第6話 化け狐のアイコン

 エレベーターで瑞穂は思い出していた。

 そういえばツキガミ様の手は冷たい手だったな、と。

 瑞穂のものと比較すると異質で確かに人間味の薄いものではあった。なめらかな質感も薄い色素も羨ましいほどに美しいとは思うが。

 

 そんなことを思い出しながらたどり着いた雑居ビル。

 その4階に『鶴岡シャンティ』はあった。

 

 ピアノのメロディーが響く扉を外側から押すと、中にはマットを引いてなにやら変ったポーズをするおばさんおじさん達と指導員の男性がいた。

 瑞穂は間違えたかと慌てて扉を閉めた。が、もう一度顔をのぞかせると、申し訳なさそうに中の相手が苦笑いした。


「ダンスの練習ですって!?」

 彼……否、マーガレットママは筋肉バキバキで全身タイツのような衣装のうえにバレエのスカートをはいた、いわゆるおネエさんだ。

 刈り上げた髪型がセクシーだとかで、階下のバーのお客さんも見に来るらしい。それは教室のおじさんおばさんにとってもほどよい刺激、つまりプレッシャーとなっていた。

 瑞穂の話を聞くとママは舞い上がった。ここのところダンスをしたい生徒の減少により始めた副業のヨガ教室。ところがこれがいいのかわるいのか、余計に生徒数は目減りして踊りを教えるのはもうむりかとママは内心諦め始めていたらしい。

 瑞穂の手を取って浮かれるママの熱量とそのビジュアルの濃さに引いてしまう瑞穂。

 気にした素振りのない瑞穂をよそにママはウキウキとパンフレットを取り出している。どうやらダンスレッスンについて説明するつもりらしい。


 その間に周囲のおじさん達が気安く瑞穂に話しかけてきた。

「ママさんの教え方は上手だからね、瑞穂ちゃんもきっとすぐうまくなるよ」

「そーよ。この人こんなだけどとっても丁寧なのよ-」

 話しかけてきたヨガ教室の恰幅のいい中高年たち相手に瑞穂はぎこちなく笑った。

「こらー! あんた達、あんまり調子づいてると汗がとまらなくなる子豚ちゃんのポーズ追加するわよお~」

  中高年たちは豚の鳴き声のかわりにヒイヒイと音を上げて応えた。

 ぎゃあぎゃあ騒がしい教室に本当にここでよかったのかと不安になる瑞穂だった……のだが。


 しかしこのセンセ、実は鬼コーチであった。


 予約のことを話すとお金の話になった。月収の話をきいて青くなった瑞穂。お金がかかるなんてきいてないとツキガミに当たろうとしたところ、手元の会員証に気づいたマーガレットママのはからいで事なきを得た。どうやら話が通っているというのは本当らしい。瑞穂は胸をなで下ろした。


「なるほど、久々のお客様だから接待営業しようかと思ったけどそれじゃだめね。あの方の命とあらば、裏ごしまできれいに済まして舞台に立ってもらうわよ、覚悟はいいわね、瑞穂ちゃーん?」


 そして。瑞穂はツキガミにいいように丸め込まれたと憤る。

 だまされたことに気づいたのは聞きなじみのあるメロディーがラジカセから流れ、ママの振り付け表をみせられた時だった。

「これって踊りは踊りでも儀式的というか……ええと」

 目が点になる瑞穂だった。

 ママは瑞穂の背中をばしばしはたきながらはけらけらと笑った。

「なーに当たり前のこと言ってるのよ! お祭り用の舞なんだから当然でしょ」


 カセットテープから流れる神楽の曲に合わせて瑞穂は腕を懸命に動かす。

 のろまな動きにみえるが、そのじつ抑えながら動くのが普段と違った動きなので、筋肉が刺激され早くもぷるぷるとしていた。

 つっと床で滑りそうになった足、その瞬間、ママのゲキが飛んできた。

「当日の衣装も考慮して踊るのよ! そんなんじゃすっころぶわよー」

 無茶な、と冷や汗がとまらない。瑞穂の腕も脚も明日の朝は筋肉痛に違いなかった。

「いいわね、ヒメ。あなたは湖一美しい白鳥になるのよ。そのためにはアヒルではだめ。ダチョウになるの!!」

 バサっと腕を羽に見立てて広げるママ。

 瑞穂は顔面蒼白になった。

 意味不明な助言のせいもあって、もはや苦しみしか見いだせない。


 なお瑞穂のものではない会員証のせいで会員名は「マル秘」になっている。そのせいでママからはヒメちゃんなんて呼ばれるようになってしまった。


 今日も今日とて授業終わりからスクールの予約が入っていた。

 雨の中、バスに乗ってたどりついた教室は静かだった。

 きゅうきょママに電話があり、彼女は1階の事務室へ向かった。


 瑞穂はときおり雨粒が流れ落ちるのを窓際でゆううつげにながめていた。

 そこへ肩を叩かれる感触。

「疲れたか?」と尋ねているのはツキガミであった。

 差し入れとして一緒に渡されたのはわだち最中。老舗の和菓子屋で、おばあさんと孫が経営している。看板ばばあとして有名なおばあちゃんが縁側から最中を差し出す姿にはほっこりさせられる。

