焼肉を食べるなら

満月とまと

焼肉を食べるなら



 焼肉を食べるなら、絶対に白いシャツとスラックスと決めている。襟元も首元のボタンも外さない、完全防御の全身白色コーディネートだ。ちなみに五着セットで持っている。

 前日にアイロンをかけておくのも忘れない。かといって焼肉にタレをつけないという選択肢はない。タレもたっぷりとつけて口元まで運び咀嚼、飲み込む、肉を焼く、繰り返し。

 今日も上下一つのシミもなく食事を終えて箸を置く。箸置きは店の箸入れで自作したものだから机が汚れることもない。常備している真っ白なハンカチで口元を拭ってフィニッシュだ。


「………今日も変態ですね、筧さん」


 目の前にいる女は今日も全身黒づくめで俺のことを化け物を見るような目で見上げてくる。少し長めの前髪の隙間からギョロリとしたものが俺を見る。ロングヘアーは毛先までまっすぐで艶やかなのにやたらと目がでかいので見方によっては昔の怪談によく出る妖怪扱いされること間違いなしの光景だ。

 一歩間違えたら恐らくはとても美しい女なのに、彼女の雰囲気がそうはさせない。8割は服装と目の印象のせいだとは思う。

 彼女の名前は広橋のぞみ。25歳。小学校の時のあだ名は貞子で高校ではデメキンだった、とは本人の弁。俺より十も歳下だが断じてパパ活などではない。

 女の皿にはまだ肉が残っている。皿に飛び散っているタレは机にまで飛んでいておりいつ見てもそれは、


「相変わらず君は食べ方が汚い。俺を手本に美しい食べ方ができるようになりたいと懇願してきたのは君の方だろうに。一体いつになったら上達するんだ? 俺は毎週焼肉をあと何ヶ月続けたらいいんだ?」

「私の婚活が成功したらとっとと終わりますよ。この食べ方でもいいっていう殿方が現れたら」

「いるものかそんなやつ」


 俺の焼肉のルーティーンは三週間に一回だったのに、彼女と出会ってからは毎週焼肉になってしまっている。俺がいつものように何一つ汚さず完食する様を見て感動したとのことで泣きついてきたのだ。聞けば彼女もここの常連だという。確かにここの肉は美味い。仕入れにこだわっていると書いてあるだけある。…その分決して安い値段ではないのだが。

 会計が彼女持ちなのは彼女から言い出したことなのでいいとして、彼女の食べ方が全く改善しないのはいただけない。箸の持ち方は間違っていないし、自分は目で見て覚えるタイプだと言っていたのに全く俺の所作を取り込んでいない。

 どういうことだ。君は俺の何をどこを見て今日も机を汚しているんだ。


「しかしよく金が続くな。漫画家はそんなに儲かるものなのか?」

「ピンキリですね。自分で言うのもアレですけど私はスーパーレアな方です。私は服や家にお金をかけないので」

「まさかの婚活デートもその格好か?」

「勝負服です」


 出会った時から全身黒づくめで何かしらのこだわりは感じていたが…待ち合わせに現れたらなかなかパンチが強い見た目だと思う。長袖ロングスカート真っ黒コーディネート。ゴス? パンク? あいにく俺にはファッションの知識がないのでわからないが…あだ名をつけるなら貞子よりは魔女じゃないか? とは思っている。

 しかしこの格好とこの目つきで良いところまでいった相手に最終的に食べ方でフラれたというのもなんとも。

 確かに俺の所作に比べたら美しくはないが焼肉を綺麗に食べ切れる人間の方が少ないことを俺は知っている。ので、もしかしたら単純にそいつとは合わなかっただけではないかと思っている。別にわざわざ口を出すことでもない。


「でも次の人はいいです。ご飯を美味しく食べる子だいすきって言ってるんで」


 そう言ってトマトジュースをチョビチョビ飲む姿はさながら生き血を啜る生命体に見えなくもないが…まあ俺も毎週食べ方が変態だと罵られながら焼肉を食べる生活にも飽きてきている。

 そろそろミートパスタを食べに行きたい。もちろん前日にアイロンをかけた白いシャツで、だ。


「じゃあまた来週。ごちそうさまでした」

「はい」


 背の低い彼女はすぐ雑踏に消えていく。後ろ姿だけ見るとサラッサラの黒髪は大和撫子に見えなくもないな、と思った。振り向いた時にあのギョロッとした目玉が飛んでくるのは驚くだろうが。彼女も好きで目が大きいわけではない。

