牡丹の花の釦

藤泉都理

牡丹の花の釦




「ふざっけるな!!!」


 皮膚を引き裂かんばかりに強く握りしめた拳を左頬に叩きつけた。

 その衝撃か、はたまたすでに粉砕していたのか。

 牡丹の花が彫られた釦の欠片が掌に喰い込んだ。


 俺が拳を左頬に叩きつけたこいつから貰ったばかりの釦だった。

 この国の王が持つ、国王だけが持つ、釦だった。


 俺が憧れていた国王が持つ、釦だったのだ。







 ずっとずっと憧れていた。

 ちゃらんぽらんで、常に側近に意見を求めてばかりで、書類業務から逃げてばかりで、仕事をしてくださいと追いかける側近から逃げてばかりで、王妃に弱くて、誰からも気安く話しかけられるくらいに国王の威厳が皆無で。

 情けないと誰も彼もが言っているのに、そういう時のみなの顔は、声音は、態度は、とっても優しく温かい。

 国民に安心感をもたらす国王。


 ずっとずっと、憧れていたんだ。

 あんな国王になりたいって、ずっとずっと真似し続けて来たんだ。

 いつの日か、と、夢を見続けてきたのだ。

 いつの日か、国王の証である、牡丹の花が彫られた釦を手渡されたい。受け継ぎたい。

 その時はきっと、国王も俺も、笑顔で。


 それが、

 それなのに、


『それ。やるわ。もう、俺、要らね。こいつと一緒に国を出るわ』


 王妃の肩を組んだ国王は、牡丹が彫られた釦を俺に放り投げた。


『おまえにぜーんぶ、任せたわ』


 ちゃらんぽらんな言い方が、癇に障った。

 蔑んだような視線が、癇に障った。

 国王の証である釦を軽々と放り投げた行動が、癇に障った。

 冷たく乾燥した空気が、癇に障った。

 見慣れた笑顔だったのに、好きな笑顔だったのに、どうしてか、どうしても、癇に障った。


 こんなやつ、国王じゃない。

 国王じゃなくなった。

 憧れていた国王なんかじゃ。

 かつて憧れていた国王は、居なくなったのだ。


「さっさと消えろ!二度と俺の前に現れるな!」

「もっちろんでーす。あ~あ。やっと自由になれたわー。まったく。国王になんてなるもんじゃねえわなー」


 もう一発殴ってやる。

 怒髪天を衝いた俺が背を向ける男に駆け寄ろうとしたが、王妃が立ちはだかったのでそれは叶わなかった。


「王妃様」

「わたくしはあの方と共に国を出ます」

「あんな男についていったら、この先痛い目を見るだけです。この国に残ってください。俺が王妃様を守ります」

「もうわたくしは王妃ではありませんよ。国王様」

「………」

「わたくしがついていかないと、あの方が痛い目を見ますので」

「見ればいいのですよ。あんな男」

「ええ。そうですね。あんな言い方しかできないのですから。一度くらいは、痛い目を見た方がいいのかもしれませんね」

「どうしても行かれるのですか?」

「ええ。どうか、無理はなさいませぬように。あなたの道を、お進みください。あの方の真似事ではなく」


 王妃は、いや、母上はそう言うと、俺の両の手を取って、強く握りしめてくれた。






「俺の道」


 俺は、両の手を見下ろした。

 右手は、砕けた釦が皮膚に食い込んで、血が少し出ていた。

 左手には、母上から手渡された釦があった。

 国王の証である、牡丹の花が彫られた釦が。

 俺がかつて憧れていた国王が身に着けていたものよりも、うんと、不格好な牡丹の花が彫られた釦が。


「………ばか。くそばか親父」




 彫るならもっとずっときれいに彫りやがれ。












(2024.6.8)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

牡丹の花の釦 藤泉都理 @fujitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