第4話 アメジストのドレス
「新しいドレスを仕立てよう。急な申し出だったから、何着か持っていないと不便だろう」
屋敷へ戻る道すがら、アロイスがそう言って、ゼナを城下街の仕立て屋へと誘った。
馬車から降りて仕立て屋の扉を開けると、軽やかなベルの音が鳴る。
「わあっ、すごい……!」
アロイスに連れられたゼナは、店中に飾られた色とりどりの布地を目にして、年甲斐もなく歓声をあげる。慌てて口元に手をやるが、その目はきらきらと輝いていた。
「ひっ、悪魔皇──じゃなくてア、アロイス殿下……!」
店の中にいるベルベットのドレスを纏った女が、アロイスの姿を見て引き攣った声を上げる。
アロイスは彼女に近づき、「マスター」と呼びかけた。
「ようこそおいでくださいました。今日はいったいどのような御用件で……?」
声をかけられた女──マスターは、慌ててお辞儀をする。そして、彼女は「な、なにか不手際がございましたでしょうか」とアロイスにおずおずと尋ねた。
「いや、ここの品は質が良く、気に入っている。今日は彼女のドレスを仕立ててもらいたい」
「えっ?」
そこでようやくゼナの存在に気がついたのか、マスターはゼナを認めて目を見開く。そして、アロイスとゼナを交互に見やり、困惑した表情を浮かべた。
「承知しました」
しかし、場を弁えているのか、ゼナの正体には言及することなく恭しく頷いて、表情を誇りある商売人のものへと変えた。
「基調とするお色味はどうなさいますか? うちは国一番の品揃えを自負しておりますので、なんなりと!」
マスターは誇らしげに胸に手を当てる。その言葉通り、広い店内には濃淡様々な色味・素材の生地が揃っている。
「ゼナ、好きなのを選んでいいぞ」
「いいのですか……?」
「ああ、遠慮するな。俺の顔を立てると思ってくれ」
そう言われると断ることもできず、ゼナは遠慮がちに店内を見回す。
「ええと……」
好きなのを、と言われてもどれも素敵に輝いて見えて、とてもゼナだけで選ぶことはできそうになかった。
ゼナが今着ている黄色いドレスは、ゼナが花嫁選定に招集されたと聞き、慌てて父がゼナに贈ってくれたもの。普段は、こんなに上等なものは着せてもらえないから、全てがゼナの目に新鮮に映る。
今着ている黄色いドレスだって、ゼナが花嫁選定に招集されたと聞き、慌てて父がゼナに贈ってくれたもの。普段は、こんなに上等なものは着せてもらえない。
「ゼナ、これはどうだ。あなたに似合うと思う」
ゼナの迷いを察してか、アロイスが壁際のひとつの布地を示した。それは、淡いアメジストパープルのリネン生地だった。
ゼナはその布地を見て、顔をぱあっと明るくさせる。
「わあっ、素敵な色ですね……!」
「アメジストが好きだろ?」
「えっ、どうして分かったのですか?」
「ふふ、そんな気がしたんだ」
アロイスの言葉に、ゼナは驚く。彼の言う通り、ゼナの一番好きな色はアメジストだ。
(わたしの瞳と同じ色だから)
ゼナのアメジストは、一度も会えずに亡くなった母のものと同じなのだ。写真越しでしか見たことがない、実母の瞳の色。ゼナはその色が好きだった。
「──それに、あなたの瞳と同じ色だから」
「そう、そうなんです……っ!」
アロイスの言葉に、ゼナはドキリとする。
一瞬、考えていたことがそのまま口に出てしまったのかと思った。けれどそれはアロイスが紡いだもので、まるで、心の内を見透かされたようだ。
「こちらになさいますか?」
一歩引いたところで様子を見ていたマスターが、微笑みながら声をかけてくる。
ゼナは「本当にいいのかしら」と思いつつ、アロイスの顔をちらりと見上げる。すると、ゼナに代わってアロイスが「これで仕立ててくれ」と、マスターに告げた。
「承知しました! 採寸しますので、殿下は少しお待ちください。姫様はこちらに」
「は、はい」
生地が決まるとトントン拍子で流れが進んでいく。ゼナはマスターに手を引かれて、更衣室に連れられた。
広めの更衣室に入り、マスターはカーテンを閉めると、大きく深呼吸する。そして、ガバッと顔を持ち上げて、ゼナをまじまじと見つめる。
「姫様、あなた何者!? あの黒王子が微笑むなんて! いつも眉を釣りあげた仏頂面で歩いてるのに……!」
「えっ、そうなんですか?」
「そうよ! だからおかしいのよ」
「おかしい、ですよね……。でも今日はずっとあのように優しい雰囲気で……」
ゼナはアロイスの態度を思い出して、頭を捻る。
今日のアロイスは優しい顔でゼナに笑いかけてくれていたけど、やはりいつもは噂の冷淡な黒王子のようだ。
「うっそぉ! 私に依頼する時だっていっつも感情のない顔で『これを』って言うだけなのよ。それに殿下の瞳って、どこか言い知れぬ魔力があるから逆らえないし……」
マスターは驚愕して瞬きを繰り返し、小声ながらも、興奮気味に言う。そんなマスターに、ゼナもこくりと頷く。
(やっぱり、周りから見てもおかしなことなのよね。どういうことなんだろう……?)
