盲目少女と這いずりクソ虫

本編

 ラード地方、キオラ山脈南方に冷涼な集落があって、その近傍には醜い魔術師が潜んでいる。

 大層つまらない魔術師だった。時々、只人の暮らしを扶ければ、過ぎた貢ぎ物をむしり取って暮らしている。

 その生まれが人間だと知る者は、絶えて久しい。とうとう本人でさえ忘れがちなのだから、仕方がないことだろう。生贄が祠に奉じられた際、あるいは人肉とて美味いかもしれない、と彼は思った。

 人柱。十代前半だろうか、白い衣装の少女が祭壇に横たわっている。髪も白ければ肌も白い。魔術師は頭から脚先までを暗いローブで隠し、彼女に近付いた。「初めまして、なんの御用ですか」

 少女はぎょっとして、慌てて魔術師から離れた。青い目をしている。白化でも白変でもないらしい。不気味に思って術師は続ける。

「私は霊樹の化身です」そういうことになっている。「貴方は生贄ですか」

 気が仰天したらしい。少女は尻餅をつき、暫く口を開けたり閉じたりしていた。

「……いっ……あ、そのっ……」

 ようやく声になればこの具合である。まともに話を聞く頃には日が傾き始めていた。

 少女の名をブランといった。魔獣に襲われて両親と視力の大半を失い、善意ある地域住民に養われるような形で命を繋いでいたが、めでたく供物として選ばれた。

「あなたを食い殺す理由がありません」術師が平坦に言う。「どうして贄が必要なのですか」

「え……それ、は……えっ……?」

「それとも私が言ったのですか」

 ブランは困惑を見せてから、控えめに頷いた。

「そうですか」と術師は言った。記憶が薄れているのだ。仕方がない。

 

 ブランを注意深く牽引して屋敷へ向かった。運べばよほど早く済んだが、術師の劣等な気質はそれを拒んだ。

 森林の中を進ませてみるに、盲目以外は虚弱でもないらしい。弱音も吐かない。少々気の毒になった。

 秘匿された屋敷に人を招くのは二十から二百年振り、あるいは初めてかもしれない。何せ物忘れが激しい。

「空腹ではありませんか」

「えっ? い、いえ、大丈夫です……」

「私は空腹です。食事にしましょう」

 落ち着かない様子のブランを客室に入れ、種々の材料を練り込んだ棒状の食事を提供した。彼女はその正体も知らず──どう名付けるべきか術師も知らない──礼を言って口に入れる。輪郭程度は見えるのか、手掴みの食事なら不都合は少ないらしい。

「味がしないでしょう」

「あ、いえ、美味しい、です」

「そうでしょうか。どんな味ですか」

「え、あの、それは……」ブランが縮こまり、何か文意の通らない言葉を口の中で転がし始めた。

「不味いと思って出しました。不味いと思って下さい」

 ブランは一層小さくなった。術師が続ける。

「人か私を恨んでいますか」

「決して、そんな……」

「明日には帰します。土産物を持っていくといいでしょう」

 その顔が一気に青ざめる。小さく吐息を漏らし、黙り込んでしまった。

「怨恨があるならここにいてください」

 助け舟を出すとすぐに乗ってきた。「そっ、はいっ、その、本当は、村に戻るのは……」

 ますます気の毒に思えた。覚悟があって来たのだろうが、その使い道が見つからない。

「えっ、と、ですから……私にできることなら、なんでもします」

「明日から魔術を教えましょう。少しお待ちを」

 僅かして、術師は白い小鳥をローブ越しの頭上に乗せて戻ってきた。小鳥は一声鳴らして、ブランの肩に飛び移る。

「道案内です」と術師が言った。「道案内だよ」と小鳥が囀る。

「えっ……? あ、あの……?」

「鳥です。眠れる部屋に導いてくれる筈です。お休みなさい」

 言うだけ言って術師は出ていった。残された小鳥がピィと鳴く。

 

