第10話 タルトの真心

 翌日その。今日は朝から、アロイスは政務で忙しいらしい。

 彼の仕事は外交や定期的な軍の視察が主だという。皇太子である第一王子と第二王子に比べれば劣るが、彼も国を背負う皇族としての責任があるようだ。時には、前線に立つことだってある。


 ゼナは婚約者として、責務を負ったアロイスを支えたいという気持ちを強く持っていた。


(けれど、政務の手伝いはできないし……)


 屋敷に来た時に、アロイスと交した約束がある。

 それは、一人で屋敷の外に出ないこと。外に出る場合はアロイスに伝えた上で、ルミナスなどの屋敷の使用人をお供に連れていくこと。

 政務には関わらなくていいと言われた。ただ、屋敷で待っていてくれればそれでいいと。


 もどかしくも思いつつ、それならば、精神的な拠り所として立派な務めを果たそうと、ゼナは心に決めた。

 まだ屋敷に来たばかりなので、絶賛模索中である。


 早朝に出かけて行ったアロイスを見送り、ゼナはルミナスの入れてくれたミルクティーを飲んでいた。


「奥様、仕立て屋プレヒティヒのマスターがお越しです」


 すると、執事長のレドラーが来客を告げる。

 アロイスが不在の今、この屋敷の代理の主はゼナなのだ。


 ゼナがエントランスへ行くと、先日出会ったマスターがガーメントケースを手にしていた。


「姫様、こんにちは!」

「こんにちは、アロイス様は宮中で政務をしてまして……」

「あら、そうなんですね。ご依頼のドレスを届けに来たんですけど、直接姫様にお渡ししていいですか?」

「は、はい」


 ゼナが頷くと、マスターは一度ケースを開いて、仕立て上がったアメジストのドレスを見せてくれる。


「わあっ!」

「ふふ、どうですか? 良くお似合いになられると思いますよ!」

「素敵すぎます!」


 美しいドレスに、ゼナは輝く眼差しを向ける。

 ふわりと広がるドレスには、繊細な刺繍ときらきらと輝く宝石が散りばめられていた。アロイスが選んでくれた色は、最高にゼナの好みと一致していた。


「あの、マスター。お代は──」

「えっ? いえいえっ! 殿下から既に受け取っていますので! それでは、またのご依頼をお待ちしておりますね!」


 ゼナが聞くとマスターは慌てて手を左右に振り、ぺこりとお辞儀をして去っていった。


「ねえ、ルミナス。アロイス様になにかお礼をしたいんだけど……」


 ゼナは悩みながら、ドレスの入ったガーメントケースを持つルミナスに尋ねる。

 こんなに素晴らしい贈り物をいただいたのだから、なにかお返しがしたい。


「そうですねぇ。今日は殿下は夜まで帰って来ませんし、なにかサプライズをしてみますか?」


 ルミナスはそう言って、悪戯に笑う。


「サプライズかぁ……」


 それはいい案だ。今はまだ午後三時頃で、アロイスが帰ってくるまで時間がある。


「それなら、殿下にディナーを振る舞うってのはどうですかい?」


 ゼナが自分にできることについて考えていると、タイミングよく通りがかった料理長のヴェンダルが提案してくれる。


「わっ、それいいですね!」

「奥様の手料理ならきっとアロイス様も大喜びですよ!」

「よし、決まりだ! そうとなりゃ早速キッチンに行きましょう!」


 ヴェンダルは腕まくりをしてやる気満々の様子だ。ゼナも「頑張ります!」と意気込む。


(作ったことないけど、なんとかなるはず……!)


 手料理は家の中でできるサプライズに最適だ。ゼナはアロイスの喜ぶ顔を想像して


***


 ヴェンダルに連れられゼナはキッチンにやってきた。ルミナスが髪を高く結ってくれて、エプロンを貸してくれる。


「すごい……!」


 ゼナはキッチンに立つのは初めてで、キッチンに広がる食材や調理道具、調味料などさまざまなものに感動する。


「オレが教えますんで一緒に作りましょう」


 ヴェンダルはそう言って、ゼナにレシピを教えてくれる。今日のメニューは、前菜からデザートまで揃った豪勢なディナーだ。

 ゼナはヴェンダルの指示を受けながら、一生懸命、ハーブのサラダやオーツ麦のリゾットなどを作っていく。


(なかなかいい感じじゃないかしら!)


 工程が簡単なので、料理初心者のゼナでもなんとか上手くできたように思う。皿に盛り付けられた完成品を見て、ヴェンダルも「初めてにしちゃ上出来ですぜ!」と褒めてくれた。


