第45話 大団円の後日談

 かつて行きそびれたと大路が語っていた県外の有名テーマパーク、『ドリームランド筑島』に瑞穂は来ていた。大人も楽しめる鑑賞施設が多いテーマパーク内を彼を引き連れて散々遊び回って満足したのはいいのだが不機嫌な大路と目の前の存在をみて瑞穂は自分のやらかしたことについて反省していた。

 というのも――……居る・・のだ。大学組の仲間たちはおろか、瑞穂がと慕うあの人までも。

 そのせいで彼のこめかみはピクピクと反応している。額に青筋を立て本格的にキレる一歩手前なのが見るからにうかがえて瑞穂は背中の冷や汗が止まらない。

 自分が選択を早まったことに気づく。後悔してもまったく遅いのだが、瑞穂は相談相手・・・・を間違えていたことをはっきりと自覚するのだった。



「お、お前っ……そないな顔と態度しといて意気地がないなあ。男なららしくいったれ……グフ、お名前呼び合うだけじゃなくって、なあ?」

「なんで……あんたまで…………」

「うぇ、あ、ちょっと!? 待って待って、すごい顔してるよ!?」

「これ預かってて。あいつ泣かしてくる」

 瑞穂にショルダーバッグを預けて兄貴と殴り合おうとしている大路。自分の落ち度が招いた出来事とはいえ乱闘騒ぎはまずいと慌てて止めに入る。

「駄目だって! ここ遊園地! 地元じゃないし取っ組み合いの喧嘩は――ああああ!?」

 兄めがけて走り出す大路。水島は妹と弟の動向をちくいち観察してたらしく、ふたりがどこでどんなやりとりをしてたのか明け透けに叫びながら逃げ回っている。これにはさすがに瑞穂自身もいたたまれなかった。

 顔をおおって小さく屈んでしまう。

 その背を希沙良が撫でた。

「一応、私は止めたんだけど」

(でもいるじゃん……)

 瑞穂は頬をふくらませてツッコむ。


 つまり、そう。あの兄と愉快な仲間たちは実弟大路義妹瑞穂のお出かけをこっそり観察していたのだ。



(うわあ最悪だよ……)

 大路も瑞穂と同じ被害者である。いや、彼の方が心当たりがない分余計にひどいだろう。

「地獄絵図なんだが!? すきな子との初デートに顔見知りがほぼほぼ集合で一部始終目撃って!! どんな羞恥プレイだおい。俺たちは見世物じゃねえ……、とくにお前!!!!」

 びしっと指差した先にいる兄はいまだツボっているようで笑い転げていた。

「あひゃひゃひゃひゃ。大路の恋路ラブ・ロードっておもろいなあ。センスあるわあ」

「てっめぇそんなに殺されてえのか。それならまたあいつの胃袋の中に放り込んで――」

「うわあやめてあげて!? それおにいちゃんのトラウマ! 禁句禁句ー!」

「うっぷ……ぎぼちわるぃ」

 瑞穂が兄の介抱するのを自業自得だろとじつの弟は静観している。なんなら追撃しようとするのを真澄や難波に止められて歯がゆそうではあった。なおその二名の顔は盛大にニヤけていたのもあって大路の怒りは引かない。


 たしかに大路と水島とは約束をしていた。事件に巻き込まれ結果的に反故にされたが消化していなかったTODOリストの一つではある。しかしタスクの処理においてもこれは悪手ではないだろうか。

 弟はノリノリな兄にたいして思った。

 なぜ身内の恋愛事情なんてものに首をつっこみ、わざわざ妨害のような真似をするのか。頼むから黙って祝福しててくれと願わざるを得なかったのだ。遊園地でもなんでも付き合ってやるから今日ここにだけは居てほしくなかったと再三思っている様子。

