第42話 光彩を放つ

「ごめんくださいな」

 瑞穂に見覚えのある老婆が声をかける。

「わだち最中の……おばあちゃん?」

「ええそうです」

 上品なおばあさんは希沙良をびっくりさせたあげく、付き添いの老人介護施設の職員の制止を振り切って交差点の進入口まで来たようだ。

「おばあちゃん!? 危ないって、早く引き返し……」

「これを、あの方に」

 祖母の姿に青くなった希沙良が近づくと、手元の風呂敷を広げた。


「ツキガミ様聞こえてますね。いっつもわたしのおしゃべり聞いてくれてありがとねえ。わたしは幸せ者ですよ。泣き虫だったわたしにわだち屋の歩んできた物語れきしを切々と語ってくださったり、先代の秘密を教えてくれたり、おじいさんとも巡り会えてと……それもう感謝してもしきれません」

「おばあ、」

「積み上げてきた過去があるから今がある。わだちもそうやって続いてきたんです。古く昔の老舗の味わいを」

 唖然としていた希沙良がばつが悪そうに反応する。

「わたしはねお礼をしに来たんですよ。いつもいつも慰めてくれてありがとございました。これはわたしからのささやかな贈り物です」

 最中の箱から解いた上等な風呂敷を渡す。


「それ……おじいちゃんの形見じゃ……」

「だからだよ。思い出とゆかりのあるこの町を守ってほしいんだよ。希沙良よ、わだち屋みせも願いもこうやって連綿と続いてきたのさ。きっとここが分水嶺ぶんすいれいだ」


 祖父のことを思い出したのか、希沙良が涙ぐむ。愛おしそうに最後に風呂敷を一撫でするおばあさん。


 そこへ駆けつけたのは赤森であった。

最中もなか、いつも買ってます! おいしいですよね!? って、作ってる人にそれだけじゃ変か? ……ええと、私、この最中がすきすぎて冷蔵庫に買い置きしたりルームメイトにも配っちゃうぐらいおすすめしてて――……」

「まあ!」

 瑞穂が付け加える。

「本当ですよ。彼女、私と同室の子で、私がツキガミ様と出会った時もこの最中をお供えた時でした」

「まあまあまあ、そうだったの~~」

 おばあさんは顔をほころばせた。ツキガミ様との縁も結んだときいてうれしそうだ。


「ってか、希沙良のおばあちゃんだって知らなかったよ!?」

 希沙良の方を向く赤森。もっと早く教えてよと言わんばかりだ。

「いや商品のファンだからって私ただの孫だよ!?」

「商品じゃない、もうお店の、ってかミツエさんと職人さんたちのファンです!!」

 赤森はおばあさんの手をとって一方的に握手をしていた。おばあさんも嫌がる素振りはない。

「目が純粋すぎる……」

 希沙良はまっすぐな赤森にため息をついた。

「あのあんこも、あのうぐいすも、おまんじゅうも! そして変わり種のソーダ味もおいしくて虜なんです!」

「あらあら筋金入りね。じゃあプレミアムシリーズも!?」

「――はい? え、えっえっえっ初めて聞くんですがそれは!?」

「おや知らないのかい。これはお得意様限定のでね、……ふふ」


 珍しく音楽意外のことに熱い赤森に男性陣はほへぇと毒気を抜けれていた。

 その輪にたまたま交じっていた猫枕は言った。

「森ちゃんああみえて甘党なんだにゃー。自分のとこのバンド名もなかから変換して最果てチューン、略してサイチュウにしちゃうぐらいにはビッグラブだにゃあ」

「「「マジか」」」



「タンマ! ね、ふたりとも一回落ち着こう!? もなかのことは置いておいていまは、」

「ああうれしいねえ。わたしも店を継いだかいがあったよ、ああありがたやありがたや」

 ツキガミの方へと手を合わせておばあさんは言葉を紡ぐ。

「この子達に笑顔がいっぱいの未来をみせてやってください。そして――どうかわたしにひ孫の顔をみさせてくださいな」

「も、もおおばあちゃんってば」

 希沙良はおばあさんの茶目っ気のある要望に照れながら視線をさまよわせた。


 どこからともなくツキガミ様の声が響く。

『使うぞ、ミツエ』

「ええ、ええ。」とおばあさんはうなずいた。



 おばあさんの反物たんものをリメイクした風呂敷をエネルギーに置き換えるツキガミ。

 ケガレの前で印を結ぶ。

「まだか……」

 光の拘束具が出現するもはじかれた。

 ケガレは頑丈だった。

 防御をするような形で失った尻尾。それでも虫の息でも戦う姿勢を解くことはない。魂が消滅を認めないのか、なお、抗う。

 