 宣言通り、翌日から魔術の教授が始まった。人の身で術を操れる者がいると助かる、ということにした。

 屋外に出ると、術師はブランに丸薬を飲ませ、指輪をつけさせ、木の杖を持たせた。

 小鳥がくちばしを開く。「魔力を湧かせて、増やして、出すんだよ」

「そうなんですか……」

「そうです」術師の語調に変化はない。「一歩後ろに下がり、杖を斜め下に向けてください。もう少し右です。はい、それで結構」

 一息置いて「燃えろ」

 ブランの杖から火線が飛んだ。置いてあった枝木に着火し、小さな焚き火ができる。

「わっ」ブランが声を漏らす。「あったかい……?」

「火が出て燃えたね」と小鳥。

「えぇ、よくできました。今度は自分で試してみてください」

 しかし、ブランは杖を持ったまま固まってしまった。「『燃え上がれ』だよ」と小鳥が気を利かせる。

「いえ、あの、その前に祈りを……」

「霊樹はこの程度で怒りません。気にせず燃やしてください」

「えっ……? あ、いえっ、はい」

 ブランは息を吐き、ごく小さな声で唱えた。杖の先端に矮小な火球が現れ、そのまま落ちる。音を立てて火花が散ると、彼女は反射的に飛びのく。

「声が小さいからだよ」やかましい。

「魔力切れでしょう。息苦しくありませんか」

「す、少し……あの、ごめんなさい」

「覚えていませんが、私も最初はこうだったと思います。戻りましょう」

 焚き火を足の一振りでかき消し、術師は踵を返した。小鳥に促されてブランが続く。

「化身様は……」ブランが躊躇いがちに言った。気色の悪い呼び名だ。「最初から、えと、神秘の力を持っていらっしゃったのでは、ないんですか? ……あっ、その、それが不満だと、言いたいのではなく……」