 表情で態度で、全身で兄に拒否反応を示すもたいした効果はなかった。


 その兄はと言えば急に顔を乙女のように赤らめていた。

「なんで今頃照れてんだよ!? こっちの方が死ぬほど恥ずかしいんだが!? なぁほんと、いまからでも帰ってくれよ!」

「あかん。これが実弟かと思うとサブイボでてきたわ。……帰ろ」

「ほざけ!」

 兄の背中を長い脚で蹴りつける。見事に決まったケリが炸裂し兄貴は腰から崩れ落ちた。

「勘弁してくれ〜〜ひぃ」

 と思ったら引き笑いで思い出し笑いをしているだけだった。今度こそ大路が四つん這いの笑い上戸を足蹴にする。

「来ちゃった」なんて女子のアピールようにのたまった兄は正座で経緯を説明し弁明していたがいたたまれなくなったのか自分の彼女にヘルプを要請している。電話口で断られてついでに彼女に叱られた水島。そうしてしぼんだ彼は瑞穂にだけ手をちいさく振ってすごすごと帰っていった。



 大路が仲間たちにきつい視線を送ると揃って目をそらすが空気が読めなかった夏帆がスケープゴートにされてしまった。

「だってお月さまが言ってたもん。『楽しんでまいれよー』って! だからあたじ参加じただけなのに全然遊べなくってつまんない゛〜〜」

 派手に号泣する夏帆が逆に憐れに思えたのか、彼女だけは許されるも他全員は馬に蹴られる前にと、蜘蛛の子を散らすように隙をついて逃げ出していった。

 なおお月さま・・・・とはツキガミのことである。どうやら差し金はあの神らしい。

「なんてお節介な」と、大路はツキガミを思い出し痛む頭を押さえていた。





 ベンチに戻ってクールダウンする大路。瑞穂も彼の隣に座り直した。

「くそ。最悪な記念日になった……」

「あははは……。まあ、みんなといい思い出ができたと思って、ね?」

 頭をかく大路をなだめるように瑞穂は言った。一応悪気はないと思うのだ。内輪ノリは激しいが。

 遠いところの街頭を眺めていた大路がつぶやく。

「次はどこがいい」

「え?」

「次の……で、デート先の…………、話だ」

 目をそらしつつも大路が瑞穂の手に手をかぶせた。つないだ指を絡めるようにして瑞穂も応じる。

「次かあ。今度はふたりだけでお祭りとか……あるいは遠出して海、とか? ねぇ天摩てんまくん!」

「ああ。……名前、知ってたのか」

「じつはいつ変えたらいいか迷ってたの。そろそろいいよね?」

「もちろん。……呼んでほしかったから、嬉しい」

 チークとは違った赤みのある頬で大路が控えめな笑顔をみせる。瑞穂はそんな彼の顔に見惚れてしまった。

 だがすぐに笑顔を引っ込めて彼はいう。

「ただし頼むから――今度は相談相手を選んでくれ。あの神と兄貴とかいう俗物は永久追放でよろしく」

「は、はぃ」

 釘を刺された瑞穂は萎縮しつつ干からびた声で応じた。



 そんな瑞穂の肩を引き寄せて大路がしずかにみつめている。

 夕方、人気のなくなった園内の一角で覚悟を決めた瑞穂は目を閉じてみせた。


 迫る気配に胸の高鳴りは最高潮。

 唇に当たった吐息を感じて、心臓が跳ね上がる。


「っ……」


「ひゅ〜〜、さっすが王子様」

(え?)

