第13話 奇怪な事件の顛末

 撫子だ。

「だから部外者は出るなと……、はあ……とっとと終わらせましょう」

 大路に夢中で撫子から目を離していた瑞穂。視界に、撫子がギチギチと不快な音を鳴らしながらカッターを引き抜いたのが映った。


「危ない!!」

 夏帆が叫ぶ。

 迫る凶刃。

 目を閉じる、瑞穂。


 ――、カキン。

 不自然な音がした。目を見開くと撫子が持っていたカッターは刃が途中で折れていた。折れた刃が地面に落ちる。


「忌々しい結界ですわねぇ」

(けっかい、……?)

 撫子は顔を歪めている。


 彼女の暴挙を目の当たりにした道代は機転を利かせ、教室の非常ベルを押した。けたたましい音が鳴り響く。大音響で訴える教室、今目の前で置きている出来事、開いた扉の先で通路の生徒たちがざわめく。

 現場は一気に騒がしくなった。

 逃げる生徒たちの、教師を呼ぶ声。用務員が呼びかけて生徒達を避難誘導する。

 さすまたを持った警備員が到着した。


 それでも撫子は諦めるそぶりがない。ひとりだけなおも瑞穂を執拗に狙う。他の注目など度外視で、カッターの刃を再び引き出して、瑞穂のもとへ迫ろうとしている。

「瑞穂、退け!」

 夏帆が横から飛ぶ。瑞穂の位置がずれた。幸い、夏帆もすっ転んで怪我もなく避けることには成功した。

 地団駄を踏む、撫子。

 彼女は顔を引きつらせてカッターを両手で握る。

 瑞穂は距離をおいて周囲を見渡した。


 そして、扉の位置に目を向けて、そのまま走り出す。

「待ちなさい!!」


(引っかかった!)

 瑞穂は渾身のフェイントを仕掛けた。通路へ脱出するとみせかけて、瑞穂は講義室の机に向かう。自分がリュックサックを置いた、座席へ。


「なにを。しまっ!?」

「守護!!」

 掲げた護符。

 キィイイインという音が鳴って瑞穂を守るように透明な膜が出現する。膜に切れ目が入ると同時に、その形状が変化していく。糸のように伸縮した網は撫子の方へ一直線で飛んで行く。

「またか! だが、同じ手など……」

 撫子はつぶやいて不敵に笑う、が。

「そこまでだぞ、お嬢」

 背後に隠れていた真澄が撫子を羽交い締めにする。そこへ網が飛弾し、撫子を束縛する。

 それでもじたばたする撫子のせいで真澄は興奮している彼女を抑えるのに必死だ。なおも暴れる撫子の力に気圧されている真澄。瑞穂が心配して声を掛ける。

「お嬢ってこんな馬鹿力あったのな!」

 白い歯をみせて真澄は軽口をたたく。しかし撫子はいまだにカッターを持っている。危機は完全には脱していない。


 錯乱している彼女をみて、瑞穂は三枚目の御札を取り出して構えた。

 撫子が強引に網と真澄の拘束を突破しようと、カッターを彼の手首あたりに突き出した。周囲から悲鳴が飛ぶ。これにはさしもの真澄も青くなった。

「よせ、撫子! お前の刺し身ネコババしたこと根に持ってるからってこれはないだろ!?」

 真澄が詰め寄るが撫子は鼻息荒く瑞穂に襲いかかろうとしている。


「みてられないな」

 そこへ登場したのは男の敵で女子の味方と有名なお茶会紳士、難波であった。

「女の子のピンチと聞いて駆けつけてみれば……真澄、失望したぞ」

 天然な難波は、わりと純粋に勘違いしていた。

「色々誤解だァァァ!」

 面倒くさい友人の指摘でうっかり力が弱まる。

「お前は奥手だからと安心していたがこれは目に余るぞ。……ん? この匂いはツナか?」

「目を覚ませ撫子!! くそ、おいやばっ……!」

 難波に突っ込む余裕すらなくなっていた真澄の手がついに離れてしまう。


 撫子はその髪を振り乱して拘束していた網を強引に切り開く。裂けた目から撫子は顔をのぞかせると不気味に笑った。


「撫子クンはいつからツナ缶信奉者になったんだい?」

 撫子の項を通り過ぎて手が伸びる。髪に触れたのは難波の色とりどりな数珠を巻いた左手だった。

 いい加減目を覚ませと誰もが思った難波の行動。髪からお弁当・・・を取り払う難波をみていられないと目を背けた道代。

 だが、その視界に異変が生じた。

 ポンッ。

 撫子の背中からなにか黒い影が飛び出たのだ。

「うおっなんだこれ!?」

 宙をさまよいもぞもぞする黒いなにかだったが、風に乗って飛んでいってしまう。



「何だったの……あれ?」

 夏帆が尋ねた。瑞穂にとっても得体のしれないそれには言葉がない。

 誰もがぽかんとしてしまう。

 影が出ていった撫子の体はふらつき、倒れていた真澄の上に着地した。ヒキガエルが鳴くような音がした。

「……んん。あれ? わたくし……一体……」

 目をパチパチと開く撫子。

 のんきにあくびなどしていた彼女の頭に突然チョップが入る。


「おい、言いたいことがあるならちゃんと言え。瑞穂にも、俺にもな」

「痛いですわ!? なぜわたくしなぐられて……ひゃ?」


 崩れ落ちたせいで撫子の体の下には真澄がいたのだが、ちょうど胸元に真澄のたくましい腹筋があった。撫子は真澄を見上げて叫んだ。


「いやですわ~~!!」


「だから誤解だあああああ!!」と叫ぶ真澄の冤罪は瑞穂たちの証言で無罪認定されるも、難波からの疑いの目だけはしばらく続いた、らしい。


 構内で撫子がカッターを振り回していた現場は多くの生徒に目撃されていた。ところがカウンセラーや教師は首をひねる。表面上、問いかけにも屈託無く答える撫子。だが彼女自身にも直近の記憶はなく、最近の行動を追ってみたが、教室に現れるまで監視カメラにさえ映っていなかったことが発覚した。ワープでもしたとしか思えない事実にこの件は月ヶ丘芸術大学始まって以来の怪奇現象として噂されている。当の撫子は心配した両親と学校との話し合いで休学となった。本人は療養そっちのけで瑞穂たちと頻繁に連絡をとっていた。瑞穂たちにしてもあまりにも平常運転の撫子に、あれは白昼夢だったのではと片付けるのであった。

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