 次の相手がデメキンが好きなことを祈ろう。


「いっぱい食べる子( かわいい子限定 )が好きな男って死ねばいいと思いません?」

「……ダメだったんだな」

「ダメっていうか、ホテル連れ込み系でした」

「そうか。死ねばいいな」

「筧さんの倫理観は好きです」

「倫理観?」

「すみません脳直ツイートを…」


 彼女の話はたまによくわからない言葉が飛び出してくる。やはり漫画家という仕事をしているとクリエイティブな単語に囲まれていたりするのだろうか。最近やっと若い者が言うリスケだかなんだかのカタカナに慣れてきた俺はついていくのがやっとだ。

 しかしツイートってあれか?今はもうなくなったサービスのやつじゃないか?ラジオのパーソナリティもたまに言い間違えてるやつ。

 今日も彼女は机をタレで汚している。紙ナフキンで拭く一手間をなぜか惜しむので食べ終わった後に一気に綺麗に拭いている。途中どうせ汚れるからと言って聞かないのだ。仕事もそうなのかと聞いたらいつもより三倍は恨めがましい目で睨まれたので図星だろう。


「……あまり理由を聞くのもどうかと思っていたんだがもう三ヶ月になるから聞いてもいいだろうか。君はどうしてそんなに結婚がしたいんだ?」

「普通は初回で確認しますよね」

「そうか? 俺のこの完璧で美しい食べ方を是非ご教授願いたいと言われて他に理由がいるか?」

「………」

「なんだその顔は」

「チベスナ顔です」


 チベスナ顔? あとで検索しておこう。もしかしたら仕事で必要な知識かもしれない。

 それはともかく、そろそろ本気で俺も週末ミートパスタやもつ鍋が食べたいところだ。日々の肉体管理で余分な肉はついていないはずだが俺も歳なので毎週焼肉はそろそろ心配になってくる。三十路の太りやすさを舐めてはいけない。


「…今年になって今更気付いたんですけど、私、誰かとご飯食べるの好きだったんですよ…好きな人と食べるご飯は美味しいって本当なんですよ…どうして忘れてたんだろう…」

「ん? だった?」

「この仕事と同時に上京と一人暮らしを始めてしまってそれからめんど……なんやかんやあって地元に帰ってなくて。友達とご飯食べてなくて。昔は毎週友達とかと外食してた反動が今、やっと」

「こっちで作ればいいじゃないか」

「正論は時に人を傷つけるんですよ」

「なんだ、俺は友達じゃなかったのか」


 その時の顔ときたら。さっきのチベスナ顔とやらとも違う。いつもの恨めがましい顔ともまた違う。なんというか、本当に驚いた顔、というのが一番しっくりくるのだが俺はこんな風な顔をいつかどこかで誰かにもさせたなぁと一瞬だけ思い浮かんですぐに忘れた。


「……筧さんは…師匠です…」

「そうか君は弟子だったのか」

「……そうです、今のところ」


 語尾はゴニョゴニョと小さく消えていく。話しながらも俺は今日も焼肉をひっくり返すのを忘れない。彼女にトングを握らせるとカルビを焦がすので任せられない。ので、俺の焼肉はいつも忙しい。

 焼けたら肉を彼女の皿に運ぶのだが出来るだけ美味しい瞬間を食べてほしいので焼く配分や運ぶ配分も全て俺の手にかかっている。

 そうか、お互いのペースで飯を食いたいのもあるな……二人の焼肉はこういうときに大変だ。


「あ」

「何ですか」

「…盲点だった。何も焼肉である必要はないんだ」

「?」

「君、俺とミートパスタを食べに行かないか」


 知らない表情2回目だ。なぜか口をぱくぱくとさせている。火が熱すぎたのだろうか心なしか頰も赤いがここで弱火にするわけにはいかない。俺の極厚カルビが生焼けになってしまう。


「毎週焼肉で飽きていたんだ。そろそろミートパスタが食べたい。もつ鍋も食べたい。チーズがめちゃくちゃ伸びるピザも食べたい。あ、もちろんその場合の会計は俺も払う。君は焼肉の食べ方を真似させてくれと言ってきただけだからな」

「…それは……デー…いや、なんでもないです。はい、わかりました。ミートパスタ食べます。筧さん服装は」

「もちろんこの格好だ」


 俺は連勝無敗の男。ミートパスタのソースを飛ばしたことなど一度もない。もちろんデロンデロンのチーズを途中で落としてしまったこともない。

 ミートパスタのソースを飛ばさず食べることが出来たら焼肉だっていけるだろう。たぶん。たぶんだが。とにかく俺はミートパスタが食べたいんだ。


「俺のオススメの店があるんだ。是非君にも食べてもらいたい」

「……っ死ぬ気で原稿終わらせます」


 死んでもらっては困るがいつも原稿が終わってから焼肉だと言っていた。肉はパワーだからな。はたしてあの店の肉のメニューは多めだっただろうか。帰ったらチベスナ顔と一緒に検索をしなくては。


