13:五百円の記憶 感想

お話

https://kakuyomu.jp/works/16818093078124332759/episodes/16818093078789839329


 ありがとうございます、筆者はこういうお話が大好きなんです!!


 いやね、元々『可愛い』への憧れを抑圧されてきたことに対する鬱屈を、よりにもよって知らないおじさんから向けられる下劣な欲情によって解きほぐされてしまうという、このなんともいえず甘露なエロティシズム……。男の娘系成年漫画も愛好している身としては、やはりこういうお話に感じ入らないのが無理のある話というものなんですよね。

 卑劣なおじさんの要求を飲んでしまったことへの恐怖、そして「罪」の意識。それらが原体験となって至る現在。筆者、別の作品の感想でも書いてしまいましたが、こういう「性との出会いによって子どものままではいられなくなってしまった青少年(これは性別問いません)」という概念が大好きなんですよね。この『五百円の記憶』の主人公は、そうやって性との忌まわしき(?)出会いによって何かを壊されてしまった子なんですね……Marvelous。


 いや、少年の頃に痴漢されたことのある筆者からすると、本当に男の子でも性被害って他人事じゃないよということを切に訴えそうになるのですが、ともするとこの主人公くんも明らかな被害者であり、現在の姿もその「事件」のトラウマと、そのときに肯定されてしまった「可愛い」が心を乱しに乱し続けているんだろうなというね……。いや、纏まりがなくなりましたが、何が言いたいかというとトラウマから若干病みに入った男の娘って最高だねということだったりします。


 ところで、男の娘っていろいろあるじゃないですか。成人向け漫画を始めとして二次元で出てくる男の娘は過半数くらいの割合でほとんど女の子だけどギャップを押してきますが(メス堕ちする姿も可愛いですよね、本当に、だけでほぼ女の子なんですよ。きっとメディア化したときも女性声優さんで声を当てられそうです)、たまに女装していて仕草や表情も可愛いけど、どうしようもなく骨格がを主張している男の娘というのも筆者は大好きです。というか、あくまで男であろうとする男の娘(非女装だけどただひたすらに可愛い)もいいですよね、男の娘の世界って広いなと思わされます。考えてみたら、男の娘というと最近では日曜日の朝に活躍する男の娘もいるらしく、そうですね、筆者たちが十数年前、いや数十年、いやいやお稚児趣味の時代から考えると可能性としてはもっと昔から推し奉ってきた男の娘という存在に、ようやく世界が追い付いてくれたということでしょうか。ちなみに古代ギリシャでは「少年愛」というのがわりとメジャーというか当たり前のものとして認知されていたらしく、ひょっとしたらそのままの世界観だと「男の娘」という概念も生まれないくらい当たり前の存在となっていたかも知れませんね。禁欲を是として性愛の形を狭めようとした諸体制に、その点だけでいえば感謝すべきなのかも知れません。だって我々は男の娘を買うとき、男の娘の若く瑞々しい両性的な身体と同時に、これまで様々な弾圧を経てすっかりマイナー寄りに追いやられてしまった「男の娘」への背徳感も買っているのですから(筆者はそういうことしていませんけれどね、安心してくださいね)


 そして男の娘というと、叔父さんを誑かした(実際にはこのお話の主人公のような経緯で手を出された)として母親から憎まれて木の虚に突き落とされたことで不思議の国に迷い込んだ「アリス」という少年が、女の子として不思議の国の住人たちにたっぷりと愛される漫画があったなと思い出したところで、『五百円の記憶』の感想とさせていただきます。

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