第11話 ルビーの指輪
今日は宮殿で、メルンド国建国記念パーティーが開かれる日だ。ゼナはパーティーに参加するために、屋敷で身なりを整えていた。
「思った通りだ。よく似合っている」
「ふふ、ありがとうございます! このドレス、わたしのお気に入りです」
アメジストのドレスを身に纏ったゼナを見て、アロイスが微笑む。婚約者から貰った好きな色のドレスを着れるなんて、なんと幸せなことだろう。
「アロイス様も素敵です!」
「そうか。照れるな」
今日はアロイスもいつもとは異なる装いだ。
盛大なパーティーであるからか、黒の礼服は普段着ている衣装よりも一層豪華で煌びやかだ。王家の紋章が刻まれたマントも彼の優雅さを引き立てている。
ゼナが見蕩れていると、アロイスはぐいっと距離を詰める。身長差が大きいので、近い距離になるとゼナは自然と見上げる形になってしまう。
「ゼナ、目を瞑って」
「はい……?」
「少し触るぞ」
なんだろう、と不思議に思いつつも命令に従うと、アロイスがゼナの左手を取る。そして、薬指に冷たい感触がする。
「開けていいぞ」
アロイスの言葉で瞼を持ち上げ、左手を顔の前にかざすと、そこには、きらきらと輝くルビーの指輪が嵌められていた。
「わあっ! もしかして、わたしに……?」
「ああ。これは、俺の婚約者の証だ」
驚いて瞠目するゼナに、アロイスは頷く。
そのアロイスの瞳を見て、ゼナは気がついた。
(美しいルビー……アロイス様の瞳の色と同じだわ……!)
ゼナは感動で胸がいっぱいになって、目頭が熱くなる。
「ドレスも仕立ててもらったのに、素敵な指輪まで……わたし、こんなに幸せにしてもらっていいんでしょうか」
「もちろん、一生幸せにすると決めたんだ。それに、これは俺のエゴだから」
「エゴ?」
「ゼナは俺のだって、みんなに見せびらかさないとな。変な男に手出しされちゃ困る。……本当はずっと手を握っていたいくらいなのに」
「へっ!?」
アロイスは額に手を当ててため息を吐く。そして、ゆるゆると頭を横に振った。
「ああ、どうしよう。今になって不安になってきた。今日は貴族のご令息もたくさんくるからな。ゼナは俺が守らないと」
聞いてはいけないことを耳にしてしまった気がして、ゼナは慌てて視線を逸らす。まるで夢物語の王子様のような言葉に、ゼナはドキドキしてしまう。
(そうだ、アロイス様は本物の王子様だった……!)
それだけ想ってくれていると考えればとても嬉しいのだが、ゼナの心臓が持たない。甘やかな言葉には慣れていないのだ。
***
アロイスと共にパーティー会場に入ると、瞬時に視線が集まる。その注目をアロイスはものともせずに、ゼナの手を握って国王の元まで歩いていく。
「黒王子の登場だわ!」
「あれが、噂の婚約者か?」
「子爵家から王子に嫁入りできるなんて、羨ましいわ」
「まったく、第三王子は相変わらず怖い顔だ」
老若男女の貴族たちがざわめく。ひそひそと囁き合う声が聞こえてきて、ゼナは心臓が速く脈打つのを感じる。そして、なるべく周囲を見ないように、アロイスの背中を見つめた。
(思っていたよりも人が多いわ……。わたし、耐えられるかしら)
注目に耐えきれずにゼナが下を向くと、そこにはアメジストのドレスがふわりと広がっていた。
思い返せば、ゼナの身体を飾っているのは、アロイスから贈られたものばかり。髪飾りも、イヤリングも、ドレスも。ゼナの全身はアロイスの愛でできている。
このルビーの指輪もそう。この深みのある色を見つめると、アロイスを身近に感じられる。婚約者としての証であり、アミュレットのようなもとのだった。
(アロイス様がついてくださっているんだもの。自信をもたないとね)
毎夜、アロイスは隣で「愛している」だとか「好き」だとか甘く囁いてくれるので、ゼナは受け止めるのにいっぱいいっぱいである。愛を望んだのはゼナ本人だが、耐性がないのだ。
アロイスが国王に挨拶をした後、ゼナを抱き寄せて、会場に集まる貴族達に向かって言い放つ。その顔はいつもの微笑みではなく、ゼナ以外に見せる黒王子の冷淡な表情だった。
「皆様にもご紹介いたしょう。この方が"俺の"婚約者のゼナ・シェードレです」
