第5話 廃寺にいた先客
廃寺は火災にあったようだ。
幾棟かの僧坊や
茶店で買い求めた酒甕と肴を包んだ竹の皮をそれぞれに
人の出入りした痕跡も見当たらず、野犬の巣ともなっていないように思えた。夏のたった一夜をすごすのには最適だ。体を休める場所をさがして、床を踏み抜かぬようにと気を配りながら、足探りで本堂の奥へと進んでいく。
新月の夏の夜だった。
満天の星明かりが屋根の大穴を通して、荒れ果てた本堂の中を照らしている。凄絶なほどに、すべての影が青い。聞こえてくるのは夏虫の賑やかな鳴き声と、きしむ床を踏み歩く自分の足音だけだ。
その時、ものの動く気配がした。
目を凝らして見れば、本堂の奥に、傾いて今にも倒れそうな仏像が座している。その後ろに隠れるようとしている、四つ足で動く青い影がある。
昼間には気づかなかったが、ここはやはり野犬の巣となっていたのか。腹をすかせた野犬が夜になって戻ってきたのか。振り分けにして肩にかけていた酒の甕と肴の包みを静かに床に置くと、彼は剣の柄に手をかけた。
一人旅をする者の用心として、荘興は剣を持つようになっていた。そして、機会があればその扱い方の教えを請うてもきた。生まれながらに恵まれた体型と胆力もあって、この五年で、彼はなかなかの剣の使い手となっていたのだ。
その時、四つ足の青い影より、はっきりとした人間の男の声が返ってきた。
「わしは足の不自由な老いた僧だ。名は
星明りに目が慣れてきた。
僧侶だという言葉に目を凝らして見やれば、確かに僧衣らしきものを身にまとった先客がいる。犬のように這っているのは、偽りなく足が不自由なのだろう。怪我を負っているのか。
昼間に下見した時は姿を見かけなかった。彼も自分と同じく、ここで夜を明かすつもりだったのか。
「ご老僧、驚かせてすまないことをした。俺も、ここに一夜の宿を求めた旅の途中の者だ。名は、
「なんと、なんと。そうであったか。そうであれば、なんの遠慮をすることもない。お若い人、さあさあ、こちらへ来るがよいぞ」
仏像の影より這って現れた人の影が居住まいを正し、そう言った。
周壱は火打石を打ち鳴し、
――蝋燭とは、なんと用意周到なことよ――
そう思った荘興の心を読んだのか。
「仏前に、燃えさしたのがあったのだ」
周壱は言い、そして振り向いて傾いた仏像に手を合わせて、「ありがたや、ありがたや」と呟く。
経机の燭台の横には竹の皮が広げられている。そして、小さな饅頭が二つと塩漬けの野菜らしきものが乗っていた。
「若い人、ちょうどよいところに来た。独りで食べる夕餉は味気ないと思っていたところだ。と、言っても、わし一人にも心もとない量だがな……」
「おれも、酒と肴を持っている。一人では食べきれぬと思っていたところだ。ご老僧、遠慮なく食べてくれ」
荘興は持っていた酒の甕と肴を、周壱のわびしい夕餉の横に並べた。
「おお、これはこれは、酒と肉か。久しぶりに見る。なんと、旨そうな……」
薄明かりの中、周壱の喉ぼとけが上下して、ごくりと音を立てた。
「これもまた、御仏のお計らいかも知れぬな」
再び彼は振り返って仏像を見上げた。両手を合わせ「ありがたや、ありがたや」と、つぶやく。
「確かに。こうして仏の御前で出会ったのも不思議な縁」
周壱を真似て、荘興も居ずまいを正し仏像に手を合わせる。
信心の薄い荘興ではあったが、ふと思う。五年の放浪を無事に経て故郷に帰ることが出来るのは、目に見えぬ仏かそれとも神のご加護があったのかも知れない。
二人は、傾いた仏像の座にそれぞれの背をあずけた。
酒と肴で、思いもかけず、その夜はささやかな宴会となった。
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