088 『弱小領主のダメ息子、ヒドい罵倒を浴びる(2)』

 パートナーの女性に逃げられた間抜けな男という周囲の視線に耐えながら、なんとか会計を終えたベルは泊まっている宿に戻った。

 

「————アリーヤ、戻っているかい?」

 

 アリーヤが取っている隣の部屋のドアをノックしてみたが、部屋の中から返事はない。

 

(……気配はあるけど、どうやら本当に怒っているようだな)

 

 内功を会得して移行、常人よりも五感が研ぎ澄まされているベルの耳には、ドアを挟んでいても内部の人間の気配が察知できた。

 

「さっきは悪かったよ! 機嫌を直してくれないか?」

 

 再び声を掛けてみたものの、やはりアリーヤの返事はなかった。ベルは眼を閉じて一呼吸置いた後、ゆっくりと口を開く。

 

「俺は隣の部屋にいるから、何か困ったら声を掛けてくれ。それじゃあ、おやすみ」

 

 

 ————自分の部屋に入ったベルは脱いだ上着を無造作に椅子に掛けると、そのままベッドに突っ伏した。

 

 芋虫のようなモッサリした挙動で仰向けに姿勢を変えたベルは白い天井に眼をやりながら、先ほどアリーヤに指摘されたことを脳内で再生する。

 

(……『アンタの方がヤンアルさんに会いたがってんのに、相手に委ねてどうすんのよ⁉︎』か……。本当にその通りだ)

 

 ベルは左胸の傷痕に触れながら考え込む。

 

(……怪我から回復した時はレベイアにも変わったって言われるほどだったのに、時間が経つごとに俺はまたしてもダメ息子に戻ってしまったってわけか……。アリーヤにヘタレ童貞と言われても仕方ないな……)

 

 反省するようにベルは眼を閉じた。

 

(————よし、決めた。明日の朝、もう一度フランチェスコを訪ねてロンディーネがいつ戻ってくるか確認する……! 泥水を啜ってでもヤンアルを見つけ出すという初心を思い出すんだ……!)

 

 

         ◇

 

 

 ————翌朝、ベルはアリーヤの部屋のドアに『王宮へ行ってくる』と書いたメモを挟んで宿を後にした。

 

 今度は通用口ではなく正門前に足を運び、門番に『フランチェスコに会いたい』と伝えるも、返ってきたのは昨日と同じものであった。

 

お約束アポイントメントが無い方はいかなる理由でもお通し出来ません」

「それは昨日も聞いたよ。では彼が会ってくれるまで、ここで待たせてもらうが構わないかな?」

「…………」

 

 正門前の門番は相変わらず眼を合わせようとせず返事もしない。しかし、ベルはこれをOKと都合よく解釈した。

 

「ありがとう。キミたちの仕事は邪魔しないし、人の出入りがある時は身を避けさせてもらうよ」

 

 そう言ってベルは正門前で仁王立ちする。

 

(俺はフランチェスコが会ってくれる気になるのを待ってるだけだ。ヤンアルを待って張り込みしているわけじゃないから、奴との約束を違えたわけじゃない)

 

 そのままベルはトイレ以外は食事も取らず陽が落ちるまでずっと正門前に立ち尽くした————。

 

 

 ————翌日も早朝にやってきたベルは再びフランチェスコの気が変わるのを待ち続ける。

 

 

 陽が落ちるとベルは馴染みとなった門番の男に声をかける。

 

「また明日の朝に来るよ。キミは明日も勤務かい?」

「…………そうです」

 

 門番の男はやはり無表情ながら、チラリとベルの顔を見て答えてくれた。ベルは満面に笑みを浮かべて宿へと戻って行った。

 

 

 ————次の日は夜明けから土砂降りの雨が降っていたが、ベルは傘も差さずにやはり正門前に立ち尽くしていた。

 

 そのずぶ濡れの様子を見かねてか、いつもの門番の男がやや感情の籠もった声をかけてくれた。

 

「……ガレリオ卿。どうして傘を差さないのです……?」

「傘を差すと俺の姿が相手から見えにくくなるし、何より視界に傘が入って折角の王宮の美しい景観が損なわれてしまうからね」

「……では、私たちが使っているレインコートをお使いになられますか……?」

 

 門番の男の提案にベルは笑顔で首を横に振った。

 

「ありがとう。でも俺がレインコートそれを受け取ってしまうと、おそらくキミは何らかのペナルティーを受けるんじゃないか?」

「…………」

「キミの気持ちだけありがたく受け取っておくよ。大丈夫、こう見えても俺は体温が高くて多少の雨なんかへっちゃらなのさ」

 

 そう言うとベルは騎馬式の姿勢を取って、丹田に意識を集中した。すると、やがて全身がポカポカと熱を帯び始め、びしょ濡れだった衣服から湯気が立ち昇り出した。

 

「————いいね。フランチェスコを待ちながら真氣のトレーニングも出来る。一石二鳥というヤツだ」

 

 どこか楽しそうなベルの様子に門番の男はポカンと口を開けて眼を丸くした。

 

 

        ◇ ◇

 

 

 ————この日もフランチェスコからお呼びは掛からず、陽が落ちたところでベルは宿へ帰った。

 

 自分の部屋に戻る途中でアリーヤの部屋をノックしてみたものの、まだ返事は返ってこない。

 

 小さく溜め息をついたベルは自分の部屋に入り、雨で汚れた服を着替えてベッドに腰を下ろした。

 

(さくっと食事を済ませて寝よう。明日も早朝から王宮に行かないといけない)

 

 リンゴを手に取ったベルが口を開けた時、雨音に混じってノックの音が聞こえてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る