一瞬にして注目を浴びるゼナは、とりあえず頭を下げる。こういうとき、どうしたらいいか分からない。それに、刺すような視線が痛い。
ゼナは大衆の中に花嫁選定に招かれているご令嬢を見つけて気が重くなる。
「俺が言いたいのはそれだけです。皆様、パーティーを楽しんでください」
アロイスはそう言うと、ゼナを連れてそそくさと会場の端の方へと歩いていく。
貴族たちは「今のはなんだ?」「なんと無愛想な」「少しは笑えないのか」と苦言を漏らすが、アロイスは全く気にしていない様子だ。
「アロイス様、これだけでいいのですか?」
「構わない。はっきり宣言するのが大事なんだ」
ゼナが問うと、アロイスは力強く頷いた。
ちらちらとゼナたちの様子をうかがっていた周囲の人々も、次第にカクテルパーティーに夢中になっていく。
「ゼナ」
「お父様……」
そんな流れ、ゼナのもとへ、父のダインが歩いてきた。アロイスはゼナの近くで黙って見ている。
(来ていたのね……)
子爵なのだから、パーティーに招待されているとは思っていたが、いざ対面するとやはり気が詰まる。しかし、予想外に義母のリリスと姉のライラの姿はなかった。
「お姉様とお義母様は来ていないのですね」
「私が来させなかった。ディシアが招待されていたとしても、殿下は選ばなかっただろう。以前、殿下がおっしゃられていた。おまえは運命の人だと」
ダインの言葉に、ゼナは息を呑む。アロイスは、子爵家でそのようなことを話していたのか。ゼナが後ろにいるアロイスを見ると、彼は静かに目を伏せた。
「おまえの真価を見抜けなかった私が馬鹿だった。殿下はおまえを愛しているらしい。──ゼナ、おまえのお陰でシェードレ家は繁栄する。一族の誇りだ」
ダインはゼナの真っ直ぐ目を見る。それは、今まで向けられた忌むような眼差しとは全く異なるものだった。
心の傷が癒えたわけではない。ただ、少しだけすっきりしたような気がする。
「お嬢様のことは、俺にお任せ下さい。今後は、俺がお嬢様の一番の家族となるのですから」
それまで黙っていたアロイスが前に踏み出す。続けて、ゼナも深呼吸して、口を開く。
「もう、わたしから子爵家を訪れることはしません。ですが、血は永遠に繋がっています。お父様のことは忘れませんわ」
はっきりと言ってのけたゼナに、ダインは目を見張る。
(そうよ、わたしは過去の弱いゼナと決別するの)
ダインはゼナの言葉を噛み締めるようにして、口を閉ざす。そして、間を置いて、「そうか」とだけ頷いた。
「幸せにな」
ダインはそれだけをゼナに告げて、その場から去っていく。それは、父が最後に見せた優しさだった。
(お父様の気持ちが、分からないわけじゃない)
きっと、愛した妻を死なせた我が子に、行くあてのない憎しみを向けていたのだろう。写真の中の、ダインの隣に映る母は、幸せそうな笑顔を浮かべていた。きっと、とても愛されていたのだ。
「ゼナ、大丈夫か」
色々な感情が綯い交ぜになって感極まるゼナに、アロイスが声をかけてくれる。
ゼナは、そのアロイスの表情を見て驚く。
「アロイス様こそ、大丈夫ですか? 難しい顔をして……」
「……ゼナの立場があるから爵位を剥奪するようなことはしないが、俺はゼナを蔑ろにしていたことは許せない。それがまだ心残りなんだ」
アロイスは暗く、険しい顔でダインの背中を見ている。どこかで、ゼナの境遇を知ったのだろう。彼は自分よりも怒ってくれているのだ。
「子爵家のことはもういいのです。わたしにはアロイスがいますから」
ゼナがアロイスの瞳を見つめて言うと、彼はハッと息を呑み、そしてひとつ息を吐く。
(少し大胆すぎたかも……)
ゼナは後悔して恥ずかしくなるが、予想外にアロイスは「そうだな」と、嬉しそうな声を出す。
「ゼナには俺がいるし、俺にはゼナがいる。他の者は関係ない」
アロイスはそう言って、柔らかい表情を見せた。
ゼナは胸が苦しくなる。もうすっかり、アロイスのことが好きで仕方がないのだ。人を想うことは、こんなにも心が囚われるものなのか。
花嫁選定からずっとそのことを実感する毎日である。
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