第14話 いにしえの記憶
アロイスが部屋を出ていった後、ゼナはドレスを脱いでシュミューズ姿になり、そのままベッドに横になった。屋敷のベッドと同じくらいふかふかで、とても寝心地がいい。
そんなことを考えているうちに、微睡みの中に吸い込まれていく。パーティーでずっと気を張っていたからか、その疲れがどっと押し寄せたようだった。
足首の痛みは、アロイスが塗ってくれた軟膏のおかげで和らいでいた。軽い症状だから明日には治っているだろう。
ゼナがうとうとと、瞼を閉じては開けてを繰り返していると、入口からガチャリと扉が開く音がする。
(ああ、アロイス様が戻ってきたのね)
ゼナは夢うつつにそう思うが、眠気に勝てず、そのまま目を瞑ってしまう。夢か現実かも分からない境目にいるのだ。
「ふぅ……」
アロイスの小さなため息が聞こえた後、少し経ってからベッドが軋み、ゼナの隣に人の温もりを感じる。
「──おやすみ、良い夢を」
微睡みの中にいるゼナの耳に、アロイスの微かな声が入ってくる。
そして、その囁きと共に、ゼナの唇に何か柔らかいものが触れた。
(……?)
かと思いきや、それはすぐに離れていき、再び空気が唇に触れる。
「へ……!?」
突然の出来事に驚いたゼナは、咄嗟に目を見開く。ほとんど夢の中だった意識が現実に呼び戻されてしまった。
(な、なに……?)
数秒その場に固まった後、やっとのことで隣を向くと、そこにはアロイスの大きな背中があった。マントとジャケットを脱いでおり、いつもの黒いリネンシャツとは異なる白シャツを着ている。
疲労からか、ゼナの覚醒に気づく様子はなく、既にすやすやと小さな寝息を立てていた。
(今のは……キス?)
ゼナは火照った顔で、自分の唇に指先を添える。
本当に口付けをされたのだったら、これがゼナのファーストキスである。嬉しいやら、恥ずかしいやら、明日の朝どんな顔でアロイスに挨拶をすればいいのやら。
(はやまってはだめよ! わたしの夢かもしれないわ……!)
真実は天のみぞ知るというやつだ。
混乱する頭でぐるぐると考えていると、ふと、傍にあるアロイスの背中に違和感を感じた。
「ん……?」
彼の素肌がシャツ越しにうっすらと透けており、そこにあるのは綺麗な白い肌だけではなく、何か変わった痕が──。
そのとき、冷水を浴びせられたような衝撃がゼナを襲う。
アロイスの背中には、こぶし大の一対の痣があった。羽のような痣である。そう、ゼナと同じ天使の両翼だ。ゼナと比べると色素が薄く、形も少し違うようだが、あまりにも見覚えがある。
「なっ、なんで、アロイス様が……」
ゼナは思わず声を震わせ、慌てて手で口を塞ぐ。
アロイスは深い眠りに落ちているようで、起きる様子がなくホッとするが、その一方で、鼓動の音が聞こえてきそうなほど、心臓がドクドクと脈打っている。
普段は黒色の衣服を着ているから、この羽には気づかなかった。
(これは、どういうことなの……? わたしの羽とよく似ているわ)
これは、ゼナだけが持つ呪いの羽ではないのか。
アロイスも同じものを持っているということは、彼も呪われているのか。
ゼナはぎゅっと目を瞑り、ゆっくりと開く。そして、もう一度アロイスの背中を見つめるが、そこにはやはり羽の痣があった。
夢じゃない、現実だ。その痣は、先程の口付けよりもずっと鮮明にある。
ゼナは無意識にアロイスの羽へと手を伸ばす。
夢物語の勇者が、洞窟にある魔法の宝石に魅入られたときのように。これ以上の詮索はいけないと脳が警鐘を鳴らすが、やがて、ゼナの指先がアロイスの背に触れてしまった。
その瞬間、ゼナの背中が鈍く痺れる。
「な、に……? 急に眠気が……」
そして、一度は覚醒した意識が、再び、眠りの深淵の奥へと引きずり込まれていった。
***
ゼナは夢の中にいた。
すぐに、これが夢だと分かった。明晰夢だ。夢の中で夢だと分かる、こんなことは初めてだった。
ゼナは白い宮殿の中で、誰かの腕に抱かれて横たわっていた。胸の辺りがとても熱い。
「ゼーラ、ゼーラ!」
頭上から誰かに呼びかけられる。それは『ゼナ』ではなく、知らない名前だ。しかし、どこかで聞いたことがある気がするが、今は思い出せない。
ゼナは霞む視界の中、自分を抱く青年を見上げる。そこには、透けるような金髪に碧い瞳があった。
(カイン殿下……?)
一瞬、ゼナはその青年をカインだと思った。しかし、すぐにその認識が間違っていることに気がつく。
ゼナの手を握りながら、こちらを見つめて瞳を揺らし大粒の涙を流す青年。どういうわけか、その手は血に濡れている。
(アロイス様だわ。髪の色も、瞳の色も違うけれど、この方はアロイス様だ)
愛する人に抱かれているという安心感から、ゼナは僅かに微笑む。すると、青年ははっと息を呑み、一層激しい涙を流す。
(アロイス様、泣かないでください)
そう言いたいけれど、ゼナは口を動かすことができない。
「ゼーラ、次こそ幸せになろう。一生を共に過ごそう……! あなたを死なせない。必ずあなたに会いに行くから、それまで待っていてくれ……!」
ゼナを見下ろして悲痛な嘆きを漏らす青年の背には、白く美しいものがあった。
はね、羽だ。──天使の羽だ。
青年は背から大きな白い羽を生やしていた。世にないほど美しい純白で、きらきらと輝いて見える。
「あなたのような人を愛することができて、わたしは幸せでした……」
そのとき、ゼナの意思とは別に、口が勝手に言葉を紡ぐ。すると、ゼナの言葉を受けた青年は、感極まった様子で、ますます綺麗な涙を零してしまう。
(とても、あたたかいわ……)
青年の温もりに包まれながら、ゼナはゆっくりと瞼を閉じる。痛くはない。怖くもなかった。
あなたの腕に抱かれて眠れるなら、それだけで十分すぎるほど幸せだ。
暗闇の中、彼女はそう思ったのだった。
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