第44話 喝采のパレード

 明け方の空に群れをなした雀が羽ばたいていった。



「う、うおおおおお――!!」


 進入禁止のテープをまたいで交差点に一番乗りした少年が体をぶるぶる震わして叫ぶ。

 周囲の反応はうすかった。まるで心ここにあらず、といった様子で。

 ソーダでやけどしそうな舌を冷ましていた少年はキョロキョロと周囲を見回し、連れてきた父親に振りかえってそのシャツのすそを掴んだ。

 遅れて、大観衆の歓喜がとどろく。

 どわっとあがった声に少年は耳をふさぐ。父親は空気に飲まれた男の子を肩車して興奮気味に語る。肩に乗せられて喜ぶ少年を連れ彼の父親は目の前を通り過ぎた見覚えのある女子に話しかけた。


「さっきはえらいすまんかったな。むっちゃいいもんみせてもろたわ」

「なんやそないなこと気にせんでええって。おおー、坊主おっきな綿菓子ちゃんやな? それも食べるん? 腹壊さんときなー」

「うん!」

 少年の頭を撫でていった渚は仲間とともに和太鼓をもとの位置に戻しにいく。



「なんか、すげぇもんみちまったな……」

 喫茶店でたむろしていたサラリーマンたちは場を移して遠隔のモニターごしに、主にコウカクP=オタクロ、の活躍を見守っていた。陰気そうな見た目に反して意外とアグレッシブな彼の活躍に口元をにやけさせながら楽しんでいたが、途中で手に汗握り、彼ら彼女らを目一杯応援していた。スポーツの観戦な有り様で。


 きもち入ったこもった、応援があった。

 それに応える形で迎えた劇的なフィナーレに、あちこちで万歳、と喝采が響き渡る。

 本来とは違う形でお祭りは深夜を越えた明け方に近い今、続行されつつあった。近隣の住民も町に繰り出して参加する人が徐々に増えていく。商店街の関係者は昔のように賑わう活気に鼻の奥が痛んだ。





 一方、大学生組はすでにヘトヘトであった。


 さて、渦中の一人、兄を飲み込まれていた弟はというと。

 獣が消えても兄は戻らなかった・・・・・・

 口からあふれそうになっていた腕をみていた彼は、てっきり胃袋からでも吐き出せると思い込んでいたというのに。大路は眼の前が真っ白になり言葉が出てこない様子で拳を震わしている。

 そんな彼の肩を叩いたのは兄である水島恭介だった。

「は?」

 亡霊でも出たのかと頭がパニックになった大路は反応が遅れた。そのスキをついて頭蓋骨固めヘッドロックをかける兄。もちろん力は加減している。

 むちゃくちゃなノリで周囲を巻き込みマイペースに満足して笑う目の前の男の認証が脳内で一致したことで大路は逆襲した。……すぐに負けたが。


 そんな彼等のドッグファイトを目撃した瑞穂は思わず駆け寄った。

「キョー先輩!!」

「瑞穂ちゃん!? おお、いつの間にかでっかくなったなあ」


 抱きついた瑞穂を受け止める水島。


「なにいってるんですか。……じぶんの弟、心配させといて駄目じゃないですか」

「あははー……ごめんなあ。でも瑞穂ちゃんが約束守ってくれたんや。にいちゃんうれしなあ。きょうだいが本物と違ってかわいくて思いやりがあって……、はー、ええなあ。ってなんでこの弟はぶすくれてんのや!」

 黙って見ていた大路はおもしろくなさそうに言い返した。

「ちゃっかり時計奪い返しやがったくせに」

「は……。ええ!? まさかほしいのか? 俺のイニシャル入ってんのに?」

「……着け心地が気に入っただけだ」

 相手にするのも面倒といった態度だが視線は時計に注がれている。

「ぶはっはっは。わかった、もういい、兄ちゃん奮発してどえらいの買ってやるわ」

「ふざけんな兄貴の趣味とか反吐が出る。自分で選ばせろ」

「金は出せとか、いけずやわ! もっと口出しさせろー」

 わいのわいのと絡む兄に辟易としている様子だが、それでもなんだかんだと会話を続けている。

 ふたりの様子に涙ぐんでいた瑞穂は大路の言葉に涙が引っ込んだ。


「それはそれとしていつまでそこにいるんだ、……瑞穂」

「え?」

 瑞穂を見ていた大路は兄を射殺しそうな目でにらみつけている。

 瑞穂はそこで水島が涼しそうな甚平じんべいを着ているのに気づく。触り心地のいい布を引っ張って瑞穂は言った。

「そういえばおにいちゃん裸じゃないね?」

「なッんんんン!? お前ッ、瑞穂ちゃんに何を!?」

「ありのままを語っただけだが?」

 両者揃って不思議そうに水島を見返した。揃って目を瞬いているある意味純粋なふたりを前に頭を抱える兄貴分。この行き場のない感情をどうすればいいかと手元を見ながら悩んでいると急にツキガミが割り込んできた。


