第十話
その日、長い遠征での仕事を終えたマギー・メイは、久方ぶりに生活拠点としている街のバーに顔を出していた。
自分の他に客はいない店で、カウンターに座り、お気に入りの酒をストレートでちびちびと傾け、馴染みの店主と他愛もない世間話を楽しんでいた。
「それで? 今度の仕事じゃ、ずいぶん儲けたのか?」
マギー・メイは、どうだろうな、とはぐらかして薄く笑みを浮かべる。
「まあ、悪くない仕事だった」
「悪くない仕事、ね」
マギー・メイの言葉を繰り返した店主は肩を竦めて笑った。
「あんたがそう言うって事は、相当儲けたな」
店主の言葉にマギー・メイは「ノーコメントだ」と答えて、オリーブの塩漬けを口に運ぶと、酒をちびりと口にした。
「稼いだ時くらいは高い酒を頼んでほしいもんだがね」
「酒は値段じゃない。美味いか、不味いか。それだけだ」
違いないがね、と苦笑した店主に、マギー・メイもまた口元を緩めた。
しばらくして、店のドアが開き、身なりのいい男が店を訪れた。心地の良い時間を邪魔されるのを嫌ったマギー・メイが、この一杯で帰るか、と考えていると、男は幾つもある席の中から、わざわざ彼女の隣を選んで座った。
「いらっしゃい。見ない顔だ」
「この辺りに来るのは初めてで」
店主と二言、三言、言葉を交わした男は酒を一杯頼むと、マギー・メイの方をちらりと見た。
「よければ一杯、お付き合い頂けますか?」
男はほとんど空になったマギー・メイのグラスを指差すと、どれでも好きなものを、というようにバックバーに手を向けた。
「滅多にない事だ。奢られてやれよ、マギー・メイ」
店主が驚いた様子を見せるとマギー・メイは、茶化すな、と睨みを利かせた。ほんの少しだけ残った酒を一息に煽って飲み干した。
「ありがたい話だが。今日はもう帰るところだ」
「それは困ります。仕事の話を持ってきたのですから」
マギー・メイは「そんな事だろうと思った」と溜息を漏らした。
「大きな仕事が終わったばかりだ。少し休みたい。悪いが他を当たってくれ」
マギー・メイが席を立つと、男は「そう仰らずに」と言って、小切手をテーブルに置いた。そこに書かれた金額に、マギー・メイは元より店主の方が血相を変えて驚いた。流石に無視は出来ない金額に、彼女はもう一度、腰を下ろした。
「……話だけは聞いておこう」
そう言うと、小切手を男の方に滑らせて返し、まだ依頼を受けると決めた訳ではない事を示す。
「一番いいのを出してくれ。ダブルでな。もちろん、隣の金持ちが払うそうだ」
店主が一応の確認のため、男に目線を送る。男は、結構、というように頷く。マギー・メイが酒を受け取ると、男は自分のグラスを差し出す。マギー・メイは小さく鼻を鳴らすと、グラスを軽く当てて小気味いい音を立てた。
「さて、どんな仕事だ?」
「貴女に殺して頂きたい者がいます」
その言葉に、マギー・メイは舌打ちを漏らし、店主は顔を覆った。
「やめてくれないか。人の店で殺しの相談なんて」
マギー・メイは、わかっている、と言うとまたひとつ大きな溜息を漏らした。
「帰れ。時々、勘違いをしている手合いがいる。お前のようにな。私は傭兵であって殺し屋なんかじゃない。そんな依頼は受けない」
マギー・メイが、さっさと行け、と手を煽る。男は、それは困る、と食い下がったが、彼女は決して首を縦には振らなかった。
「本職に頼め。私は戦場以外で人を撃つ気は毛頭無い」
「貴女でなければこの仕事は任せられないのです」
「何故だ。私よりも腕の立つ者はいくらでもいるだろう」
「ロンズデール家をご存知ですね?」
男の言葉にマギー・メイは「もちろん知っているが」と頷いた。店主の方をちらりと見ると彼もまた「そりゃ有名だからな」と頷きを返す。
「オールドマネーの一族だろう。誰でも知っているさ」
「では、ロンズデール家がどのようにして財を成したか、ご存知ですか?」
マギー・メイと店主は顔を見合わせた。二人とも明確な答えを持たず、肩を竦める。ロンズデール家に連なる者が莫大な富をほしいままにしている事も、その名が政界に並ぶ事も知ってはいるが、元々は何で財を成したかなど、気にした事などなかった。
「大方、農園主とか金貸しなんかじゃないかね」
「いや、武器商人だろう。あれは儲かる」
二人があれやこれやと言葉を並べ、男はそれに首を横に振って答えた。
「お二人が挙げたもの、全てにロンズデール家は携わっています。ですが、ロンズデール家が財を成した理由は、他にあるのです」
いつの間にか男の話に興味を示した二人が耳を傾けると、男は静かに語り始めた。
「ロンズデール家には眠らない子供の言い伝えがあるのです。ロンズデール家の長子には、一睡もしない子供が産まれ、その子供が一族に財を齎すと言い伝えられています」
「迷信の類か?」
男はまた首を横に振ってその言葉を否定した。彼はロンズデール家の歴史上、確かに眠らない子供が産まれた時に、一族は更なる繁栄を迎えている、と語った。
「ロンズデール家では、眠らない子供は神様の話相手と呼ばれています。高い塔の上で神様の話相手として暮らし、神様はその子を気に入れば連れていき、その代価として一族に繁栄を齎す、と」
