第12話 白王子

 パーティーが始まってしばらく経った頃、アロイスは国王に呼ばれた。彼はゼナの元から離れるのを心残りにしていたが、「すぐに戻ってくる」と駆けていった。


 ゼナは手持ち無沙汰になり、壁際の方でじっとアロイスの帰りを待つ。ちらちらとこちらをうかがう周囲の視線が痛くて、ゼナは両手を握って俯く。


「ゼナ・シェードレ」


 そのとき、凛とした声がゼナの名を呼んだ。


「えっ、ディシア様?」


 驚いて顔を上げると、そこには美しいドレスを着たディシアが腰に手を当てて立っていた。その顔には、怖いくらいにこやかな笑みを浮かべている。


「少し話したいことがあるのだけれど、いいかしら?」


 近くのバルコニーを示しながら問うディシアに、ゼナは躊躇いながらも頷く。公爵令嬢の誘いとあらば、断ることはできない。


 ディシアの後ろを着いてバルコニーに出ると、扉が重い音を立てて閉まり、夜風の下に二人きりになる。

 すると、ディシアは笑顔から一転して、ゼナをきつく睨みつける。


「あなた、アロイス様に目をかけられたからって、調子に乗っているんじゃなくて?」

「へ……?」


 ディシアの言葉にゼナは目を丸くする。そして、恥ずかしくなる。

 たしかに、ゼナは浮かれていた。アロイスから愛される喜びに浸ってしまっていたのだ。

 言葉に詰まったゼナを見て、ディシアは更に語気を強める。


「そのルビーも、わたくしに対抗して見せびらかして……」


 ディシアはゼナの左手にある指輪を指した。純度の高いルビーは皇族しか扱えないもののため、アロイスから貰ったものだと気づいたのだろう。


「そんなつもりはありませんわ……」

「わたくしからアロイス様を奪っておいて、いい気になるなんて……なんて性悪女なの!」


 捲し立てるディシアに、ゼナは強く言い返せない。

 ディシアからすれば、ゼナが強奪者に見えるのも当然だと思ったからだ。きっと、国一番の公爵家に生まれた彼女は、王子の婚約者になるべく育てられたのだろう。


(でも、ここで引いてはだめ。他の人は関係ない、堂々とするって決めたんだから……!)


 ゼナは顔を上げてディシアを正面から見つめる。


「ディシア様のドレス──」


 様子の変わったゼナに、ディシアは片眉を上げる。


「とてもお似合いです!」

「はぁ?」


 そして、うっとりと微笑んでディシアを褒める。すると、ディシアはぎょっとして眉をひそめた。


「ワインレッドが本当に素敵で、童話のお姫様みたいで見蕩れてしまいます! そのダイヤモンドのネックレスも輝いていて、ディシア様の美しさが際立っています」


 ゼナはディシアに負けない勢いで、彼女を褒めそやす。すると、ディシアは気圧されて唖然としている。


 これは、ゼナなりの社交術であった。

 こんなところで、公爵令嬢と争っても無意味だ。姉との日々のように、刺々しい空気で呼吸したくない。


(それに……ディシア様は本当に美しいもの)


 そんなに怖い顔ばかり向けられては心が折れる。

 この場で、彼女になにか言い返したとしても、ただ頭を下げて耐え忍んだとしても、それは子爵家にいた頃の弱いゼナのまま。

 もう、下を向いて生きるのはやめたのだ。


「フン、突然なによ。媚なんて売ってきて。さては、アロイス様に飽きられたのね?」

「いいえっ、本当にそう思っただけです! ディシア様は見蕩れてしまうほどお美しい御方ですもの」

「それ、本気で言っているの? もしかして、わたくしをバカにしてるのかしら」

「そんなことはありません……! 本気です」


 睨むディシアに対して、ゼナは首を横に振る。

 花嫁選定でディシアを初めて見たとき、彼女はゼナが思い描く理想のお姫様だと思った。美しく可憐で、気高い。そのとき抱いた憧れは今も変わっていない。

 ディシアはこちらのことを憎んでいるかもしれないが、ゼナ自身は彼女といがみ合うことはしたくなかった。


(仲良くなれたらいいのに……)