「それはわれのおかげじゃ」

「ツキガミ様の?」

 瑞穂が感心していると大路はツキガミに向かって怪訝けげんな顔で尋ねた。

「そもそもこのろくでなしどっから湧いたんだ? まさか地面から生えたとかぬかさないよな」

「まさか。一度飲み込まれはしたが体は正しい状態に戻せたのじゃ。われはその状態から連れ戻したまで。そこな者は唯一素っ裸であったから社殿の備品を貸したまでじゃなあ」

「それって復元ってことか……」

 話を聞いた大路がげっそりとしている。水島も話を聞いて怖くなったのか、甚平の前を広げて自分の体が入れ替わったりしてないか確認をしている。


「でもよかったね! キョー先輩、帰ってきたよ。ね、大路くん!」

「あ、ああ……」

 瑞穂の手前、頬をかいてごまかす大路。

 水島は大路に文句をつける。

「にしてもお前遅かったな! せっかく時計吐いたのに自分で突っかかるなんて無茶しやがって」

「……チッ、見てたのかよ。はいはい、待たせて悪かったな」

  大路に肩を組む兄は舌打ちされても嬉しそうに兄弟をからかう。不服な弟は兄に再度技をかけるが逆に寝技をくらってしまう。ギブギブと後ろ手に兄の手を叩く大路。快活な笑い声が耳に届く。

「いつの間にか腕っ節も、まあまあましになって」

「たった一年でそんなに変わるわけねぇだろ。思春期じゃあるまいし」

「ははっ、それもそうか」



 町中が覚めやらぬ熱気でお祭り騒ぎだった。


 いなくなった家族や友人と再会し、幽霊やドッペルゲンガーに遭遇したような反応をするものもいた。が、抱きしめた感触がたしかなものであるとわかると戻ってきた人々を前に顔をほころばせる。ただいま、おかえり。あちこちから聞こえる帰宅の、挨拶。


 警察官は誘導に追われ、自衛隊は撤収作業を始めていた。

 政治家は押しかける報道や事件後の対応を求める声に早くもマイクを手に取る。

 交差点内の店長たちは店の被害をみながら力が抜けたように半笑いを浮かべ、店員がその肩を励ますように叩く。



「ちわーす、お届け物でーす!」

 軽いノリのバイク便が瑞穂のもとに到着したのは大学組の後片付けが済んだあとだった。仲間たちの輪のなかで困惑としていた瑞穂だが、その顔をみて大げさに驚く。なんとバイクの運転手は瑞穂と道代のアルバイト先、デリバリーピザ福九郎ふくろうの従業員であった。

「店長からの注文です。っと、サインはこっちに。まかないだけどみんなで食べなってさ」

「うおお、太っ腹〜〜」

「たすかるわあ。ほんま腹ぺこでちゃあんとしたもん食いたかったんやわ〜〜……あちち」

「渚、お前ばっかずるいっちゃ! おれも目立つ!!」

 息巻く紅矢はピザを二枚掴むと両方をいっぺんに食べよう口に放り込む。

「ってこら大したことしてないあんたがなんで取り分多くもってくん!?」

 悪友の紅矢を小突く渚。そこへ紅矢の妹がやってきて兄に加勢する。さしもの渚もこどもを前にはいつものノリだけでは通せない。悔しがる渚に紅矢は舌を出す。


 流れで輪になって食卓を囲む大学組。瑞穂は先輩従業員に尋ねた。

 店が開いてたら今ごろ注文が殺到しているのではないかと。お祭りフィーバーで露店どころかデリバリーやお持ち帰りだって客が押し寄せそうなものである。


「それな。忘れてるようだがまだ明け方だぞ? 時間外労働。普通は店なんかあけらんねーよな!」


 彼らは瑞穂の舞を映像で知った頃に店長に呼び出されてできることを準備していたらしい。思いついたのが店自慢のピザでの回復だが、できあがった頃には戦闘は終わり。しかし腹ごしらえにはベストなタイミングであった。


「だからまー、競合店の心配もいらないんだぜ。けけけ、俺は今から交差点一帯の注文を配達エリア外にもかかわずもぎとってやるわ! ビバ宣伝効果!! 上がれ俺の時給、目指せ昇格、だー!」 

(それって厨房と配達が困るだけじゃ……?)

 瑞穂が思った頃にはすでにバイクはあけぼのの空を目指していた。やけにテンションの高い先輩はバイクをかっ飛ばして去っていく。



 みんなにおすそ分けしつつ瑞穂もコーンマヨのピザを頬張る。

「おいし〜〜」

 空きっ腹に温かなピザのおかげで腹がくちくなる。夜通しの作業と緊張感も相まって眠くなってきた瑞穂。

「あ〜〜れ〜〜、わたくしのピザがないのですわー!!」

 輪になった隣から声があがった。みると撫子がふくれっ面で瑞穂をにらんでいる。

「またですの瑞穂! ほしいならそうとおっしゃいませ! 奢りはしませんが、ツナ缶での交換だって受け付けますのよ!?」

 かつてネコババしたことを思い出した瑞穂。真澄にも注意されたなー、と瑞穂は回想する。しかし今、彼女が取ったのは撫子の分のピザではない。瑞穂が説明するとぷんぷんと文句をいっていた撫子が不思議そうに首をかしげた。