 隣の茂みから衣擦れとわずかに人の声が漏れていた。ふたりの雰囲気が変わったことに植物の壁の向こうは気づいていないらしい。


「なんやこのムズムズする甘酸っぱい空気わぁ」

「いけ、そこだ! もっとけだものになれ」

「しー、だまって! 聴こえないじゃない!!」

「せや! うちがちゃっちゃかくっつけたろ」

「おいばか!」

「ちょっと、押さないで!」


 瑞穂はそっと薄めを開ける。彼は目元に手をやって武者震いしていた。

 ピキリ、と額の血管が浮いているのをいつもより近い距離で瑞穂は見てしまった。

 大路はすでに臨戦態勢に入っている。


「か〜〜、じれってぇな!? ここはおれがやらしい雰囲気にしてくるぜ」


 覗き魔たちのダメ押しの一言。ついに沸点を超えた大路がオーバーヒートした。


「おまえら……! さっきので懲りてなかったんだな……」

 大路が亡霊のようにゆらめき立ち上がる。茂みを回り込もうとする彼に気付いたのか、声があがる。

「あかんこっちみた! バレとるやないかい!?」

「え嘘!?」

「まずい」

「逃げましょう!」

「撤退命令! 全軍退却、殿しんがりは難波氏に任せるっす!」

「ちょおお前俺を生贄にするなよ!?」

「でも大路氏こっちに来てるっす。じゃ!」

「『じゃ!』じゃねーよ! 死なば諸共、お前も道連れじゃー!!」

「ヒイイイイイ!?」

 オタクロは今度は逆に難波にしがみつかれて身動きがとれなくなった。その間に逃げようとした面々だが古式ゆかしい聞き耳スタイルもあってバランスを崩しながら巻き添えで倒れた。

 乱入者は一網打尽。ドミノ倒しで犯人は一斉に確保。逃げ場のないまま、被害者がまくしたてる。

「どいつもこいつも他人をくっつけて色恋で遊ぶのも大概にしておけ!」

 冷気を発して憤っているのは怒り心頭な大路。まだのぞいてた面々に説教をしている。とくに難波は先の発言もあり、他の女子も混ざって注意をしていた。


 瑞穂はある意味では安堵していた。でも同時に期待もしていた。あのままだったらあたし――、と唇をそっとなでてみる。


(キスってどんな感触なんだろ)




 矛先を収めた大路を説得し、せっかくだからと言い出したみんなと記念撮影をすることになった。早く遊びにいきたい夏帆がタイマーを起動している間に瑞穂は大路と手を繋ぐ。

「そういえばあの時も繋いでたよな」

「ああ、ケガレに奇襲した時だよね。ちょっと懐かしい感じがする」

 瑞穂はしみじみと思い出しながら手を見つめた。

「女子の手ってこんなにちいさいんだな……」

「大路くんがおおきいだけだよ……」

「そこ、イチャイチャすんな!」

 大路は心底嫌そうな顔で返した。

「邪魔しに来たお前らには言われなくない」


 撮影直前に希沙良が思いつきでつなぎ方を変更するように指示した。みんなそろって言われたとおりにすると出来上がっは思いの外映えていた。

 集合写真は政治家がやるように腕を前で交差させて握手をするポーズ。

 人と人との結びつきを印象付ける写真となっていた。


 彼氏・・との初デートを思い出しながら、瑞穂はフォトアルバムを閉じた。





 連日のニュースでは激動の夜の選挙カーでの凱旋パレードが中継されていた。ローカルな番組内では山頂の神社にスポットが当てられる。続く報道では市長選挙を勝ち抜いた船越がテープカットをしている。駅チカの商店街付近に新たな施設がオープンするらしい。


 瑞穂はスマホの画面をおとすと寮からみえる山麓さんろくを眺めた。

 窓からは涼やかな風が入ってくる。

 息がしやすくなった街から風通しのいい未来を思い描く。





「みてみて! みんなから近況報告が来てるの」

「あいつらから手紙? またなにかやってんのか」

 愛用しているリュックからポストカードを取り出す瑞穂。


 瑞穂は大学の講義を終えたあとでサークルに大路を誘ってダンスの練習をしていた。

 手本として瑞穂が踊ると大路もおっかなびっくり真似をしている。運動が苦手であることが知られても彼は気になることがなくなったと語っていた。一緒にボックスステップを踏む瑞穂は、理解を示す彼に変わりにと時間を作ってはボードゲームに付き合っている。残念ながら勝利はもぎ取れていないが、水島のように勝敗をふいにされることがなく、教えて上達する様に彼は自分のことのように嬉しそうだった。


 恋人の変化は大学中で噂になっていた。頑なだった大路がみせる自然体の笑みに女子たちから株が上がってるらしい。瑞穂に年下のように甘えてみせたりちょっとしたことで目に見えて嫉妬していたり、と現場を目撃した彼女らが羨ましそうにみつめている。仲間たちだけはひやかしているが、そのからかいを受けて真っ向から憤ていうところもまたいいのだというが――そこだけは理解がおいつかない瑞穂であった。


