第6話 周壱、白い髪の少女について語る



 酒がすすむほどに、足の不自由な老僧と五年ぶりに故郷に帰る途中の若者は、気心が知れるようになった。二人の年の差にはかなりのものがあったが、目に見えぬ何ものかに取りつかれて、青陵国をさまよったのは同じだ。


 お互いに旅先で仕入れた、魔訶不思議な話を披露しあった。

 どちらかが話し終われば、甕を回して酒を飲む。


 まずは周壱の、夜な夜な現れては若い男をまどわす女の幽霊の話。

 荘興も負けてはならぬと、人食い化け猫の話。

 そして夜になると美しく輝きだすという宝玉の話へと移り、それならと不老不死の薬を飲み過ぎて赤子に戻ってしまった男の話……。


 次々と繰り出される嘘か本当か確かめようもない、面白くも怖い話。

 互いに酔っているからこそという想いがある。蝋燭の灯りの中で、この荒れ寺を宮殿と言いくるめるのに似ている。酔いが覚めると同時に忘れてしまう他愛ない話ばかり。


 やがて、若い荘興が眠気に負けて、欠伸あくびを押し殺した。

 それを見た周壱が言った。


「やあやあ、お若い人。お互いに話も尽きましたな。では、最後に、わしのとっておきの話を聞いてもらおうか。わしがまだ、見習いの小僧であったころのことだ。そうだな、六十年も昔の話だ」


 未練がましく、周壱は酒甕をさかさまに振った。そして空であることを確かめて言葉を続けた。


「これからの話は、その六十年昔に、まだ十歳になっていなかったわしがお傍近くでお仕えしていた尊師さまから、おまえだけにと打ち明けられたものだ。百歳になろうかという尊師さまが死期を悟り、命の終わりに、ふと誰かに話したくなったのであろうな。


 思えば、今のわしの心境のようなものか……。

 いやいや気にするな。

 これはわしの独り言。

 さあて、どこから、話を始めるとしようかのう。

 

 これは、北の地で托鉢修業していた尊師さまの若いころの話だ。ということは、なんとまあ、今から、百三十年も昔のこととなる。


 ある時、運悪く野盗に襲われ深く斬られて、もはや自分の命もこれまでと尊師さまは覚悟をなされたとか。しかしその時に運び込まれた宿で、偶然にも居合わせた一人の少女の治療を受けて、命拾いをされた。


 尊師さまが言われるのには、医術の心得のあるその少女は大変に美しかった。また赤い横笛を大切に携えていたとか。時おり奏でるその笛の音の妙なることは、言葉に言い表し難いほどだったという。


 また、その少女は可哀そうなことに言葉が話せなかった。そして、奇異なことに、髪が老婆のごとく真白であったそうだ。そして記憶も長く保てず、何ごともすぐに忘れてしまう。宿でその少女の身内を探したが、名乗り出るものもおらず。


 そのために傷の癒えられた尊師さまはこれも定めかと、托鉢の旅に少女を連れ歩くことになされたのだ。しかし初めは妹のように思い慈しんだ少女の美しさと哀れさに、世俗に戻り再び男となって妻にしたいと望むようになったのも、尊師さまが若いころの話であればいたしかたのないこと。


 それで、その少女が大人になるのを待ったが、不思議なことに、その少女はいつまでも出会った時のままの姿形で、歳をとることがない……。


 そうこうするうちに、旅の空の下で十年の歳月が流れた。その頃には尊師さまも、『このまま歳をとらぬ少女を連れて、旅を続けるのが、果たして御仏の心に沿うことであろうか?』と、考えるようになった。


 ある町で、どうしても少女をあずかりたいというものが現れた。そのものが善人であることは確かであったので、強い意思を持って、そのものに少女を託して別れたそうだ。


 話の最後に、尊師さまが言われた。


『怪我に倒れた時、少女が自分にどのような治療を施したのかわからない。しかし、元気になった自分の体も心もまるで元の自分のようでなく、新しく生まれ変わったように思えた。少女と別れたのち、わしは一度も傷を負うことなく、病に臥せったこともない』


 その証拠に、その時すでに、先ほども言ったように、尊師さまは百歳に近い高齢だった。しかし、若いものとかわらぬお元気さで、民の苦しみを救う名僧として尊ばれていたのだ。そしてまた、遠くを懐かしむ目をして、こうも言われた。


『お別れしてより七十年という月日が去った。あのお人は、今もあの少女のままの姿で、中華大陸をさまよっておられるのだろうか? 叶うことなら、もう一度会って、その心をお慰めしたい』


 わしに打ち明け話をして、三日後のこと。

 食事の途中にぽろっと箸を落とされた尊師さまは、そのまま御仏の元へと旅立たれた。まことに羨ましい見事な大往生であった。


 しかしながらわしはその日から、尊師さまの言う不老不死の美しい少女に一目会いたいと、狂おしいほどの思いにとりつかれたのだ。寺での苦しい修業に嫌気がさしていた言い訳であったかも知れんがな。


 ある日、わしは寺を飛び出した。そして、六十年という年月が過ぎ去った。だが悲しいことに、少女に会うことも叶わず、お見かけ通りの乞食僧となりさがったのだ」


 

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