第3話 子爵家との決別

「ゼナ、手を」

「ありがとうございます」


 ゼナはアロイスに手を引かれて、彼の馬車に乗り込む。シェードレ家が用いている馬車よりもずっと豪華で、皇族を表す赤と金で装飾され、皇族の紋章が施されていた。


 馬車に乗る際に、シュテファンと目が合った。彼はゼナに対してにこりと微笑み、仰々しく腰を折り曲げた。ゼナは慌てて、ぺこりと会釈をする。


(優しそうな御方だわ。殿下の側近様なのよね)


 そんなことを思いながら、ゼナはアロイスと並んで座り、手を膝の上で合わせる。そして、動揺する気持ちを抑えるために、軽くドレスの裾を握った。

 

(いきなり、わたしの屋敷に殿下が来るなんて。わたしが選ばれたと知ったら、みんなどう思うかしら……)


 "見返してやる"と決めたはいいものの、こんなことは初めてで、ゼナの胸中は憂いで満ちていた。

 不安げなゼナの様子に気がついたのか、アロイスが顔をそっと覗き込んでくる。


「どうした、そんなに辛そうな顔をして。あなたの不安が何から来るものかは分からないが、これからは俺が傍にいる。安心してくれ」

「ありがとうございます……」


 アロイスが、意外にも優しい声色で話しかけてくれる。そっとゼナを抱き寄せるその仕草も、すべてが慈しみに包まれていた。


(殿方って、こんなに大胆なの……!?)


 ゼナはその距離の近さに、ドクドクと鼓動が速くなる。自然と、不安は消え去っていた。


***


 ゼナの屋敷に着くと二人は馬車から降りて、アロイスがコンコンコンと門を叩く。

 すると、中から出てきた召使いはゼナがアロイスを連れて帰ってきたことにひっくり返るほど驚いて、屋敷の中へと駆けていく。


「アロイス殿下!?」


 やがて、ゼナの父──ダインが慌てて走ってきた。アロイスの姿を認めると、その後、信じられないものでも見るかのようにしてゼナを見つめる。


(花嫁選定の前は、あれだけ『選ばれろ』と言っていたのに……。本当は、わたしが選ばれるなんて思ってもいなかったんだわ)


 ダインの様子にゼナは悲しみを覚える。

 

「殿下、お身体が冷えます! 中へどうぞ」


 ダインは恭しくアロイスを案内した。アロイスが「二人で話したいことが」と言うと、ダインは頷きそのまま応接室へと歩いていく。


 アロイスは優しく「少しだけ待ってて欲しい」とゼナに耳打ちした。


(あんなお父様、初めて見たわ。ちょっとスカッとしたかも)


 ゼナは身を移すための最低限の荷物だけを取り、屋敷のロビーの片隅で待つことにする。自分の部屋で待とうかと思ったが、あの粗末な部屋で過ごすと憂鬱になりそうでやめた。


 召使いたちはゼナを遠巻きに見ながら、ヒソヒソと囁きあっている。花嫁選定に出たことは知っているので、アロイスを連れて帰ってきたのが想定外だったのだろう。


「うそでしょ!? あのゼナがアロイス様に選ばれたっていうの!?」


 二階から姉の驚く声が聞こえてくる。その直後、赤いドレスを着た姉──ライラがゼナのいるロビーへと降りてくる。その動作に連動して、華やかなマゼンタの髪がふわりと揺れた。


「ゼナ! 本当なの!?」


 そして、ライラはコツコツとヒールを鳴らしてゼナの元まで歩いてきて、噛み締めたような苦しげな表情で問い詰めてくる。


「はい……。わたしにもなぜだか分からないけれど、アロイス様が手を取ってくださったんです」

「なっ……!」


 ゼナは素直に答えた。少し声が震えていたかもしれない。

 今までは機嫌を損ねて面倒なことにならないようにしていたが、今日ばかりははっきりと言い切る。


(見返してやるって決めたんだもの)


 目を見開き、眉を吊り上げるライラを、ゼナは真っ直ぐ見つめる。

  

「……っ、調子に乗らないでちょうだい……! 黒王子がアンタなんかを選ぶはずがない、きっとただのお遊びに決まってるわ!」


 ライラは悔しさを顕にして、ゼナを壁際に追い詰める。


(遊び……。そうかもしれないわ)


 ゼナはライラの言葉に頷きそうになる。

 けれど、アロイスの瞳は真剣にゼナを見てくれた。だから、彼を信じることにしたのだ。


「なにか言いなさいよ……! 本当なら、私が王子に嫁入りするはずだったのよ! アンタがいなかったら、黒王子の花嫁選定にも私が招待されていたはずよ!」


 数ヶ月前、ライラは第二王子の花嫁選定に招集されていた。しかし、第二王子は婚約者を選ぶことなく、儀式を終えた。


「お姉様、わたしは……」


 ゼナは返す言葉が見つからず、その場に黙り込む。たしかに、子爵家にゼナがいなければ、今回もライラが招集されていたのかもしれない。

 

(こんなとき、なんて返せばいいのだろう。以前のように、ただ謝るのは違う気がする)


 二人のやり取りを遠巻きに見ていた召使いが「ライラ様……!」と控えめに静止するが、ライラには聞こえていないようだった。


「あなたさえ、あなたさえいなければ! 呪われてるくせに……!」

「っ!」


 とうとう、怒りに任せたライラが手を上に振りかぶる。


 ──ぶたれる! 