 荒々しい雄叫びをあげ、なおも牙を向いてツキガミに食ってかかろうとしている。



 スクランブル交差点に、一人の女子大生が侵入した。彼女はツキガミの背後までくると、瑞穂たちに向き直っていつかぼやいた言葉をはっきりと口にする。


「セカイなんてどうでもいいじゃない」





 委員長――本名を西木にしき彩寧あやね――は惰性で生きていた。

 このままいけば親に敷かれたレールを歩み、一人娘として実家の稼業を継ぐことになるのは分かりきっていた。

 それはべつにどうでもよかった。

 彼女にとっては反抗してほかの道を選ぶほどいやなことではなかったし、別の道を歩むほどよそのことに興味ももてなかったから。


 だからべつにどうでもいいというスタンス。

 つまり、世界が滅ぼうがせん無きことだった。


 世界は今日も狂ったように回っている。

 ――動き出すほど心が躍ることもない。

 スケジュール帳は書き直せるインクを謳っているくせに消せない予定でびっしり。

 ――表面的なお付き合いばかりが並ぶ。


 単位も進路も許嫁も彼女の未来はすでに見えたようなもの。

『委員長の人生ってつまんなそー。あたしたちみたいに厚みがない人生送ってるから中身までスッカスカなんじゃん、あはは』

 言われた安直な評価が今も刺さっている。

 どうせ言った方は吐いたことすら覚えてすらいないだろう。

 けれど一番柔いとこに刺さったまま抜けない魚の骨のように、くぼみにはまった人物像がふいに引っかかってはそのたびに痛みを訴える。


(そんなの自分が一番わかってるわよ……)


 変わらない未来に彼女自身は辟易としていた。ある日突然おかしな事件が舞い込んで、主人公は大事件に巻き込まれて、騒動のうちにそれを見事解決。そんなちゃんちゃらおかしいライトノベルみたいなことは起こりえるはずはないと――、思っていた。


 黒い獣ケガレを見るまでは。





「げ、ゲゲ? なにかあるぞ」

「……ほんとうにバケモノが押されてるなんて。神様こそ本当の化け物なのかしら」

 ケガレの様子を前にしても堂々たる姿勢で歩いてきた委員長。

「そなたも瑞穂の仲間か? それにしては何か企んでおるのか?」

「あらら。バレちゃった」

 後ろ手においていた手をぱっと開くと彩寧は笑う。

「隠し事って昔から下手なのよね」


 そのひょうひょうとした態度に息を呑んだのは彼女の腐れ縁、織田であった。

「委員長、まさかあんた、裏切り者だったんすか!?」

 予想外のだまし討ちにあい震えながら声を出すオタクロ。


「はあああ!? 馬鹿言わないでよ」

「あれぇ!?」

 ずっこける織田にむくれる彩寧。

「これでもあんたの言葉に触発されたんだけど? みんなに協力しようと思って、……」


 普段はすました委員長がこれ以上ないぐらいもじもじしている。

 唖然とした織田の反応。

「もういい!」と言うやいな彩寧はやぷいと顔をそむけた。


 彼女はツキガミに向き直る。


「やっぱりどーでもよくなかったみたい。あいつらの生き方みてたらこんなセカイも悪くないなって思えた。だからこれ、やるよ」


 オタクロしか知らない素の委員長が粗野な言葉遣いで託したのは、彼女の髪留めであった。

 彩寧は続けて、「もしかしたら祝福ではなく呪いが籠もってるかもだけど」と念を押した。思いの強さだけは本物だと思うと言い訳をしてツキガミの手にそれを乗せる。

 オタクロがいつもの雰囲気で彼女を茶化す。

「うわあ、パンドラの箱よりおっそろしや」

「だまれ盲目眼鏡」

「だって委員長、それしか髪留めに使ってないっすよね?」

「あらら。見てくれてたんだ」

「んんん!?」

 幼馴染の反応にむせるオタクロ。委員長は手を口の前にもってい、からかう気がうかがいしれるポーズで織田をあおる。

「あらぁオタクくんってば分かっちゃうの? ただの鈍感系モブキャラクターじゃなかったんだあ」

「え、待って。脳の処理がおいつかないっす、なんで?? 俺の身に今なに、がガガガ」


 彼女の心を縛るようにポニーテールの髪留めは揺れていた、はず、だった。

 オニキスのように暗色の輝きを秘めた、黒色の髪留め。

 ツキガミの手でそれは炎となり回収される。


 解放されたように長い髪を振り乱す彩寧。

「なーんか自由って感じ」と彼女は晴れやかな声でいう。



「ふむ。これは」

 手の感触でツキガミは実感したらしい。目の前のケガレも感じ取ったのか、威嚇を強める。


「われも最後の一手を詰めよう。しかと見よ、これが決着じゃ」

 ケガレが手のひらから爆発的なエネルギーを放つ。


 彩寧のヘアゴムを糧にツキガミが放ったのは、もはや光なんていうレベルではない。それは光線レーザービームであった。火花を散らしてなお煮えたぎるように発光する光の束。いまだ収束をみせず、その威力は増していき、最後にはすべての視界を白くかすませた。


 彩寧は光でフェードアウトする視界を心地よく思いながら一人泣き笑いを浮かべていた。



 彼女の人生、すべてが詰まった攻撃はやがて。

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