 さらに彼の兄に構われからまれてるとことかも目撃されて「誰よあのイケメンは!?」みたいなことになり王子ドッペル説まで浮上しているらしい。瑞穂は大学に迎えに来た兄がしわくちゃになって帰ったところを思い出ししのび笑いする。


 ひろげたポストカードにはみんなの夢や現在がつづられていた。


 青空の下、女優帽を被って犬の散歩をしている撫子の写真。白いワンピース姿ではしゃぐ撫子に犬が逆に目を光らせているようにみえるのは気のせいだろうか。最近飼い始めた愛犬は名を羽柴というらしい。両親の許可が出たことでショップを何店も回って巡り会えたとか。ちなみに猫枕だけは柴犬であったことにがっかりしていた。


 その猫枕はといえば自宅のガレージで個展を開いた。撮りためたバトルの様子、事件の全貌が話題を呼んで写真展に集まる人はながらの観光客だけではなくなったらしい。中には彼女の同士であるネコずきんさんたちも集まり一緒にニャンたちをヌコヌコと愛でているようだ。いつもの猫枕であった。写真はほこらの横でしあわせそうにまどろんでいる猫ちゃんであった。


 さて戦いで第六感を覚醒させていた真澄は本当に目覚めてしまった様子でバレーチームのエースに上り詰めている。部内の得点源として仲間から頼りにされているのだと嬉しそうに語っていた。この写真は試合で勝利したときのものだろう。汗を流してガッツポーズをしている。大会の本戦も決まったとかで今は最後の合宿に旅立っていた。


 旅といえば、委員長彩寧はオタクロに猛アプローチをかまして、休日に彼と旅行にでかけたらしい。一泊二日で羽根を伸ばしきったようで、戻ってきた彩寧はロングヘアーをばっさりカット。軽い足取りで講義の間を縫っては織田にちょっかいをかけているのをよく目にする。写真はオタクロが寝ているすきにまぶたに目をかいてらくがきをしたものであった。彼女はなぜか添い寝をている。委員長は家業を継ぐのをやめて教師を目指すことにしたと書いてある。


 その織田は以前より能動的になった彩寧に引っ張られて見聞を広めた結果、正式にコウカクPとしての活動を停止することにしたらしい。ファンには嘆かれたようだがもとより興味のあった考古学の道の進展が書かれていた。なおコウカクは甲殻類からきているそうで、カードは博物館で売られているものだった。化石が細かくあしらわれたポストカードの追記には大きく『あれ既成事実じゃありませんからね!?』と弁明が書かれている。


 ひときわ大きなポストカードは渚と紅矢のコンビの合作であった。渚は劇団員を目指し稽古外のオフショットを、紅矢は短冊に書いた一句を庭先で詠んでいるところを、それぞれが互い違いに配置されていた。なお一句詠んだ短冊はこのあと妹にデコレーションされて台無しになったとか。力作であったために紅矢が嘆いていたのを思い出す。


 歌い手としての活動も始めた道代だが前途多難であった。味があっても音痴な彼女は苦戦しているらしく独学でボイストレーニングを行っているとか。大好きな『Say You』をみながらマイクを握って歌っている様子の写真を目一杯加工して送ってきた。バイト先でも口づさんでいてお客さんに指摘され逃げ出した道代を思いだす。なおその誕生日ドッキリ配信はプチバズリした。


 ネイルサロンを出すのが夢だという玲奈はツキガミ様に渡したネイルの出来がいいと大学生らから引く手あまた。手が足りない玲奈が希沙良に泣きついて一緒に作った記事はアレンジ仕方からコツがわかりやすいと評判だという。ペディキュアに金魚鉢をイメージしたデザインが施された写真がプリントアウトしてあった。