 いつもの経験からそう察知したゼナは、咄嗟にぎゅっと目を瞑り、覚悟を決めて衝撃が襲ってくるのを待った。


(あれ……?)


 しかし、いつまで経っても痛みはやってこずに、ゼナは恐る恐る瞼を持ち上げる。


「やめろ」


 すると、そこにはライラの手首を掴むアロイスの姿があった。


「なっ、アロイス様!?」


 突然動きを止められたライラが、愕然とアロイスの方に振り向く。ライラの興奮して赤くなっていた顔が一気に青く染まった。


「話は聞かせてもらった。たとえゼナではなくおまえが儀式に来ていたとしても、俺はおまえを選ばない。絶対にな」

「……っ!」


 アロイスは光のない目でライラを見下ろす。その声は冷たく、静かな怒りの色が見え、ゼナまで怯えてしまいそうだった。暗いアロイスの雰囲気に、"黒王子"の名がゼナの頭によぎる。


 アロイスはライラを掴んでいた手を離すと、ゼナの元に駆け寄り、「帰ろう」とだけ告げた。


「あのっ、ありがとうございます!」

「いや、ゼナに怪我がなくてよかった」


 ゼナが慌ててお礼を言うと、アロイスがほっと息を吐く。


 そのとき、アロイスの肩越しに、よろよろと地面にへたり込むライラ、引き攣った表情のダインが見えた。継母──リリスは二階から、ただただ冷たい視線をゼナに向けた。読めない表情で口を閉ざしている。


「シェードレ子爵、この辺で失礼します。正式な婚姻はまた後日に」

「し、承知しました」


 ダインが引き攣った表情で頷く。アロイスが来てから、ずっと挙動不審な様子だ。


「お父様、お世話になりました。お義母様も、お姉様も」


 ゼナは三人に向かって深く頭を下げた。


(嫌なこともたくさんあったけど、わたしにとってはこの人たちが家族だから……)


 ゼナはこちらを見下ろすリリスと目が合い、びくりとする。リリスは、静かな広間を切り裂くように言い放った。


「その、やっといなくなるのね。でも、王子の婚約者だなんて図々しいったらありゃしない。殿下も気をつけた方がいいですわよ。それは呪われているんですから」

「リリス!」


 リリスは口元に洋扇を広げて、目を細めて言う。

 すると、ダインはそんなリリスを窘めるような声を上げた。

 

 ゼナはリリスの言葉にハッとする。

 この人には心底嫌われているのだ、という実感が湧いてくる。


(呪われている……。そうだった、わたしは呪われているんだわ。だから、みんなわたしを嫌っていた)


 リリスの放った"呪われている"という言葉が、ゼナの胸に深く突き刺さる。そして、背中のが熱く疼くような気がした。


 呪われているという言葉は、何度も聞いた。父からも、義母からも、姉からも。

 アロイスに手を取ってもらえて、浮かれていた。自分が背負うものを、すっかり忘れていたのだ。都合よくしまい込んでいたのだ。


(お母様のことも、この背中のことも殿下にバレてしまったら……)


 ゼナは途端に顔を青くして、恐ろしい不安に陥ってしまう。

 しかし、そんなゼナの思考を遮るように、アロイスがゼナの手をぎゅっと握る。そして、彼はリリスの言葉には返さず、ゼナを真っ直ぐ見つめて告げた。


「心ない言葉には耳を貸すな。さあ、ゼナ。屋敷に戻ろう」

「はい……!」


 アロイスの優しい言葉に、思わず泣き出してしまいそうになる。


(わたしもそう思いたい。けれど……)


 最初は、自分は忌み子なんかじゃないと信じていた。でも、継母や義姉から虐げられる度に、自分がこんな目に遭うのは、やはり忌み子だならなのだと思うようになった。理由がなければ、辛い境遇を耐え忍ぶことができなかったのだ。


 ゼナは、そのままアロイスに連れられて屋敷を出る。決まりの悪そうな顔をした召使たちが、ちらちらとゼナを見ていた。

 そして、アロイスがゼナをぎゅっと抱きしめた。


「へ?」

「今日まで、あなたはあの家で肩身の狭い思いをしていただろう。クソッ、俺がもっとはやくに見つけていれば……」


 驚くゼナの背に腕を回して、アロイスは悔しげな声を零す。どこか泣きそうな声音にも聞こえた。


「いえっ! わたしを選んでいただけたことが嬉しくて、過去のことはもう気になりません」


 そんなアロイスに対して、ゼナは慌ててゆるゆると首を振った。そして、おずおずと大きなアロイスの背に、そっと手を添える。


(いったいどうして、ここまでわたしのために怒ってくれるんだろう。それに、わたしはどうして、出会ったばかりの殿下に、こんなにも胸が高鳴るのだろう……)


 不思議な感覚。こんなことは初めてだ。

 今まで男の人と接する機会がなかったとはいえ、ゼナの警戒心は強い方だったというのに、アロイスの前だと全て和らいでしまう。


 婚約者となるからには、いずれ、ゼナが忌み子といわれる所以も話さなければならない日が来る。


(殿下、ごめんなさい。わたしは悪い女だわ。でも、まだ勇気が出ないの)


 秘密を抱える罪悪感が、ゼナの心を蝕んでいく。けれど、今はただ、アロイスのあたたかさに身を寄せていたかった。

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