 直にアロイスが戻ってくる。彼にはこんな修羅場を見られたくはない。ディシアもきっとそうだ。

 ゼナはディシアの手を取り、大広間へと引っ張っていく。


「そろそろ中に戻りましょう。寒くなってきましたので」

「なっ、急になにするのよ!」

「このままでは、大事なお身体が冷えてしまいますから。さあ!」

「ちょっと……!」


 ゼナは戸惑う様子のディシアの手を引いて、広間へと戻った。


***


「ゼナ! 無事か!?」


 バルコニーを出ると、焦った様子のアロイスがゼナの元に駆け寄ってきた。どうやら、会場から姿を消したゼナを必死に探してくれていたようだ。


「すみません! 勝手に動いてしまって……」


 ゼナはそう言って頭を下げる。

 その後ろにいたディシアは、バツが悪そうな顔でアロイスに会釈をし、さっとドレスを翻してどこかへ去っていってしまう。


「ウィンクラー公爵令嬢と一緒にいたのか」

「はい。少し人混みに酔ってしまったので、一緒に夜風に当たっていたんです」

 

 ゼナが笑顔でそう言うと、アロイスは怪訝な顔をしつつも踏み込むことはせず、「そうか」とだけ頷いた。


(アロイス様に余計なことは言うべきじゃない。ディシア様と仲良くなりたいもの)


 またディシアと会える機会が来るはず。そのときは、もっとちゃんと話をしたい。


「おや、こんなところに美しい姫様がいらっしゃる」

「え?」


 柔らかい声がゼナに向けられる。今度は甘い美貌の貴公子が、ゼナとアロイスのもとへと歩いてきた。

 透けるような金髪に青い瞳を持つ貴公子は、人を惑わせるような美しさを持っている。そして彼は、アロイスと同じマントを肩にかけていた。


(この御方は、もしかして……)


 ゼナはその正体に思い至り、目を見開く。


「兄上」


 隣のアロイスが苦々しく呟く。それに対して、貴公子は困ったように笑う。


「アロー、そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないか。──姫様、僕は第二王子のカイン。以後お見知りおきを」


 そして、ゼナに向かってふわりと微笑みかけた。


(やっぱり、第二王子殿下……!?)


 どうやら、ゼナの予想通りこの貴公子は皇族であり、メルンド国第二王子カイン・フレンツェルのようだ。兄弟でありながら、アロイスとは正反対の雰囲気を纏っており、黒王子の対照として彼は白王子と称される。


「も、申し遅れました。シェードレ子爵家のゼナと申します」


 ゼナは慌てて会釈をするが、そのとき、引っ掛かりを覚える。


(あれ、この御方もどこかで見たことが……)


 記憶が疼くのに、どうしても思い出せない。気のせいなのだろうか。しかし、アロイスを初めて見た時も、同じことがあった。

 拭えないその違和感に、ゼナは頭を悩ませる。


「ゼナ嬢、よろしくね」


 カインはそう言ってゼナの方へと手を伸ばすが、アロイスがゼナを庇うようにして立つ。


「兄上、この方は俺の婚約者です。気軽に触れないでいただきたい。──ゼナ、後ろに下がってろ」

「過保護だなぁ。少し挨拶をしようと思っただけじゃないか。アローの婚約者だっていうから気になってね。見るからにいい子そうだ」

「兄上は気にしなくていいです。今はあんたと関わらせたくないので」

「あーあ、僕は悲しいよ。昔は懐いてくれていたのに、いったいいつから当たりが強くなったんだろう……」

「ふん、昔からでしょう」


 ゼナは二人のやりとりを新鮮に感じた。大人っぽく見えるアロイスか、カイン相手だと弟に見える。


(あまり、仲が良くないのかしら……?)


 少し心配に思いながら、アロイスの後ろで見ていると、遠巻きに二人を眺める令嬢たちの会話が耳に入ってくる。


「黒王子と白王子って、お年もひとつしか変わらないのよね」

「アロイス殿下は少し怖いから近寄りがたいけれど、カイン様は常に物腰柔らかで優しそうだわ」

「カイン様は、前回の花嫁選定ではお気に召す方がいらっしゃらなかったらしいわ」

「次はわたくしが招待されないかしら……」

「皇太子殿下が居られないのが残念ね」


 どうやら、カインはまだ婚約者がいないようだ。皇太子殿下というのは、メルンド国第一王子のことだろう。アロイスに聞いた話によると、彼は同盟関係の強化のために、隣国に滞在中らしい。


 やがて、カインはどこかの貴族に呼ばれ、二人の会話が終わる。


「ゼナ嬢。何かあれば、いつでも僕を頼ってくださいね。些細なことでも構いませんよ。いずれ、義妹となるのですから」


 カインはそう言ってゼナにウインクを飛ばし、令嬢たちの歓声を浴びながら、優雅に去っていった。


「ゼナ、兄上を頼るくらいなら俺を頼れ」

「は、はい」


 カインの姿が無くなると、アロイスがゼナの肩に手を添えて迫真気味にそう言うので、ゼナはこくこくと頷いた。

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