 その希沙良はといえばわだち屋の跡継ぎとして修行を始めたらしい。思うところあっての決意らしいが早くも老舗の重圧に潰されそうだと疲弊していた。おばあちゃんがこわいよーと泣き言をいっていたのを思い出す。免許皆伝はいつになるかなとコメントが入っている。写真はうってかわって玲奈とキャンプに挑戦したあとの様子で、更によそった肉も野菜もゴロゴロとしたカレーをおいしそうにほおばっている。


 そんな彼女を応援しているのは赤森である。彼女はわだち屋のプレミアムシリーズとようやく邂逅を果たしたらしい。口の中が異次元、入れたら溶けたとまで言わしめまるで別物みたいだったと目を輝かせていた。バンド、サイチューの方も好調でその勢いのままパンクな新作をあげたとかで近い内にライブがあると語っていた。


 この中で一番悲嘆にくれた報告をよこしたのはお茶会を催していた難波であった。そも彼がおごりまくっていたのは廃部寸前の茶道部に部員を加入させたいがためであったようだ。彼の奮闘のおかげか、茶道部には五人も新規部員が入ったらしいが――全員もれなく男子だったとのこと。写真の難波は青々としている。丸刈りにして一度煩悩を絶とうとしたと言い訳が書かれている。なおすでに髪型はマッシュヘアになっていた。女子と遊びたいという煩悩は消えなかったようだ。


 夏帆から届いていないのは彼女が用意するのを忘れたからである――……。



 その夏帆とはこの前の講義終わり例の教室でめずらしい体験を以前にしていた。

「「「ごめんなさい!!」」」

 瑞穂がシャーペンになんの巻き紙をいれたらよいか相談していると響いたのは謝罪だった。

 発声源は四人組の女子グループ。かつて瑞穂に陰口を叩いた彼女たちであった。

 黙り込んでしまった瑞穂と彼女らの間を取り持ったのは、以外にも真澄であった。

「こいつら自分たちから言い出したんだよ。瑞穂に償いたいって」

「はああああ!? 真澄お前冗談じゃねーだろ!! あたしは信じらんない。扇動されたからっていやな気分になったのは事実じゃんか!」

「お前の言い分も分かる。べつに許せとは俺も言ってないだろ」

「じゃあなにさ?」

 真澄が気まずそうに彼女らの事情を話した。

「こいつらも仲の良い先輩――ダンスサークルの人らの一人なんだけど――からも叱られたんだと。きっかけはなにあの獣だけが原因じゃないんだ。その誤解を信じてたのは自分たちで。だから償いの意味も込めて交差点ですれ違った時は瑞穂の応援に来てた。会わせる顔がないからメッセージだけを送ったんだと」

「そんなのあった? 記憶にないけど」

 瑞穂も調べるが覚えがない。

 真澄は首を振って告げる。

「いや、瑞穂は俺と一緒に見てる」

「え」

「ツキガミ様に声を届けてた時の垂れ幕、覚えてないか。俺はあの時服装から判別できてた。小さく書かれて読めなかったメッセージの方には謝罪文があったんだ。こんなふうに」


 瑞穂はどう反応していいものやら困惑してしまった。


「三倉、仲村、枝野、それから板垣。これ・・はそのけじめだって」

 真澄が瑞穂に差し出したのは文字が書き込まれた色紙であった。円形に配置して短い文を書くのとは違いそこには姓名とお詫び、さらにやったことが書かれていた。

「自分たちでわざわざ証拠を作ってきたんだと」

「それって……」

「代表として私が話します。あなたが済まないなら大学でもどこでも問題として取り上げてくれて構わない。これは自白の代わりも兼ねてるつもりです。瑞穂さん、本当にすいませんでした」

 三倉が言葉遣いを改めて頭を下げる。他の三人も同様に。

 複雑な心境の瑞穂はやはり何を返したらいいのか詰まってしまう。たかが陰口だが噂を流されたのは事実。迷惑を被ったのは一度きりだったがもう彼女たちを学友としてみるのは容易ではない。

 ためらいながら色紙はつっぱねようすると。脳裏をよぎったことばがあった。

『第一印象なんて一面でしかないんですね……。みえてるものなんて結局表面的なもので……』

 以前の道代はここでさらに何事かをつぶやいていた。

 食堂のことといい何かを抱えていそうな雰囲気だった、彼女に、自分はなんと返したか。


“んー、まあ? ようは信頼が足りてないのよ、あたしたち。これから信頼を積み上げて仲良くなれる関係になりましょーよ、ね?”