「時間をかけて習得しました。私にも師がいます」

 言って後、違和感に気づいた。霊樹の化身が魔術の教えを受け、木々を燃やす火を操るものだろうか。

 しかし、まぁ、操るかもしれない。

 屋敷に戻ると、小鳥が騒がしくなった。「暇だ暇だ。暇だよっ」

 ブランは当惑して小鳥を撫でつけ、術師は億劫そうに頭をかいた。目覚めさせるべきではなかったかもしれない。

「譚話は好きですか」

 ブランに聞いた。彼女は突然の質問に怯みつつも「えっ、あ、はい」

「書庫に行って下さい。鳥が騒ぐ代わりに物語るでしょう」

「書庫に行こうね」

「わ、分かりましたっ」

 ブラン、もとい小鳥が去り、にわかに静かになった。術師も廊下に出て、私室へと戻る。

 歩みながら考えた。あれは字が読めるように作ったろうか。

 確認のため、私室に蓄えられた記録を読み返してみる。これも昔のことであるから、該当箇所が見当たらない。無心に文字を追っていると、小鳥の鳴き声が近づいてきた。

「あの、本とか、読めないみたいです……」

 戸を開けてみると、本を手に持ったブランがそう言った。やはりそうだった。

「黙るまで私が読みます」

 ブランは沈痛そうな表情を見せたが、構わず読み聞かせた。ひとしきり語り、小鳥が疲れて眠ると、ようやく本を置く。

 すぐにブランが口を利いた。「ごめんなさい、私のせいで……」

「いいえ、興味深い伝記でしたね」

「え、それは……はい」

「あなたはまるで人質だ。昼食にしましょう」

「えっ? あっ、その、いえ、そんな……」

「腹が減りました」

 このような生活が数日続き、ブランが贄に出される理由も分かってきた。一々気負いして陰りを見せる。相手をしている方が疲れる。

 気晴らしになるかと笛を預ければ、朝から晩まで吹き続けていた。覗き見ると泣いている。あまりに汚い音が出るので絶望したらしい。難儀な性格だ。

「少し思い出しました」

 術の鍛錬をさせた帰りに──今日は火線が三発出た──術師が言った。

「子供の血はまじないに使えます。贄が欲しくなるのも分かります」

 ブランの歩みが止まった。代わりに鳥の喚き声が響く。「歩こうね、ね」

「あなたの血は要りません。今は他に方法があります」

 こう添えたは良いものの、帰宅してすぐに、彼女は細腕にナイフで傷をつけた。

 小さなボウルに溜まった鮮血を差し出された時、術師はとぼけた声を出した。つまり「あー、あー、あー」

「不要だと言いましたが」

「でも私、これぐらいしか……」

 声を震わせてブランが言った。右腕に切り傷があり、赤黒い血がこびりついている。

「私の失態ですね。こちらにも調合の都合があります。血だけあっても困ります」

 説明する程に表情が曇っていった。責任逃れでピィピィとばかり鳴いていた小鳥が「樹液だよ」と漏らした。

「樹液が代わりなんだよ」

「えっ、何……?」

 いっそのことだと術師も話してしまった。血液を必要とする術式はあるが、今では霊樹の樹液を代わりに使っている。こちらの方がてきめんな効果が得られる。

「あなたの血に価値はありません。あなたに霊樹ほどの価値がないからです」

 幼少期からの信仰を出汁にすれば、話を聞かせるのも容易い。そう術師は思った。実際にはもう少し複雑で、ブランはひどく混乱したようだった。

「いいんですか……? あの樹を、そんな、でも……」

「善悪ではありません。効果の良し悪しです」

 隠し持っていた杖で触れると、傷はたちどころに治った。慌ててブランは礼を言う。

 こういう具合だった。両親を亡くして他人に養われれば、自信を失いもするだろう。不憫な少女だ。

 その日の夜に限って新しい被造物が完成した。本をくれてやると淡々と読み進める狐。普段は喋らない。楽譜も読める。

「あげます。狐と呼べば来ます」

 予想に違わず、ブランは深刻めいた様子を崩さない。

「ごめんなさい、私の目が見えたら……」

「どうせ読めません。古い字です」

 魔道書を開き、床に置いて狐を手招きした。「古来、サラマンドラの祝福を受けしは──」これは読めても分かるまい。

「本に飽きたら言ってください。暇潰しを考えます」

「暇潰し……」ブランが含みを持たせて繰り返した。「あの、本当になんでもいいんです……私も何か、役に立てれば……」

 術師は黙って考え込んでいる。それを拒絶と受け取ったのか、ブランが指針を翻す。

「いやっ、その、ごめんなさい、こんな勝手な……」

「自分を能なしと思い込むのはさぞ辛いでしょうね」

 術師にしては珍しく、気配りのありそうなことを言った。却って皮肉のようになっている。

 あながち間違いでもなかったのか、ブランは言い淀んで否定も肯定もしない。勝手に術師は続ける。

「私は魔女に育てられました。成長すれば食うと言われていましが、幸い食べられたことはありません」あるいは反撃して打ち殺したのかもしれない。「恩を返した記憶もありません。教わった術で人に施しを与えたことはあります。それで良いかと思います」

 突然に口数が増えた所為か、やはり返答がない。小鳥がブランの肩から頭に飛び移り、彼女に代わってさえずり出した。

「人に優しくすればいいのぉ?」

「知りません。いずれにせよ今のあなたに多くは求めません。魔術を覚えれば役に立つでしょう。さもなくば他を考えます」

 ブランは暫く呆けていたが、ようやっと呟くように「はい」と答えた。

 翌日の彼女は書庫にこもり、狐の性能を存分に試していた。何を読んだか尋ねると、流暢に貴種流離譚のあらましを語った。

 なるほど便利だ。

 術師は感心し、ブランに礼を言った。狐に読ませても面白味に欠けるだろうが、彼女を挟めば情緒が出る。笛よりも澄んだ声音を活かした方が手早い。

 賞賛を加えようか悩み、遂に言葉にしなかった。朝から晩まで朗読の練習をされても興醒めだろう。

 