「いただきます」

「うむ」

 はぐっと瑞穂は最中に口をつける。ほのかな甘味に思わず笑みがこぼれた。

 この前もっていた最中は甘党なルームメイトがわざわざ買ってきものである。まさかおすそわけされたそれをさらにおすそわけしたらかみさまと縁ができるとは思わなかったが。

「これってツキガミ様がわざわざ買ったわけじゃないですよね?」

「ああ、供え物じゃ。昔から慰めて愚痴を聞く仲じゃからな」

「どんなつてですか……」

「なあにあそこの娘っこはよくけん玉の練習に来ていたからな。頑固じじいから逃げてよく泣き言をいってたものじゃ、ほっほ」

 ツキガミは扇子を口元にもっていきニヤリと笑った。

 笑顔が似合うおばあさんにもそんな過去があったとは、と瑞穂は意外な昔話を素直に聞いていた。


「……そういえばこの町の人とも親しげですよね。ママさんとも知り合いっぽかったし」

「まあな。昔はよく降りていたんじゃよ。いまはよぼよぼじゃがな」

 笑かしてくるツキガミに最中を食べる中むせてしまう。

 瑞穂は慌ててお茶を飲んで事なきを得たが、その拳をツキガミの肩に何度か乗せた。ところが八つ当たり的な肩たたきに「よい塩梅じゃあ」とのんきなツキガミであった。


「神様……なんですよね」

 瑞穂は神妙な顔をしてつぶやいた。

「大分欠けてはおるがな」

「ほかにもいるんですか、神様以外にも神様って」

「ここをどこだと思っておる。やおよろずの心は八百万の神を生む土壌じゃ。……しかし今は隠れし者が多いがな」

「どうしてですか?」

 質問をしても答えはない。虚空をにらむツキガミは黙ってしまった。


 会話を遮った代わりに真剣な目でツキガミはいう。

「ブーブー言う瑞穂にみせてやろう。一度だけじゃ、しかと目に焼き付けよ」

 ッタン、と足をレッスン場の床におろしたツキガミ。

 ラジカセのスイッチを押すこともなく、無音の中、踊りを披露する

 まごうこと無き舞、月光神楽だった。

 日頃の所作からみていた瑞穂はあまりにも楚々そそとした姿に目を奪われてしまった。


 舞が終わると瑞穂は口にした。

「ツキガミ、様。私が踊るよりあなたが踊った方がずっといいですよ」

 暗い顔をして訴える瑞穂にツキガミは活を入れた。

「なにを弱気になっておる。そなたが舞うのだ。大空を目指すなら、大トリを飾るのだ。われは信じておるぞ」

「うっ……うう……」

「おまえならできる」、「きみにはさいのうがある」、そんな言葉を使わずとも、確信しているツキガミの言葉が瑞穂の胸にじんわりと響く。

「あたし……やります。うん、やるよ、ツキガミ様にみせてやりますからね!」

「うむ。楽しみにしておるぞ」


 あれからツキガミに応えようと瑞穂は真剣に記憶の中の舞をまねた。

 その変貌っぷりにママもほだされ、指導の熱は一層入った。


 だがあれからもツキガミとの関係性は変わらず、時折お茶目なイタズラをしかけては瑞穂を困らせてくる。


 今日など、勝手にSNSアプリを起動していて昼寝中だった瑞穂のぶちゃいくな寝顔を、なんと撮影していた。あろうことかネットにまでアップして。


 Mizuho32@

 教え子の寝顔じゃ、とくと見よ。

(画像添付)

 丸月罰日開催の神月祭り

【月光神楽】踊り子に決定


「なーにがとくと見よ、よ。これじゃいろんなとこから人が来ちゃうじゃない! どうすんの……ああ……また再掲載されてるしぃ」

 瑞穂にとってはすっぴんを乗せるのとどっこいどっこいなレベルであったが、そんなことを知ってか知らずか、ツキガミは今日も最中を味わっている。

「そのための宣伝じゃが?」

 さもありなん。瑞穂はぐうの音も出ない。

 小憎らしい相手をにらみながらSNSのフォロワー数がまたひとつ減ったのをみて悲しくなるのであった。

「外しか見ないよそ者など放っておけ。ほれ瑞穂、時間じゃよ」

「わかってますー。それじゃあ行ってきますね!!」

 投げやりな返事の瑞穂はまだ吹っ切れてはいない様子で、ツキガミに大変不服そうに返した。

「わっはっは。ところでそのあいこんとやらはかわいいのぅ」

「へ!?」

 階段で足を踏み外しそうになった瑞穂。

 思わぬことを言われたので、ぼふんっと思わず赤くなった顔で振り向けば。

「瑞穂には化ける素質があるのう」

「私は狐じゃありませんよ、もう!!」

 人を悪し様に言わんでよと瑞穂はツキガミ様に思いやられるのであった。

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