 自分がどうしたらいいか、みえてきた。


「許す許さないは正直判断できないかな。被害はそんなにないけど、かといって精神な意味も含めて全部を水に流せるかっていうと……ムリ、かも。でも言えることもある。誤解しちゃうぐらいにはあたしたち関わりが少なかったと思うの。もしみんなにその気があるなら……」

 瑞穂からの言葉に顔を伏せた彼女たちが、続く言葉で盛大に号泣する。もうしないとかごめんとか、そういった言葉もあったけれど、教師がくるまで彼女らは何度もうなずいてふりだしに戻ってやり直したいという意思をみせた。



 ――これから信頼を積み上げて仲良くなれる関係になりましょうよ。


 瑞穂は彼女らに向けてこう答えたのだった。




 ケガレとの決戦は夏帆自身にも余波を与えた。


 文具をこよなく愛す夏帆だが男で一つ娘を育てて仕事一筋な父とは反りが合わなかった。彼女が母との思い出の安っぽいペンシルを愛用するのに対し、父は若き日の妻と揃えた万年筆を愛用していた。ふたりが互いに母を蔑ろにしていなかったことを、闘いのあと語り合い、それぞれの思いを知る。こうして夏帆は最終的に父の万年筆にも理解を示した。不慣れなペンに四苦八苦しながら繊細さとは無縁な文字をしたためている。豪胆過ぎるそれに周囲は万年筆とは、と概念について考え直す羽目になっていた。


 巻き紙シリーズについては今まで通り。いや、以前以上に熱暴走している素振りまでみられた。親友と揃いにしたことと、もう一つは神様に奉納したことがきっかけで販売会社から御礼状と贈り物が届いたらしく、復刻版やご当地限定といったレアな巻き紙を手に入れて夏帆は浮足立っていたのだった。なんでもあの日買い込んでいたものが当時販売されている全種類だったことと普段から愛用しているのが見受けられたことで夏帆の熱意に感銘を受けたらしい。これからもご愛用をお願いしますとつづられたメッセージを自慢気に彼女は母の写真立てに見せていた。





 掲示板に貼られた選挙ポスターが剥がされていくなか、紙袋をもった男性とやたら筋肉質な付添の男が民家に入っていった。数分後、彼らは引き止めた民家のご両親から緑茶の缶を渡される。挨拶を返して彼らは去っていった。

 希沙良の両親は動揺がやまなかった。現市長と元市長が連れ立って家を訪ね聞かされた内容にも驚かされたがなにより磯井氏の変貌ぶりにも目がいった。


 謝罪を受けた当の希沙良はと言えば。元市長の菓子折にも目もくれず、第一声で推しの当選を祝った。船越氏は手を下げてお得意のポージングを決めて声援に応えてみせた。 

 選挙戦は船越氏の勝ちだが実際には当時の現職が自ら下りる形で決まった。

 勝ちを譲られたことに船越氏はマイクを求められたりもしたが詳細についてはアルカイックスマイルを貫いていた。


 磯井氏はあれから心変わりをし一から出直すことを決意した、と希沙良は聞かされる。自分への謝罪を受け入れると意外なものをみながら空気感の変わった最近の地方行政を思い出していた。


「おれは七光りであることに対抗意識を燃やしているつもりだった。そのじつ自分が親の名や市長という座を都合よく利用し増長していることから目を背けて。今はこうして先生・・に付いて修行をしている」

「うんうん。いいね! その意気だよ、磯井」

「こんな青二才の下につかねばならぬなんて!!」

 微妙に納得してないところがらしいといえばらしいが本当に反省しているのか訝しむ希沙良。彼女の心境が態度にでてしまうと見張っていた船越が手厳しく指摘した。なぜだというのがありありと顔にでている磯井に向けて船越はいう。

