第13話 一途な愛
パーティーも終盤になり、盛り上がる人々の熱気にあてられて、会場全体がどこか火照ったような雰囲気になっている。
ゼナもカクテルを一杯飲んでみたが、それだけで身体が少し熱くなったのを感じた。
(ちょっと眠くなってきちゃった)
次々とアロイスのもとへやってくる貴族たちと挨拶を交わしたが、名乗るだけでも結構疲れるものだ。場馴れしていないのもあるかもしれない。それに、ゼナを見る目は好奇の目が多く、その視線にずっと緊張しっぱなしだった。
「ゼナ、あっちで少し休まないか」
「はい」
ぼうっとしていたところに、アロイスの声が降ってきてゼナは彼の方へ歩み寄る。
そのとき。
「あっ」
ゼナの身体が地面へと傾く。慌てたせいで、足のバランスを崩してしまったのだ。
「ゼナ!」
幸い、アロイスがゼナの手を掴んで助けてくれたため、転ぶことは回避出来た。
「ありがとうございま──いたっ……!」
アロイスに礼をしようとしたとき、足首に鋭い痛みが走る。どうやら、よろけた際に捻ってしまったようだった。
「ゼナ、大丈夫か?」
「少し足をくじいてしまって……」
「じっとしてろ。俺が支える」
「え!?」
突然アロイスの腕に抱きかかえられ、ゼナは咄嗟に彼の首に腕を回す。すると、思いの外アロイスの顔が近くに見えて、息が止まりそうになった。
「社交はもう十分だ。このまま外に出よう」
ガラスの音を耳にした周囲の人々の視線がゼナに集まり、羞恥に顔が熱く火照る。
「すみません……自分で歩けますので……」
「ダメだ。足を使っては悪化してしまう」
アロイスはゼナを抱いたまま、大広間の扉の方まで歩いていく。貴族たちは好奇の目を二人に向けて囁き合う。
「へえ、黒王子は婚約者のことをお気に召しているらしい」
「なんだかな。あの優しさを我々にも向けてくださればいいのに」
そこで、若い二人の男の会話がゼナの耳に入ってくる。
わざとこちらに聞こえるようにしているのか、それともそこまで気が回らないのか、他の話し声よりも鮮明に聞こえた。
「だが、あの噂を知っているか? シェードレ子爵令嬢は呪われているとか」
「本当か? 忌み子を婚約者にするなど、王子も王子だ」
「なにを考えているんだか。厄介なことにならなければいいがな」
その内容に、ゼナはびくりと肩を震わせる。
(なんで、この人たちがそのことを……)
ゼナは世間に疎く、自分が外でどのように思われているかなど知りもしなかった。しかし、考えてみれば、子爵家の者がゼナの呪いのことを誰かに話していてもおかしくはない。
(わたしのことはいいけれど、アロイス様がそしりを受けるのは耐えられない)
この上ない罪悪感がゼナを襲う。
アロイスに顔向けができない。呪われていると言われながらそれを黙っていたことも、全て自分の傲慢さが故だ。知られたら婚約破棄されると思っていたから、まだアロイスに話せていない。
「貴様ら、何を話している?」
そのとき、アロイスが歩みを止めて、例の男二人の方を向く。突然声をかけられた二人はぎょっとしてアロイスを見る。
「俺の婚約者を侮辱したのか」
「え……?」
苛立ちの滲んだ低い声に、ゼナは驚いてアロイスの顔を見上げる。
そこには、静かな怒りの色が浮かび、そのルビーの瞳には冷たい炎を宿していた。
「ひっ、アロイス殿下……!」
「い、いえっ、僕たちは何も!」
男二人は冷や汗をかきながら必死に顔と手を振り、青い顔で弁明する。
ゼナも、その殺気立ったアロイスの雰囲気に圧倒されていた。一方で、胸が高ぶるのを感じる。
(わたしのために、怒ってくださっているの……?)
「俺のことを言うのは構わないが、彼女を悪く言うものは許さない。目障りだ」
アロイスはそう言って、鋭い眼差しで男たちを一瞥し、前へ向き直る。男たちはアロイスの圧に震え上がって、慌てて逃げて行った。
一方、そんなアロイスの様子に、ゼナは確信する。
子爵家で、そして謁見の間で見たアロイスの怖い顔。初めての夜に見た、凍てつく表情。それら全てはゼナに関わるものだった。
ゼナはそんなアロイスを少し怖いと思いながらも、同時に胸に響くものを感じていた。
これが、愛だ。
そう思った途端、全身が歓喜に脈打つ。アロイスがゼナに囁く愛の言葉を、ようやく実感できた。自分は愛されているのだと──。
「シュテファン、後のことは頼んだぞ」
「仰せのままに」
アロイスは扉の傍で控えていたシュテファンに命じ、ゼナを抱えたまま大広間を出る。
「──クソッ、牽制が足りなかったか」
賑やかなパーティー会場とは対照的に閑静な廊下で、アロイスが吐き捨てる。
そこで、ゼナは興奮に震えながらもおずおずと口を開いた。
「アロイス様、ありがとうございます……。そして、すみません。婚約者としてみっともない真似を……」
ゼナの言葉に、アロイスは目を丸くして「ゼナが謝る必要はない」と首を振る。
「むしろ、嫌な思いをさせて悪かった。あなたの過去については、子爵から聞いた。俺はゼナが呪われているとは思わない。ゼナがそう思う必要もないんだ」
そんな優しい台詞が間近で聞こえて、ゼナは堪らなくなり、小さな声で「ありがとうございます」と礼を言う。
(アロイス様は知っていたのね……)
ゼナを産んで母が死んだこと、ゼナの背中にある気味悪い羽のこと、そのために忌み子だと言われていることを。知っていながら、ずっとそばに置いてくれている。それが、どんなに嬉しいことか。