「では一体……誰ですの?」

 撫子にも伝えろと語っていた真澄はいいぞいいぞと応援していたが事態が変わったことで犯人探しに協力する。

 みつかったのは思わぬ相手だった。どっこい、撫子の執事兼運転手が恨み節でピザにかじりついてたのである。意外なオチにわははと盛り上がる仲間たち。



 気が抜けたように凝ったショーウィンドウが乱れているのをみていたアウトドア店の美魔女だが店員に肩を叩かれて我に返った。

 さあ商売だと燃え上がる彼女にかかる声。店に来た客はアウトドア用品を求めているらしい。動画でみたレジ袋の店はここで合っているかと確認している。

 店員が右往左往するなか、全面協力を申し出たことと丁寧な袋詰やシール貼りの効果もあって物見遊山な客足も増えていく。

 一部はけた在庫もあるが倉庫に品物はまだある。店員を駆り立てた彼女は頭の中で利益計算をする。

「ヒッヒッヒ、毎度あり。いやはや嬉しい誤算、あいや嬉しいの合算だねえ」

 彼女の商売気質が招いた当月の営業利益は、魔女の先見の明が導いた結果として界隈で語られるのであった。



「仮称害獣撃破――!」

「ほんとうか!?」

 無線から報告が入る。上官が部下たちに確認をとる。情報の出どころは確かなもので映像と含めて確認ができた。

「撃破です、上官、撃破ですって!!」

 傷ついた仲間たちを思い出して奥歯を噛みしめる自衛隊員。しかし手厚いサポートやバックアップもあり死人はゼロ

「やったなお前ら!」

「「「うおおおおおおー!!」」」

 いろんな意味で野太い雄叫びがあがった。久しぶりに遠距離恋愛中の彼女に会えるとか、実家の母親に呼ばれていて断りのメッセージをいれたが里帰りできることを連絡できるとか、一般ユーザーがクリアしてアップした動画の閲覧をこらえていたがフレンドと体感五億年ぶりぐらいの最新タイトルをプレイできることにと、もうしっちゃかめっちゃかな喜びようである。



「瑞穂よ、よくやった。これは報酬じゃ」

 ピザを食べ終えた瑞穂のもとに、ツキガミが神妙な顔で歩み寄ってくる。瑞穂の手にそっと置いたのは神社の名が書かれた小さな袋であった。

「これってもしかしてお守り?」

「左様」

 ツキガミがうなずくと瑞穂は口元をへの字にして言った。

「えー、これだけ?」

「なに不服か!?」

 ツキガミが反射的にビビっている。しかし瑞穂はすぐに表情を改める。

「冗談! ありがたすぎてこんな御利益の塊みたいなの恐れ多くて受け取れないって思っただけ」

「なんと。驚かせるでないわ」

「ごめんごめん」


 瑞穂は目の前のお守りを受け取って良いのか悩む。

 瑞穂の考えを見抜いたツキガミは効果について説明しだす。

「このお守りはつまるところ声援じゃ。中にあるのは神の声ではない、気張る者のそばで声援を送るものがそばにあるという意味を込めて、見守っている証があるのじゃ。ようは気持ちのようなものじゃな。よって効果の程は当人次第じゃな!」

「そうなんだ。当人の努力次第、ね。ありがとツキガミ様!」

 瑞穂は納得した様子で笑みを浮かべる。

「これ真名はどうした」

「ふふ、これだけ信心深い心が戻ったならそうそう欠けないでしょ?」

「それも……そうじゃな」

 満足気にツキガミは町の人々の顔を眺めた。誰も彼も町の平穏無事を祝っている。中にはツキガミの顔をみて手を合わせて神妙に祈る人間たちもいた。ツキガミは、糧がなくとも自分のえねるぎーが無限に湧いてくるのを肌で感じ取っていた。



 瑞穂は友人らの輪から場所を移した。交差点が一望できる古いマンションの屋上。月の光を受ける神様が柔和な笑みを浮かべて瑞穂にいう。



「舞姫となれ、瑞穂。日本といわず、世界で一等輝くお前を見たい」



 澄み切った空気に吹き抜ける心地よい風。瑞穂は乱れた前髪を直してから応える。


「……分かった。叶えるよ、あたし。天照常夜月見大御神様の応援にかけて」


 瑞穂は目を開けてまっすぐにツキガミをみつめた。


「ほお。この名を言えるようになったか」

「当然でしょ。これだけ関わったんだもの」

 顔をあげた瑞穂の手をツキガミがとる。その手を労るようになでからツキガミは話す。

「われが神でなくなることはない。お前が儚むその日にはきっとたくさんの者がお前を惜しむじゃろう。この世界のなかで人はひとりぼっちなどではないのじゃ。わたしはそんな、おまえたちを見守り続ける。この国と、ともに」



 ――ここは八百万の神生まれる願いの国。人は思いで変わり続ける生き物である――

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