭の灯り一つという薄暗さもある。周壱の思い詰めた表情にも声音にも気づかなかった。


「……頼みというのは他でもない。その腰の剣で、私の命をひと思いに絶って欲しい。まだ人を殺めたことはないであろう若い人に、このようなことを頼むのは、心苦しくはある。だが、野垂れ死にするしかない私を、哀れと思ってくれ。

 胸の内のすべてを明らかにした。いま、あの世に旅立てるというのは、果たせぬ思いを抱えたわしへの御仏のご慈悲であろうと思う」


 その申し出に驚いて立ち上がった荘興に、周壱はかまうこともなかった。彼は不自由な足を引き寄せて折り曲げると、正座した。深々と床に頭をつけて、荘興に叩頭する。そして、傾いて鎮座している仏像に向き直る。

 手を合わせた周壱は、微塵の動揺もない声で読経し始めた。


 この状況は天の計らいに違いない……。

 そのように荘興が観念するまでに、どのくらいの時が流れたのだろうか。


「ご老僧。それほどに望まれるのであれば、許されよ」


 意を決した荘興は立ち上がり、周壱の後ろに立った。抜いた剣を振り上げ、汚れ擦り切れた法衣の衿からのぞく痩せた彼の首に、力任せに斬りつける。


 盗賊に襲われたことは何度かある。だが、上背のある彼が剣を構えると、その姿に気圧けおされて、盗賊は逃げ出した。それでも襲ってくるやからの手や足を、返す剣の先で切ったことはある。しかし、命を奪う目的で剣を振り回したことはない。ましてや、座っている者の首を刎ねたことなどない。


 しかしながら、周壱の首を刎ねると心を決めた以上は、迷いは無用だった。余計な迷いで首を刎ね損じることは避けたい。周壱を苦しませてはならない。


 振り下ろした剣を持つ腕に力を込め過ぎた。周壱の首はその体から離れ、跳ね上った。それは本堂の隅まで飛んでいって、大きな音を立てて壁に当たり転がる。痩せ枯れた老人の首は、思いのほか簡単に切り落とせたのだ。


 首のない体が纏っているぼろの僧衣で、刃についた血を丁寧にぬぐう。そして転がっている周壱の首まで歩き、ほんの先ほどまで食べて飲んで考えて喋っていたものを、彼はしばらく眺め降ろした。


 心が定まると、両手で首を拾い上げた。

 横倒しになっている胴体のところまで戻って、首を横に並べる。


 今宵の宴の残骸を払いのけた経机を、周壱の亡骸なきがらの上に乗せる。力任せに引っ張って外した破れ板戸も、同じように亡骸なきがらの上に乗せる。


 燃え尽きようとしていた蝋燭の灯りだった。

 乾きっている板切れに近づけると、瞬時に火は燃え移り、紅い炎を吹き上げた。満天の星がのぞく破れ屋根に、紅い炎の舌が届くのは、あっというまだ。


 飛び出した荘興が振り返ると、すでに炎は本堂の全体に回っていた。すべてが燃え落ちるまで見届ける。そして、彼は故郷の慶央に戻るべく、きびすを返した。



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