アロイスはそのまま廊下を進んで行き、ゼナを宮殿内の一室に連れていく。
「ゼナ、ここは俺の部屋だ。もう遅いし、今日はここで寝よう」
その部屋は屋敷にあるアロイスの寝室と同じような造りで、テーブルとアームチェアが豪勢なベッドが置かれている。
「すみません。重いでしょうに、お手を煩わせてしまって……」
「またそんな言い方を。俺はゼナの役に立てるのが嬉しいんだ」
アロイスはゼナをベッドの上に座らせると、棚から軟膏を取り出して、ゼナの足首に塗ってくれた。ひんやりとして気持ちいい。
「よし。あとは、しばらく安静にしていたら、良くなるはずだ」
「本当にありがとうございます」
ゼナが礼を言うと、アロイスは「あなたの手助けができてよかった」と微笑んだ。
「悪いが、少し出てくる。先に寝ていてくれ」
「わかりました」
アロイスの申し出に、ゼナはこくりと頷く。
何かあったのかと疑問に思うが、自分の気持ちを落ち着かせるためにも一人の時間はありがたく感じた。
***
アロイスは暗い廊下を歩いて行き、宮殿内にあるカインの自室を訪ねる。
「兄上」
「おや、アローじゃないか。わざわざ訪ねてくれたのかい。僕と話したりなかったのかな?」
「わざとらしい。話したいことがあるのはお互い様でしょう」
部屋の中には着替えもせず、アームチェアに腰かけるカインが居た。アロイスは険しい表情でカインに詰め寄る。
「あんたも気づいたんでしょう? ゼナのことに。動揺が隠しきれてなかったですよ」
「珍しいな、おまえが女に興味を示すなんて。父上に言われて、渋々婚約者を選んだものだと思っていたが、本気であの子爵令嬢に惚れたのか?」
「は……?」
アロイスの問いかけに、カインは大仰に目を見張り、興味深そうな声色で話す。
そんな彼の様子に、アロイスは唖然とする。
ふざけているのか? この男はこちらの質問の意図を分かっているはずなのに、白々しくズレた返答をしている。
「──カイン、とぼけるのはやめろ!」
アロイスは我慢ならずに怒声を上げる。
「ごめん、ジョークだよ。僕も混乱しているんだ。──本当にびっくりした。まさか姫様がいるなんて……。前の記憶はないみたいだけど……」
すると、カインは今までのふざけた様子から一転して、真剣な顔付きになる。少し震えたその声からは、彼の言葉通りの動揺がアロイスにも伝わった。
「名は違うが、絶対に彼女の生まれ変わりだ。羽の証もあると聞いた。カイン、余計なことを言うなよ。ゼナが覚えてないならそのままでいいんだ」
アロイスはカインを鋭く睨みつける。
「──俺たちは今度こそ幸せになる。ようやく再会できたんだ。絶対に離さない」
そして、色のない顔で自分の手のひらを見つめて、独り言のように言葉を紡いだ。まるで呪いだ、とカインは思う。
「……こわいなぁ、もう。僕が彼女を殺したんじゃないよ。とっくに誤解は解けてるでしょ」
カインは観念したように両手を上げて、ゆるゆると首を横に振る。
その言葉に、アロイスはびくりと肩を揺らした。
「……すみません。自分でも感情のコントロールができないんです」
「はいはい、大事な弟のことは分かってますよ」
悔しげな声で謝るアロイスに、カインは優しく微笑む。
「話はそれだけです。あまり、ゼナを刺激しないようにお願いします」
アロイスは言い終わると部屋から出て行く。バタンッと大きな音を立てて扉が閉じられる。
「まったく、アローは一途だねぇ。何度生まれ変わっても愛し続けるなんて。もう、あれから何百年、何千年経ったのかも分からないや」
カインはアームレストに頬杖をついて、扉の木目をぼうっと見つめる。
たしかに、カインはゼナを見て動揺した。まさか、アロイスの婚約者があの姫様だとは思わなかったのだ。加護もないのに再び彼らが出会うなんて、なんという宿命なのだろう。アロイスにとっては宿願が叶ったようなものだ。
「前世の宿縁というのはそんなに強いものなのかな。彼女はまだ記憶が蘇っていないようだけど……」
ゼナは記憶が無いようだった。そのためか、カインが知っている彼女とは纏う雰囲気も異なる。だが、ゼナは間違いなく彼女だった。見た目も声も同じ。それに、カインはまだしも、アロイスが彼女を間違えるわけがない。羽の証があるというなら尚更だ。
「ふぅ……」
カインは背もたれに体重を預けて点を仰ぎ、深いため息を吐く。
「──姫様が記憶を取り戻した後、あいつの罪を知ったらどうするんだろうね」
運命の歯車が再び回り出した。なにも知らない姫様と、彼女を求め続けた王子。アロイスが「そのままでいい」と言っていたように、彼女は記憶がないままの方がいいかもしれない。
「ふふ、この先が楽しみだ」
一国の王子という立ち位置は優越感があり素晴らしいものだが、そろそろ退屈してきたところだ。
カインは立ち上がり、ベッドの方へと移動する。そして、羽織ったままのジャケットをその場に脱ぎ捨てる。
灯りを消すと、窓から月明かりが差し込み、暗い部屋を仄かに照らす。
「天よ……」
カインは薄明かりの中で両手を繋ぎ、祈りを捧げる。月光がカインに降り注ぎ、彼のしなやかな背を照らし出す。
そのとき、白絹に透けた彼の赤い両翼を月だけが知っていた。
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