「ありがとうございましたー」


 いつもの店員さんに伝票を渡していつもの飴をもらって店を出る。そうか…来週はついに焼肉以外か…

 楽しみだなと振り向くといつもより気持ち小さめに女は縮こまっていた。食べすぎたのかと問うと「胸がいっぱいで…」と何故か感極まっていた。


「なんだ。君も焼肉以外が食べたかったのか。てっきり『白シャツを汚さずに完璧に焼肉を食べる方法』を手に入れたいのかと…」

「焼肉を食べる筧さんは美しいですが推しの新規絵が拝めるのは何よりの喜びなのでミートパスタバージョンのスチル楽しみです」

「うん? 楽しみってことでいいんだよな?」

「はい」


 早口で楽しみってことしか聞こえなかったが楽しみならまあいいだろう。そういえば俺も毎週彼女と食事をするのが存外楽しみだったのかもしれない。毎週変態と言われているだけなのにな。

 …俺もおかしくなったのだろうか。







 親戚がお肉屋さんを経営していてそこの次男が焼肉屋を始めた。かくして私の大学生活のバイト先はそこになった。

 仕事は大変大変めちゃくちゃ忙しいけど美味しい肉を食べにくる人たちはいいものだ。店長の肉の見る目が間違いないというのもある。やはり肉は全てを解決する。

 そんな我がバイト先に、毎週焼肉を食べにくる人たちがいる。一人は全身真っ白コーディネートの男の人でもう一人は全身真っ黒コーディネートの女の人だ。私は心の中でオセローズと呼んでいる。

 焼肉食べるのに全身白ってカレー食べる時に白い服なのと同じスリルじゃん!? と思ったのだが男の人は真っ白な服を一切汚さず完食して退店していく。しかも毎回。プロだ。何らかの。

 女の人は服黒いからかよくわからない。もしかしたら汚しちゃうから全身真っ黒なのかも。

 二人は時に仲良く時に喧嘩しながら毎週焼肉を楽しんでいるように見えた。あとたまにちょっといい感じに見えるのだがこれは完全な邪推である。


「今日もパンダーズ来てたな」


 なんということだ。先輩はパンダーズと呼んでいた。『ーズ』までかぶってるじゃないか。そんな被りある?


「でももう来てくんないかもしんない。なんか次はパスタ食べるって話してたから」

「そんな…オセローズの結末が…」

「君オセローズって呼んでたの?」


 しまった。でも今掘り下げるべきはそこではない。


「あの二人なんなんですかね? なんで毎週焼肉食べて解散してるんですか? 現地集合現地解散ですよね」

「もともとあの黒パンダさんがうちによく来てたんだよね。髪がもうすーーーごいショートの時から。なんか途中からめちゃくちゃ伸ばしてるけど。んで黒パンダさんは白パンダさんのシャツと机にジュースこぼしちゃったことあるんだけど」

「えっ 大事件」


 黒パンダ呼ばわりに突っ込みたかったのにそれどころじゃなくなった。あの白パンダさんがシャツを汚したところなど一度も見たことない。机までも。机までもを!? …いや机は汚れるものだ。白パンダさんの卓が異常なのだ。

 一体どんな反応をしたのだろう。烈火の如く怒り狂ったりなどしたのだろうか。


「白パンダさんは爽やかスマイルでいいですよお嬢さんは大丈夫でしたかと相手を気遣った上にテキパキとその場の掃除を始めて俺の出る幕がなかった」

「先輩…」

「綺麗になった卓、スマートに立ち去る後ろ姿、恋に落ちる音がした…俺が…」

「先輩」


 なるほど、黒パンダさんは白パンダさんを知っていたわけか。でもたぶん白パンダさんはそれ覚えてないっぽいな。


「…まあ、そういうことだろうな」

「ですねー…パスタ食べいくのか…そうか」

「まあでもこういうのは、たまには俺たちの出会った焼肉にって戻ってくるのがセオリーだからそれに期待しよう。…ドラマの見過ぎかな?」

「ですね」


 それでも私もそれに賭けたいな、と二人分の伝票をピンにひっかけながら思うばかり。

 願わくば変わらない真っ白なシャツでお越しいただけると大変嬉しい。

 店長の仕入れた美味しいお肉とともにお待ちしております。

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