第25話 からくれない
水森市メインストリートの一番大きな交差点、その中央。
レインコートを来た幽霊のように白い被り物をした何者かが、動くことなく車や人の通行を妨げていた。
カンカンという音とともに信号機の色が変わる。
赤から、青へ。
その瞬間アクセルペダルを踏むに踏めない運転手はみた。
奇天烈な衣装にうっかりスマホで日時を表示してしまうが、間違ってもここは南半球ではないのでそのイベントの開催月ではなかったが。
巫女さんのコスプレ衣装を来てさらに上からレインコートを羽織っていた瑞穂が、面を上げる。
時は少し前に遡る――。
ついに月齢の周期、満月となるその日に、空からは待ち望んでいた天使の梯子が差していた。
現代ではなかなかみつけられなかったその場所は、かつての津波被害からの復興のなかで、月夜野から柳井と名称が変更された場所だった。水森市屈指の大通り、その交差点のど真ん中が儀式の予定地であった。
大路は歓喜した。やっとツキガミの復活が叶いそうなことに。
ところが横で携帯を回収した瑞穂の様子に違和感を覚える。自分のように雨の中を走り回ったわけではないだろうに、瑞穂は体を丸めていた。顔を覗き込むと血色が悪い。唇こそ青紫色になってはいないから本当に低体温で震えているわけではなさそうだった。
「もしかして……緊張しているのか?」
瑞穂は言葉を発さない。
「蕪木さん、教えてくれ。あなたは今、何を思っているんだ。俺達は……その、同じ目的を持つ、なかま、だろう」
瑞穂が頭を上げた。唇を噛み締めている瑞穂だが、手足がしびれているように震えている。
大路はじっと瑞穂をみつめた。
不安でたまらないの、と瑞穂は口火を切った。
「踊れるか、こわくって。もし、もし失敗したらって考えたら、っ」
責任感からか弱気になっている瑞穂をみて、思わず眉根を寄せた大路。
……だったが、彼は突然上から物申した。
「なにを悲観する必要があるんだ」
不敵に笑う彼に瑞穂はあっけにとられた。
「蕪木さん、言われただろう。あの時、小日向さんに。あなたは彼女のヒーローだと」
優しい声掛けなどではなかった。けれども力強く真摯な姿勢で説得するその口ぶりになんだか体の震えは収まりつつあった。
「それでも気が滅入るのはしょうがない。だから、」
おもむろに瑞穂の化粧ポーチを開け、中身を判別する大路。彼はその中から赤いリップを取り出した。瑞穂のもとへ近づき、顔に手を添える。促して瑞穂のあごに親指を置くような形で上を向かせた。
「“ ”」
かろやかな手つきで紅を引く。大路は大胆な赤色を瑞穂の唇にさした。
「武装しよう。なにものにも負けない強い心を、外側から埋めればいい。俺もいる、だからもう心配しないでくれ」
瑞穂に立ち上がるよう言って、段ボールから衣装を出す。瑞穂の手に乗せると、彼は道具一式持って玄関へ移動する。
「外で待ってる」
扉が閉まる音が聞こえた。
最後にみえた大路の後ろ髪、その中に隠れる形で見えた耳がほのかに染まっているようにみえたのは、彼も慣れないことをしたからだろうか。
瑞穂はベルトを外し、チノパンを一気におろした。注文した神子服に手早く着替えていく。
顔は大路の言葉に習い、化粧をうっすらと施す。
大路にささやかれた“俺は君のことを信じている”という言葉のせいで入れてもいない頬のチークがなかなか取れない瑞穂であった。
ふたりは準備を終わらせて小雨の中、駆け出す。指定された場所へ向かうために。
そして現在。
一筋の光が差し込む交差点の真ん中で顔をあげた瑞穂。
おもむろに袖口のスペースから取り出したものを光にかざす。透けているのは一枚の葉っぱであった。
通販サイトで手に入れたローリエの葉、それを半分にちぎる。
ローリエ、和名を月桂樹というクスノキ科ゲッケイジュ属の常緑高木。神社が存在している遠見山のふもとに存在する祠と同じ名である。
葉をちぎるこの儀式の意味は、すなわち――
選んだ者だけが舞台に立つことを許されるのだと。
――降臨の儀式は天よりおろした梯子、光が標を打つ場所で、合図をせよ。さすれば舞台は整う。
背後の信号機の下、大荷物を背負った大路が、携帯ラジオのスイッチをオンにする。流れ出す雅楽に人々は首をかしげる。なにかの催し物かと興味深げに見守る人々とともに、祈るような気持ちで舞台に望む瑞穂を見守った。
蜃気楼が、揺らぐ。
満潮時のように、さざなみが広がると、山頂ののどかな風景が広がっていく。交差点の通行人たちは霧のようにあるいはドライアイスのように足元に広がるそれを驚愕の目でみていた。
見覚えのある月見大神宮、神社とこの場所が重なっていく。
大舞台、すべては整った。
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