「そりゃあんなことがあればねぇ」

「くっ、どこまで俺は信用がない……!」

 嘆く磯井に向けて船越は語った。

「めぐりめぐってという形は自然に作られるものではないのさ。意図していなかったとしてもそうなる原因が本人にあるんだ。いい意味でも悪い意味でも。だからおのれにのぞましい形でかえってきてほしいなら、普段から自分の周りのことにも気を回す必要があるんだよ。しょせん慈善事業、と思っていた君には偽善に映るかもしれないけれど、人との縁は大切にすべきだってことさ」

 聞き終わると磯井は口をへの字に曲げて執念を感じさせる勢いでメモを取り始めた。

「まーた名言を吐きおって! これ以上綺麗事をぬかしてお前が雲の上の人にでもなったらどうするんだ!? おれが届かないだろう!!」

「ハハハ、高いだけで臆するなら挑まないでほしいなあ」

「ぐぬぬぬぬ。首を洗って待っておけ!」

 指を指して宣戦布告する磯井に船越はニコニコしながらどーぞと余裕そうな面持ちであった。



 ふたりが帰ったあとで菓子折を開けた希沙良はある意味絶句した。

 即刻親友である玲奈とビデオ通話する。


「水ぶっかけたお詫びに水羊羹みずようかんってどう思う?」

「あーまって、うん、だって。あとで厳しく言っとくってさ。気持ちは本物だから受け取っておいて、だって。どうせ凡例をもとにチョイスした品だろうけど本人の気遣いが足りてない結果だ……ふむふむ、なんだって」

「は? 玲奈、もしかしてだれかとチャットしてる?」」

「そうそう」

「だれと?」

「船越っちと」

 秒で固まって分単位で途切れた通話にもしもしと呼びかける玲奈。希沙良は復活した。

「はあああああ!?」

 うるさっとスピーカーの音量を下げる玲奈。彼女はきっかけを説明し、さらに補足した。

「……つうでわけであの人若者の話を傾聴するのに熱心にギャル文化まで勉強してるってわけ。なんか立派な心がけでちょおっと共感しちゃった! んで、連絡先交換して今では師弟関係ってわけ」

「まって追いつかないなんで推しと友だちが師弟関係……? え、磯井さんの先生が船越さんでその先生は私の親友、ってコト!?」

「そだよ〜」

「わたしが先に推してたのに!!」

 玲奈は行儀悪く机に足を乗せて手を叩き爆笑していた。

「ガチ恋勢じゃないくせにBSSかよ」

 希沙良はまだまだこの街にも推しにも知らないことがあるのを痛感して出てきた言葉は。

「この街のこと、もっと知りたい」、だった。




 瑞穂は視線の先の月見大神宮を思い浮かべながら事件の決着を思い出す。猫枕が送ったポストカードとともに。



「そういえばケガレはどうなったんですか」

「あやつ、か。あれはな――」

 ツキガミにお守りをもらったマンションの上で、瑞穂は憐れな獣の末路を聞いた。

 尋ねたツキガミの視線の先、瑞穂の足元には一匹の子猫が鳴いていた。

「はえええ!?」

 ぎょっとなって足踏みした瑞穂に驚いたのかその仔は慌ててツキガミの方へ逃げた。


「このこってアレですよね!?」

「左様。自らを汚れケガレと呼んでいた存在じゃなあ」

 ツキガミはのんきにふるふると頭を揺らして足元にしがみつく子猫をなでている。瑞穂は一抹の不安があり質問しようとした。そこへ鼻をきかせた猫枕が目ざとく猫ちゃんを発見する。猫好きんねこずきんちゃんはかまってほしそうな仔を抱きしめると至極満足そうな顔で崩れた。

「やっぱりまだ危な――」

「いや待てこれは!!」

 ツキガミが止めた先で猫枕は指で字を書いた。

「わがニャン生に一片の悔いなし――……?」



 憑き物がおちたケガレを抱きしめてあやす猫枕は最高に機嫌がいい。「猫吸いは合法だからセクハラじゃないニャー」とすんすんと鼻を鳴らして腹の毛に埋もれている。「なんだって?」とツキガミも聞き返すが瑞穂には説明のしようがなかった。


