13:五百円の記憶

 今でも鮮明に思い出される、あれは間違いなく犯罪だった。当時の僕は気づかなかったけれど。いや、いけないことをした自覚はあった。ただ、それは見ず知らずの人からお金を――それも当時の僕からしたらものすごい大金をもらったことに対する罪悪感に過ぎなかった。



 僕が小学生になったばかりの頃。公園で遊んでいた僕は、どうしてもトイレに行きたくなり、少し離れたところにある薄暗いトイレへと向かった。友達は先に帰ってしまい、僕は一人だった。

 僕がトイレに入ると、後ろから大人の人が入ってきた。知らないおじさんだ。僕はズボンを下ろし、おしっこをした。おじさんはただ僕の隣に立って、じっと見ている。すごく変な気持ちだった。

 突然おじさんが「ああ」と声を出した。僕がびっくりして顔を上げると、おじさんは「かわいいね」と言った。見られるのは嫌だったけど、僕はちょっとだけ嬉しくなった。「かわいい」って言われるのが、好きだったから。可愛いものも好きだった。妹がフリルのついたドレスを着たり、リボンを付けたりしているのを見て、自分もあんな風に可愛くなりたいといつも思っていた。でも、僕が同じことをすると親に怒られた。妹には許されることがどうして僕には許されないのかわからなくて、羨ましかった。


「これあげるから、もう少し見せて」


 おじさんが差し出した手のひらには五百円玉があった。五百円! 当時の僕には信じられない大金だった。気づいたときには、その五百円玉は手品みたいに僕の手に移動していて、僕はその五百円玉から目が離せなかった。

 僕が五百円玉に気を取られている間に、おじさんは何枚も写真を撮った。「誰にも言っちゃダメだよ」と低い声で言われ、僕は急に怖くなった。おじさんがトイレを出て行ったあと、まだパンツをちゃんと上げていないことに気づき、慌てて履いた。

 走って家に帰り、すぐに五百円玉を引き出しのすみに隠した。でも、いつまでも隠していることに耐えられず、僕はそれで八十円のアイスを買った。悪いことをしているような気がして、味もよくわからなかった。五百円玉が百円玉と十円玉に変わったとき、なぜかとても安心したのを今でもずっと覚えている。



 

 あれから十五年。僕は相変わらず可愛いものが好きだ。「かわいい」と言われたくて、今日も可愛い服を着て、可愛いメイクをしている。そして、マッチングアプリで趣味のお兄さんを探す。


「こんなにかわいいのになんて最高だね」


 そう言ってくれるお兄さんたちのことが僕は大好きで、そんなお兄さんたちに今日も生かされている。

 明日もアプリで知り合ったお兄さんと会う。一時的な儚い幸せに過ぎないけど、今の僕を支える大切なものだ。僕には縋るしかないから。ときどきお小遣いをくれる人もいる。数えきれないほどの諭吉が僕の上を通り過ぎていったけど、心の奥底にはあの日の五百円がずっと居座り続けている。

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