荒唐無稽な御伽噺のような話を真面目な顔で話す男に、二人は半笑いを浮かべるしかなかった。それでも男は大真面目に話を続けた。
「神様が連れていく、というのは文字通り、天に召されるという事です。そのため、ロンズデール家の長子、眠らない子供は皆、短命なのです」
呆れたように薄笑いを浮かべたマギー・メイは大袈裟に手を叩いて「いや、ありがとう。興味深い話だった」と言って、話を無理やりに切り上げようとした。
「まだ本題に入っていませんが」
「くだらない迷信の話はたくさんだ。耳を貸す気はない」
「せめて私のご馳走したお酒を飲み終わるまでは、お付き合い頂きたいのですが」
マギー・メイはそう言われて、テーブルに置かれた酒を見た。グラスに手を伸ばし、上立ちの香りを鼻腔に吸い込むと、確かに値が張るだけの事はあって、普段彼女が飲む酒より遥かに上等な香りが立ち上った。仕方がない、と呟いたマギー・メイは一口、酒を口にした。
「この一杯だけだ」
その言葉に男は、十分です、と頷いてみせた。
「お話した通り、眠らない子供は皆、短命です。ですが、長い歴史の中には、極々稀に長く生きる者もいるのです」
長く生きた眠らない子供は、これまでに三人。
そう言って男は指を三本立てた。
「長く生きた、という事は神様に気に入られなかった、という事です。神様のお気に召す話相手を献上出来なければ、ロンズデール家の繁栄はありません」
マギー・メイは酒を傾けながら、男の話を話半分で聞いた。くだらない話を聞かされるとわかっていれば、わざわざダブルでなど頼まなかったものを、と後悔しながらも、質のいい酒を一気に煽ってしまう気にはなれなかった。
「二人の眠らない子供が十五歳の誕生日を迎えた時、ロンズデール家は大きな災難に見舞われました。ロンズデール家の財が大きく目減りしたのは、後にも先にも、その二度だけです。二人が命を落とすと共に、ロンズデール家には平穏が戻りました」
そこまで話すと、男は一層真剣な顔をマギー・メイに向けた。
「三人目の長く生きた眠らない子供は、現在のロンズデール家の御長女、ソフィ・ロンズデール様です」
マギー・メイは「話が見えてきたな」と男に目をやった。
「つまり、十五歳の誕生日を迎える前にその子供を始末してくれ、と言いたいわけだ」
「仰る通りです」
「長い前置きだったな。美味い酒がなければ聞いていられなかった」
「恐縮です」
そう言いながらも悪びれる素振りの見られない男に、マギー・メイは毒気を抜かれる思いがした。
「……だが、私でなければならない理由はなんだ。子供一人殺すくらい誰でも出来るだろう。こいつに頼めば喜んでやるさ」
なあ、と店主に目線を向けると、彼は「勘弁してくれ」と眉を顰めた。
「どれだけ金を貰っても子供なんか殺せるかよ」
「……だそうだ」
「私は貴女にお願いしているのです」
「何故、私なんだ、と聞いている」
マギー・メイが男を威圧するように睨みつけた。それでも男は気にした様子もなく「奥様がお嬢様を殺す事に反対しているのです」と話を続けた。
「表向き、旦那様に従ってはいますが、お嬢様の住む塔に部外者を入れる事を拒み、お嬢様のお世話は全て奥様がなさっています」
「ならば、私も入れんだろう。その塔とやらには」
「お嬢様が十五歳の誕生日に、眠らずにお話相手になって下さるお相手を御所望になりました。方々を探した結果、眠らない傭兵の噂を耳にしたのです」
貴女の事です、と言った男にマギー・メイは、なるほどな、と答えた。
「貴女にはお嬢様のお話相手として塔に入って頂きます。そして、十五歳の誕生日の前に、お嬢様を殺して頂きたい」
男はもう一度小切手をカウンターの上に置いて「こちらは手付金」と言うと、もう一枚、小切手を差し出した。
「こちらは成功報酬です」
もう一枚の小切手には手付金の方が紙切れに見えるほどの金額が書かれていた。マギー・メイは、なるほどな、と呟くと手付金の小切手を手に取った。
「おい、あんた……」
まさか仕事を受けるんじゃないだろうな、と言いたげな店主を他所に、マギー・メイは小切手をひらひらと振って男を見た。
「どんな殺し方をしても構わないのだろう?」
「もちろんです」
「眠れないというのは辛いだろうな。なるべく眠るように殺してやりたい」
「では……」
マギー・メイは、交渉成立だ、と言って小切手を懐深くしまいこんだ。男は安堵したように一枚のメモ書きを彼女に手渡した。
「この日時に、この場所へ」
「いちいち換金するのが面倒だ。成功報酬は現金で用意しておけよ」
そう致しましょう、と言い残した男は紙幣を数枚、酒の代金にはずいぶん多い金額を置いて店を後にした。
マギー・メイも残った酒を一息に飲み干すと、さて、と呟いて席を立つ。
「いい酒が飲めた。もう行くよ」
「マギー・メイ。子供を殺したりするような奴は、二度と俺の店には入れないからな」
マギー・メイは薄ら笑いを浮かべて、構わんよ、と答えた。
「その頃には億万長者だ。こんな寂れた店に来る事もなかろうよ」
そう言い残して、酒が回って少しふらつく足取りを杖で支えながら店を後にしたのだった。
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