想像していたアロイスと、ゼナに対するアロイスの態度の違い。その理由がゼナには分からなかった。
マスターは手際よくゼナを採寸する間に、普段の無愛想で怖いオーラを纏った黒王子ことアロイスの様子を話し続ける。
極めつけには、「天変地異かと思った!」なんて言ってのけた。確かに、アロイスに手を引かれて馬車から降りたときの周囲の視線はすごかった。
「はい、採寸は終わりです! 姫様の可愛らしい雰囲気によく似合うドレスを仕立ててみせますので!」
「ありがとうございます……!」
採寸が終わり脱いだドレスを着て、人好きのする笑顔を浮かべるマスターに、ゼナはぺこりと頭を下げる。
すると、マスターはささっとゼナに近づき、もじもじと尋ねてくる。
「姫様、失礼なことをお聞きしますが、もしかして殿下の恋人だったり……?」
「こっ!? え、えっと……」
想定外の質問にゼナがわなわなと唇を震わせていると、更衣室のカーテンの外から、アロイスの声が聞こえてきた。
「ゼナ、できたか?」
「は、はい! 終わったようです、けど……」
ゼナは助けを求めるようにカーテンをそっと開く。すると、ぐいっと手首を捕まれアロイスの元へと引き寄せられる。
そして、アロイスはマスターに向かって言い放つ。
「マスター。この方は唯の恋人ではなくて、俺の婚約者だ」
アロイスはそう言って、ゼナの頭にぽんっと手を乗せた。
こういうことに慣れていないゼナは、また顔を赤く染める。
「キャーッ!? 婚約者!? というか、地獄耳!?」
「うるさい。静かにしろ」
「すみません……」
マスターは驚いたように口元に手を当てて、ゼナとアロイスを見比べる。そして、アロイスに窘められると慌てて声を小さくしたが、その顔には興奮に色が残っていた。
「まさか、殿下に婚約者ができるとは! なにはともあれ、殿下が幸せそうでよかったです。ははあ……だから、姫様に対しては仏頂面じゃないのかあ……フフフ」
「フン。余計なお世話だ」
マスターは納得がいったようにうんうんと縦に首を振り、にやけ顔でアロイスを見る。アロイスは、顔色を変えずに一蹴した。
「ドレスは五日後にお届けしますね」
マスターはひとしきりはしゃいだ後、表情を仕事人に戻した。
「ああ、頼む」
頷くアロイスに続いて、ゼナも「ありがとうございます!」と頭を下げた。
「またのお越しを!」と微笑むマスターを背に、二人は仕立て屋を出る。そして、アロイスの屋敷に戻るため、待機していた馬車へと乗り込んだ。
アロイスは座席に腰を下ろして、ひとつため息を零す。
「あの店、質はいいんだが、店主が妙に騒がしくてかなわない」
「でも、気さくで良い人でした……!」
「まあ、ゼナが喜んでくれたならいいが……」
アロイスはそう言って、頬杖をついて、照れくさそうな表情を見せる。
「殿下も、色々とよくしてくださって、どうお礼申し上げたらいいのやら。本当にありがとうございます!」
「むしろ、これは俺からの礼だ。俺が勝手にあれこれと進めてしまったからな」
「いえ! 殿下とこうしていられるのが、まだ夢みたいで……。本当に嬉しいです」
「そうか」
座りながらぺこぺこと頭を下げるするゼナに、アロイスは目を細めて優しい視線を送るのだった。
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