「メインディッシュはビーフシチューにしましょうか」

「いいですね!」


 ゼナがこの屋敷で初めてディナーを食べた日に、アロイスはビーフシチューが好物だと言っていた。それを作れば、きっと喜んでくれるに違いない。


 牛肉をカットして、キャロットやオニオンなどの野菜も適当な大きさに切り分ける。

 次に、炒めた野菜に焼き色のついた牛肉を合わせて、赤ワインで煮込む。

 そして、事前に用意していたストックとローズマリーなどのスパイスを加え、あとはじっくり煮込めば完成だ。


「美味しそう!」


 キッチンに広がる香ばしい匂いに自然とゼナの頬も緩む。


「煮込んでる間に、デザートのアップルタルトも作っときましょう」

「はい!」

「オレは街のワイナリーに行かなきゃなんねぇんで、先に作り始めててもらえますかい?」


 申し訳なさそうな顔でアップルタルトのレシピを手渡すヴェンダルに、ゼナは「任せてください!」と言って、意気揚々と頷いた。これまでの調理の過程で自信がついたのだ。


「これはこうして……っと」 


 ゼナはレシピの手順を辿りながら、下準備を進める。生地と材料を型に流し込んだ辺りまでは順調だった。しかし──。


「ど、どうしてこんなことに……!?」


 ゼナは項垂れる。作業台の上には、もはや原型を留めていない真っ黒なアップルタルトがあった。苦々しい匂いまで漂ってくる。


(温度を間違えたのかしら……)


 オーブンも初めて扱うので、おそらくそのときに失敗してしまったのだろう。

 肩を落とすゼナのもとに、ヴェンダルがやってくる。


「すんません! 少し時間がかかっちまって……て、ここで何が……?」

「ヴェンダルさん、すみません……失敗しちゃいました……」


 ゼナは泣きそうになりながらヴェンダルを見上げる。すると、ヴェンダルは焦げてしまったタルトに気が付き、頭を掻きながら唸った。


「火加減を間違えちまったんですかねぇ……。でも失敗は成功のもとです! また一緒につくりましょう」

「はい……」


 励ましてくれるヴェンダルに、ゼナは意気消沈しながら弱々しく頷いた。


***


 夜になり、アロイスが屋敷へと帰ってきた。

 ゼナは浮かれた調子で、アロイスと共に食卓に着く。アップルタルトのことは一旦忘れよう。


「だんな様、今日のディナーはゼナ様がお作りになりましたよ」

「ゼナが?」

「はい! ヴェンダルさんに手伝っていただいたんです。その、ドレスのお礼にと思ったのですが、ご迷惑でしたら申し訳ありません……」

「迷惑なわけがない。とても楽しみだ」


 アロイスはゼナに対してにこりと笑う。一方で、背後に立つヴェンダルには冷たく鋭い眼差しを向けた。


「……だが、俺の知らないところでヴェンダルと一緒に過ごしたのか? 付きっきりで、二人で?」

「で、殿下、誤解ですぜ! ルミナスも居ましたし、料理を教えていただけで……」

「ふうん……」


 ヴェンダルが手と頭を横に振るが、アロイスは目を細めてどことなくむくれた顔をした。

 そんな二人のやり取りに、ゼナはクスッと笑みを零してしまう。


(わたし、この屋敷に来てから、何度も自然に笑えてる気がする)

 

 ゼナにとっては、そんな些細な日常がかけがえなく思えた。


「美味そうだ」


 アロイスは料理が運ばれてくると目を輝かせ、そして食べ進める度に何度も「美味い」と言ってくれる。特にビーフシチューは喜んでくれたようで、「ゼナ、俺はこのシチューを毎日食べたい」と上機嫌に頬を緩めた。


 初めて作った料理だったが、気に入ってくれたようだ。それがとても嬉しくて、ゼナも顔を綻ばせる。それに、我ながら美味しくできている。


 残るはデザートだけになり、ヴェンダルがキッシュを運んでくる。これは、ゼナが失敗したアップルタルトの代わりで、彼が事前に用意していたものだ。


「このキッシュもゼナが作ってくれたのか?」

「いえ、これはヴェンダルさんが作ったものです! わたしは失敗しちゃって……」

「失敗? それはまだあるのか」

「はい。残ってますけど……」


 ゼナは気落ちしながらも頷く。黒焦げのアップルタルトはまだキッチンに残っていた。もう時間が経ったが、あの失敗を思い出すとへこんでしまう。


「なら、俺はそれも食べたい。ヴェンダル、持ってきてくれ」

「えっ!?」


 アロイスの申し出にゼナはぎょっとするが、ヴェンダルは「了解」と言ってキッチンへ向かう。


「だ、だめですっ!」

「なぜ?」

「あのタルトは失敗作で……黒焦げだから美味しくないですよ……」

「ゼナが俺のために作ってくれたものなんだ。食べないわけがないだろう?」


 ゼナは慌てて止めるが、アロイスは至極当然のような顔をする。


(ま、眩しい!)


 そう言ってくれるのは嬉しいが、あれを食べるとアロイスは死んでしまうのではないかという恐怖がある。


 しかし、アロイスは机の上に運ばれた真っ黒なアップルタルトを見て微笑み、そのまま躊躇なくフォークでぱくりと頬張る。


「うん、美味い」

「えっ、本当ですか……?」


 全く無理をしていない涼しい顔で言ってのけるアロイスに、ゼナは目を見張る。絶対苦いはずなのに、どういうことだ。


「本当だ。幸せの味だな」


 そして、アロイスがそう言って頬を緩めるので、ゼナはあまりの甘さにへなへなと全身の力が抜けてしまう。この御方は、なんてお優しいのだ。


(でも、本当に平気そう……。味覚は大丈夫かしら)


 ゼナは感極まる一方で、黒焦げのアップルタルトを眺めながら、アロイスの味覚を心配するのだった。

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