 二週間で成果が出た。魔力のこもった丸薬を飲まずとも、ブランの杖から小さな火線が放たれた。

「素晴らしい。頑張りましたね」

 術師が見下ろして言った。ブランはなけなしの魔力と体力を使いきり、地面に仰向けに倒れている。

「あ、ありがとう、ございます……」

「少し休んで帰りましょう。何か食べたい」

 なんの気もない風に術師が言った。その日の夜に振る舞われたのは人間の食事であり、即ち硬いパン、肉の入ったシチュー、ミルク。「食事だよ」と小鳥が言った。

「右のスプーンは勝手にシチューを取ります。左の皿に触れると勝手にパンが飛んできます」

「えっ、本当ですか?」

「本当です」

 今更になって疑わしげに、ブランはそっと左の皿に触れた。パンがひとりでに分かたれ、小さなかけらが飛翔する。

「んぐっ」

 かけらが口元にぶつかり、テーブルに落ちた。「口を開けようね」などと言いながら、小鳥がついばみ始める。

「すみません……」

「先に伝えるべきでしたね」術師が言った。「速度も下げます」

 兎も角も円滑に食事は進んだ。課題をこなして機嫌がいいのか、ブランも殊更に罪悪感を見せてこない。

「そういえば、あなたを襲った魔獣について調べました」

 術師が切り出し、ブランはスプーンを置いた。

「どうして、ですか?」

「興味本位です。あれはよその土地から逃れてきたらしいですね」

「あ、はい……そうみたいです」

「あなたの目は治ります」

 ブランがそれを聞き返すまでに二秒を要した。ひどくかぼそい声だった。

「原因は外傷ではありません。呪いの型を特定したので祓えます」

「え、でもそんな、いいんですか……?」

「何か困るのですか」

「あ、いや、そんなことは、ないですけど……」

 煮え切らない態度には予想がついていた。生き残った咎を辛うじて暗闇が罰しているのだろう。厄介な考え方だ。

「ところで気がついていますか」興味なさげに話を変える。「あなたは二つの理不尽に遭っています」

「……なんの話か、分かりません」

「馬鹿なことを。一つは盲目です。もう一つは怪物への人身御供です」

 ブランは曖昧に笑うようにして疑問を表した。言葉にするところでは「化身様が、怪物なんですか?」

「しまった」術師が間抜けにもこぼした。「油断しました」

「それは……」ブランが何か言いかけ、そのまま吐息だけが続いた。小鳥が首を傾げる。「異形だよ」

「見目を想像しないで下さい。体調を悪くします」

 術師が言い、器用にコップを取った。とても器用に。

「あの、でも……」改めてブランが口を開いた。先よりもかぼそい声だ。「それは、理不尽ではないと思います」

「どうしてでしょう」

「化身様は……その、こうやって呼ぶのが合ってるか、分からないですけど……でも、私に魔法を教えてくれますし、えっと……優しいので」

 これは面白い。言っている意味を理解するなり、術師は平坦に笑い声を上げた。

「馬鹿を言うな」

「違うよっ、よっ」

 小鳥がピィピィ追従した。ブランが息を呑んで縮こまる。

「余裕と暇を優しさと捉えるのは心得違いです。あなたのために身を削ろうとは思いません」

 嘲るような反応に、ブランは萎縮しながらも何か言いたげにしていた。何も言わなければ十分だったから、術師はこれで決着とした。再び視力を戻す提案をすると、やはり難色を示された。

 事態はすぐに変わった。翌朝になり、ブラン自らが呪いの件を掘り返した。

「少し考えて、それで、気が変わったんです」

 それ以上のことは聞き出せなかった。術師もそれ以上の動機を必要としていなかったので、特に困惑はしなかった。

 陣の中にブランを閉じ込め、彼は呪文を唱え続けた。幾つかの魔法具が灰になり、途中でブランも昏倒してしまった。

 再び夜明けが訪れて、ようやくブランは目を覚ました。途端に光に怯むような素振りを見せ、一先ずそれは術師を安心させた。

 忙しなく周囲に視線をやり、自分の身体を確認するように眺めてから、彼女は術師を見留めたらしかった。目に落胆の色があった。

「いつもこんな格好をしていました」

 術師が言った。頭から足先まで、顔までもが黒いローブで覆われている。シルエットさえ分からないように。

「あ……そうだったんですね」

「よく見えますか」

「はい、えっと、大丈夫です」

「空腹です。食事にしましょう」

 

 ブランはしきりに礼を言っていたが、然程感激した様子ではなかった。喜ぶことを許せないのだろう、という旨の指摘をすると、いつにも増して陰鬱な表情で呼応した。

「その鳥はどうしますか」

「え、あっ、連れてたら、駄目でしょうか……?」

「構いません」

「用無しだね」と小鳥が鳴いた。ブランの瞳に憂いが浮かぶ。

「そんなことないよ……」

 それもそうだった。目が見えようが見えまいが、屋敷の案内はまだ必要だろう。

 やがて日が沈んだ。一日に特段の変化はなかった。

 

 私室に戻り、術師はローブを脱いだ。一次的な視界が塞がれると窮屈で気分が優れない。窓から入り込んだ月光が、仄かに肢体を照らした。

 簡単な記録をつけ、速やかに寝床に収まる。必要不可欠な行為でないとしても、睡眠を忘れるといよいよ月日の区切れが喪失する。

 ブランは人間で、人間には相応の時間感覚がある。うっかり死なせないために、術師自身が感覚を写し取ろうとするのは気楽な策だった。

 ようやっと微睡みに揺らいでいると、卒然と意識が持ち上がった。それは小鳥の鳴き声のためだと遅れて理解し、次いで、しまった、と思った。

 燭台の火が大蟻の身体を強調し、短く鋭い悲鳴が響いた。間もなく火がかき消え、僅かな月明かりだけが視界を支えた。小鳥がブランの元から飛び立つ。

 彼女がへたり込み、手をばたつかせて後退を試みるのを複眼が捉えた。無闇矢鱈と暴れるばかりで、凡そ徒労であると言えた。

「間抜け!」小鳥がバサバサ響かせながら言った。「間抜け!」

 大蟻は二本の卑小な後ろ脚で立ち上がり、膨張した腹部を引きずって部屋を出ていこうとした。輪郭程度は見えているのか、ブランは半狂乱になって逃れようとしている。

 何か言葉をかけようか、とも迷ったが、恐らく伝わりはしまい。否定する材料もなかったので、これは仕方のないことだ。

 忠告はしたのだが、と思いかけ、そういえばどうだったろうかと考え直す。何せ記憶が曖昧である。無念なことだ。

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