第5話 呪いの羽
「左から、側近のシュテファン、執事長のレドラー、メイド長のルミナス。料理長のヴェンダル。他にもたくさんいるが、また別の機会に紹介しよう」
アロイスの屋敷に戻ると、使用人たちをゼナに紹介してくれた。彼らは、シャンデリアが吊るされたロビーに並んで、ゼナを出迎えてくれる。
そして、アロイスに名を呼ばれた順に、それぞれゼナに対して挨拶を送る。
「ゼナ様、申し遅れました。アロイス殿下の側近のシュテファンと申します。以後お見知りおきを」
ピンと背筋の伸びた男──シュテファンが、ゼナに向かって頭を下げた。耳に掛かったネイビーの髪と、それより少し淡い瞳の色が涼やかだ。
シュテファンは、花嫁選定の時にもアロイスの傍に控えていた。アロイスより少し歳上だろうか、若く見えるが落ち着いており、静謐な印象を受ける。
「執事長を務めさせていただいております、レドラーと申します。なんなりとお申し付け下さい」
そう言って、礼儀正しく腰を折る初老の男性──レドラーは、グレーの髪を撫でつけて、キッチリとしたロングテールの執事服を身に纏っている。銀の片眼鏡と胸に当てた手の袖口に光るカフリンクスが彼の知的さを際立たせていた。
「料理長のヴェンダルだ。食べたいものがあったら構わず言ってくだせぇ」
今度は気さくな男性が、腰に手を当てて笑う。
彼──ヴェンダルは背が高く頑健な体格で、白いコックシャツ越しでも、その鍛えられた筋肉が分かる。茶髪は短く整えられており、仕事柄スッキリとした顔周りをしていた。
「メイド長のルミナスです。殿下のご意向により、本日より奥様のお世話をさせていただきます。これから、よろしくお願いしますね」
最後に、黒のエプロンドレスを纏ったメイド長──ルミナスが穏やかに微笑んだ。シニヨンには黒いリボンが飾られ、その優雅な所作と佇まいから上品さが伝わってくる。
ゼナは彼らに挨拶される度に、そちらの方を向いて「よろしくお願いします」と頭を下げた。
皇族に仕えているからか、子爵家の使用人たちよりも、一段と気高く見える。けれど、近づきがたい感じではなくて、誰も柔らかな雰囲気を纏っていた。
(優しそうな方ばかりでよかった)
そう思って、ほっと息を吐く。
「次はゼナの部屋に案内しよう。急ぎで準備させたものだから、至らないかもしれないが」
「いえっ! 突然だったので、用意してくださるだけで十分です」
「そう言ってくれると助かる。ルミナス、入浴の準備を。ヴェンダルはディナーを頼む」
アロイスは淡々と指示を出した後、ゼナを連れて大階段を上り、長い廊下に沿って歩いていく。
そして、奥の方にあるひとつの部屋の前にたどり着いた。
「ここがゼナの部屋だ」
「わたしの部屋……!」
「ああ。調度品も一通り設えているが、好みじゃなかったら遠慮せずに言ってくれ」
「そんな! すごすぎて、どうしたらいいのか」
ゼナは感動して両手をぎゅっと握り、瞳を揺らす。
アロイスが案内してくれたその場所には、広々とした美しい部屋が広がっていた。天蓋付きの華やかなベッドと、上品なテーブルとチェア、大きなチェストとフリルの施された可愛らしいカーテン。どれをとっても、ゼナの好みと一致していた。
(これが、わたしの部屋……。今住んでいる部屋とは、全然違う。まるで、おとぎ話の装画みたい)
ゼナは部屋を見渡して、目を輝かかせる。
子爵家は裕福であるが、ゼナに与えられていたは姉とは異なる、狭く質素な部屋だった。そこにあるのは、最低限の木のベッドとクローゼットのみであった。
ゼナは感無量になり、目頭が熱くなる。アロイスが案内してくれたこの部屋は、ゼナにとって理想の美しい部屋だった。
「殿下、ありがとうございます……!」
「大したことじゃない。気に入ってくれたなら良かった」
震える声でお礼を言うと、アロイスは満足気に笑った。
***
屋敷での初めてのディナーは緊張したが、アロイスとは好きな食べ物や好きな本など、互いのことを知るための話をぽつぽつと交わした。
アロイスは終始穏やかで、ゼナの話をよく聞いてくれた。
テーブルの上に彩られた料理はどれも絶品で、ゼナの好物ばかりであったことに驚いたくらいだ。子爵家では最低限の食事しか与えられなかったゼナにとって、豪華なディナーは初めてで、感動が絶えなかった。
「"殿下"ではなく、"アロイス"と呼んでくれ」
「では、アロイス様と呼ばせていただきます」
「うん」
食事を終えて、アロイスと向かい合いながら語らう。
