12:6歳上の未亡人を娶った僕の馴れ初め

 幼少期は王都に構えた別邸で過ごしていた。領地の本邸には伯爵を引退した祖父と祖母がいて、両親は王都に住んでいたからだ。


 だが本当は、祖父は僕だけを領地に呼び戻そうとしたと後に聞いた。


「華やかな王都に染まり金のかかる遊びを覚えては困る。長男は交遊関係を広めるため仕方のないところもあるが、次男のハロルドは領地で地味に過ごさせよう。将来は兄の補佐を立派に務められるよう、領地経営を俺が直接教えてやる」


 これに僕の両親が強く反対をした。「まだ6歳の子供に親と別れて生活させ厳しい教育を施した挙げ句、爵位も継がせずただの補佐とはあまりにも酷だ」と断ってくれたのだ。


 お陰で僕は王都に留まれた。勉学に励み城で文官として出世し、今では兄のコルゾ伯爵よりも一部では有名なのだから、人生とはどう転ぶかわからないものだ。


 本当にどう転ぶかわからない。彼女とのことも。


 王都の邸宅が隣同士で互いの兄が同い年で気が合うという理由から、ミード子爵家の兄妹とは交流が多かった。


 ……実際は僕は完全にオマケ扱いだったけれど。当時13歳の力を持て余していた兄は、年の離れた弟相手ではろくに遊べないという不満をミード子爵令息で解消していた。


「僕も馬に乗りたい!」

「うーん、ハロルドにはまだ無理かな」

「ハル、お前はまずおねしょを直してからにするんだな」

「……兄様の馬鹿!」

「アマンダと良い子で待ってろよ」


 多くの場合、彼らは僕の世話をミード子爵令嬢であるアマンダに押し付けて遊びに行ってしまう。最初の内は僕にとってそれは不満だった。アマンダは僕の6歳も上で木登りや虫捕りもやらない女の子だったから、一緒に遊ぶと言っても本を読んだり人形遊びをしたりとつまらなかったからだ。


 アマンダはこの時既に美しかった。瞳は緑を帯びたあおで、人に言わせると海の色なのだそうだ。当時はその意味がわからなかったが、初めて海を見た時、その美しい色に彼女を思い出して胸を締め付けられたものだ。


 その碧い瞳で僕を眺めて彼女はこう言ったと思う。


「ハロルド様は本当に本がお好きですね」

「別に」


 人形遊びよりはマシだ、という言葉を伏せ、僕は目の前の絵本に意識を戻した。最近文字がするすると読めるようになってきて本を読むのが楽しいのは確かだ。


 最後のページを読み終え、次に何を読もうかと本棚に寄る。遥か上段に銀の箔押しが光る赤い背表紙が目を引いた。手を伸ばすが全く届かない。本の位置や装丁からして子供向けでは無かったのだろうが、僕は余計にムキになって限界まで爪先立ちになる。伸ばした手が震えた。


「これですか?」


 突如、僕の視界の端に黒いベールがかかり柔らかい感触と甘い匂いに包まれた。僕の手よりも長く、白く細い手が赤い本に向かう。ただ、彼女でも少し難しいほど高い位置にあったので、アマンダは僕の身体に自分のそれをぴったりと寄せ、少し爪先立ちでそれを取った。


「あら、法律の本です。私も読めませんからハロルド様にはまだ少し早いかもしれませんね」


 彼女は後ろから僕を軽く抱くような格好のまま、本の表紙を見せた。いつもならまだ早いと子供扱いされた事に怒ったかもしれない。

 だがその時は違った。


「うん……」


 アマンダの香りが甘く、ただひたすらに甘くて頭をぼうっとさせる。目の端に映るのはベールのような黒髪。背中からは彼女の体温と柔らかい感触が伝わってくる。


 あの時、後ろから抱かれていて良かった。僕の顔が本に負けぬほど赤いのを見られずに済んだから。


「僕、ちょっと喉が乾いたから!」


 そう言って書斎を飛び出した。心臓が苦しい。逃げ出したばかりなのに、後ろ髪を引かれるような気持ちになる。彼女の側に戻りたい。でも戻れない。自分の中の矛盾した感情に僕は混乱した。



 それから暫くしてだった。父が「ずっと一緒に居たい」と思ったから、母に薔薇の花を送り求婚したという惚気話を聞いたのは。結婚すればずっと一緒に居られる。


 あの甘い香りを、絹のような黒髪を、碧い瞳の笑みと……ずっと一緒に居られるのなら。


 僕は次の日、庭で一番上等な薔薇を一本切って貰い、隣のミード子爵家に遊びに行行った。


「ハロルド、それは?」

「アマンダに渡したくて」

「ああ、妹はテラスで友達と……」


 彼女の兄の言葉を最後まで聞かずに僕は駆け出し、友達とのお茶の最中に割り込んだ。それがどんなに失礼か、後にどうなるかわからずに。僕は本当に子供だった。


「アマンダじょう、ぼ、僕とケッコンしてください!」


 彼女に薔薇を差し出すと、周りの女の子がクスクスと囃し立てる。


「まあ、可愛いわね。うふふ」

「素敵な紳士からのプロポーズよ、どうするの? アマンダ」


 彼女はこの場で僕を傷つけてはいけないと思ったのだろう。小さく微笑んで薔薇をそっと、受け取った。


「ハロルド様、ありがとうございます。とても嬉しいですわ」


 僕は天にも昇る気持ちになった。


 この4年後、僕より15歳も上の男に彼女が嫁ぐとも知らずに。

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