 わたたと暴れて猫枕の手から逃げようとする子猫。かつてケガレと自称した存在を美術展示室の意味も込めたギャラリーとかけあわせてガレ・・ちゃんと呼んでいる。毛づくろいをして腹をさする手つきがどうみてもいかがわしいのを遅れてやってきた赤森が指摘していた。


 ガレちゃんは微妙な顔つきでいやがってるようだった。いやよいやよと顔を振って逃れようとしている。

「そぅキュート!」

「……じゃなくて、もう安全なんですよ、ね?」

「もちろんじゃ。われらが丁寧に浄化したからな」

 旨を押さえて安堵する瑞穂。視線をガレちゃんへと向ける。


「もう放っておいてくださいまし」


「猫ちゃんがしゃべった!?」

 猫枕が唖然とする隙にツキガミのもとまで駆け抜けるガレちゃん。すばしっこい動きで戻ってきた子猫は自分で毛をなめて毛づくろいをやり直す。


 落ち着いてから子猫はツキガミに向けて声を張った。

「ぼくのことはもうよいのです。主様に会わせる顔もありません。早く滅してください」

「なんじゃ聞いておったのか」

「にゃ、にゃんだって!? そんなこと……もごごg」

 衝撃を受ける猫枕を慌てて赤森が口封じする。


「だが、われは神ゆえ人ではない。沙汰を言い渡し罰するのは神職の仕事ではないのう」

「では見逃してくださいませ。どこぞかで野垂れ……」

 暗い顔で猫が言い切る前だった。

「ので、神らしくおぬしら・・・・を救おうと思うのじゃ」

「へ?」

 「瑞穂、月桂樹の祠を覚えているな?」

「山のふもとのこけむしたほこらですよね?」

「そこな管理人はじつは不在なんじゃ。まつるはずの神もいない。そこでどうじゃ? 小国天とともに我が家に来ては」


「主様、と……?」

 子猫の目から涙の粒がぽたたと落ちる。それは雨が降り出す前兆のようだった。

 もとの神獣は、開花しなかった桜の蕾が落ちる儚い幻を思い出してしまう。


「なにを言って! 主は消滅してしまいました。もうお姿だって……!!」

「神々のえねるぎーは信仰心じゃ。失った力なら取り戻せばよい。わからんか? お主のそばにはつねにナゲキがあった。嘆きの主こそ、小国天じゃ。訴えかけていた彼女がいたからわれは対処できたのじゃ」

「っぁ……うあ、あっ」

 口から漏れる声はとうとう抑えきれなかったように決壊する。

「――っ、ぬ゛じざま゛、あ、ああああ!!」

 一匹狼のようにひとりぼっちで戦っていた。彼女を失ったケガレは、きっかけとなった人間を恨んですべてを破壊するつもりであった。

 その獣を、見守る存在があったこと、猫は人語を介して泣き濡れた。びええびええと赤子のように鳴くのは、一心に受けていた愛に応えるかのようだった。




 そうして祠の管理を任された神獣、ガレちゃん。猫枕のポストカードにはほこらによりそって木漏れ日の中でうたた寝をするその姿が映っていたのだった。

 ガレちゃんの影響で人気のなかったほこらにまで観光客が足を運ぶようになった。落ち葉を息吹で退けたり神獣の力を使いほこらの石を尻尾で磨いたりと細かな気遣いはちいさな妖精さんのようであった。ついにはガレちゃんを見守る会まで発足し、きづいたら気安くもふれなくなったことに猫枕はうなった。でも彼女はガレちゃんが嬉しげに人々をもてなすのをみて毒気を抜かれるようでもあった。


 神獣は今日も主に向けて近況を報告をする。彼女へと手向けながら「ぼくはしあわせものです」とほがらかに笑って。


 ほこらにはツナ缶の山と桜モチーフの最中が添えられていたのだった。《完》

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