"アロイス様"と口に出してみたはいいものの、慣れなくてつい視線を逸らしてしまう。それでも、アロイスは嬉しそうに頷いた。
「早速だが、明日は父上に婚約者が決まったことを報告しに行かなければならない。もう伝わっているだろうが、挨拶みたいなものだ」
「は、はい。わかりました」
ゼナはごくりと唾を飲み込む。
(覚悟はしていたけれど、こんなに早く国王陛下にお会いするなんて……私の心臓、持つかしら)
表情を強ばらせるゼナを安心させるように、「緊張しなくていい。父上は優しい方だから」とアロイスが言った。
「ありがとうございます」
頼もしいアロイスを見て、ゼナは思っていたことを打ち明ける。
「……わたし、今朝まで、アロイス様のことを怖い御方だと思っていました」
「それは……なぜ?」
「その、冷徹な黒王子だという噂ばかりだったので」
「そうか」
落ち込んだような表情のアロイスに、ゼナは慌てて「今は優しい方だと分かったので怖くないです!」と付け加える。これは、本当だ。噂はウソだったのかと思ったくらい。
「……たしかに、人に愛想を振りまくのは苦手だ。好きじゃない。それに、生まれてからずっと暗闇をさ迷っているようで、とても笑う気分にはなれなかった。その余裕のなさから、他人からは冷たく見えただろう」
視線を下に向けて独白のように語るアロイスの表情は、どこか憂いを帯びていた。
「ゼナは特別だ。あなたは一瞬にして、俺の心を晴らしてくれた」
「えっ? わたしはなにも……」
「自分では分からなくていいよ。俺がそう感じたんだ」
アロイスはゼナの目を真っ直ぐ見つめて告げる。とても穏やかな声色だ。
(なにか、すごいことを言われた気がする)
ゼナはドキリと心臓が疼くのを感じた。
***
ディナーの後は入浴だ。
ゼナは「お手伝いします!」と言うルミナスをなんとか説得して、広い浴場にひとりで立つ。
「きれい……!」
広く美しい浴場にわくわくしたが、気持ちが落ち着かず、結局大きな浴槽の隅っこに身体を沈めた。
「わあっ、いい香りだわ」
石鹸とハーブで髪と身体を洗い流し、ローズの香りに包まれて、ゼナの心も自然と安らぐ。
やがて、逆上せてはいけないと立ち上がり浴場を出ようとした時、壁に埋め込まれた縦長の鏡が目に入った。そして、ゼナは鏡の前で足を止める。
「っ……」
鏡は、ゼナの背中の羽二重肌を反射する。
そこには、天使の羽のような赤い痣が浮かんでいた。羽を開くように、背骨から両肩に向かって、両翼が線対称に大きく広がっている。
ゼナはそっと背中に手を回して、痣を撫でる。痛くはない。
この痣は生まれた時からあるもので、ゼナが成長するにつれて徐々に大きくなっていった。幸い、爛れてはおらず醜い姿形ではないが、白い肌に浮かぶ赤い羽というのは、やはり奇妙に思われた。
これは、ゼナが子爵家に疎まれていた一因でもあった。義母のいう"呪い"はこの羽のことだった。
この世で、このような痣は見たことがない。この娘は"忌み子"だと、周囲に気味悪がられた。加えて、実の母がゼナを産んだと同時に亡くなったこともあり、ゼナは"呪われた子"だという扱いを受け続けたのだ。
(わたしも、普通に生まれたかった)
たとえ普通じゃなくても、この羽で子爵家から飛び立つことができたら、と思ったこともある。
けれど、この痣は本物の羽にはなってくれずに、ゼナを苦しめるだけ。 ゼナはこの痣が嫌いだった。
もしも、この羽を見たアロイスに疎まれたら、気味悪がられたら……と考えると、死んでしまいたくなる。
「そういえば、殿下はお父様と何を話していたんだろう」
聞くタイミングを逃してしまっていたが、今更になって気になってきた。
『心ない言葉には耳を貸すな』
アロイスはそう言ってくれた。
そのときの様子からして、この痣のことも、母のことも既に知られているのかもしれない。
(アロイス様はわたしを励ましてくださったのに、わたしが自分を信じなくてどうするの)
ゼナは鏡の中の自分と向かい立つ。濡れた毛先から滴る水の音がやけに鮮明に聞こえる。
子爵家には別れを告げた。もう、逃げることはできない。これからは、アロイスと、自分自身と向き合っていかなければ。
「ゼナ様、大丈夫ですかー?」
「は、はい! 直ぐに戻ります!」
ゼナは浴室の外から聞こえるルミナスの声に返事をする。そして、痣を見られないように、リネンのクロスで背中を隠して浴室から出るのだった。
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