089 『弱小領主のダメ息子、ヒドい罵倒を浴びる(3)』

 ————そのノックの音はドアからではなく、窓の方から聞こえてきた。

 

(……誰だ……⁉︎ ここまで俺が気配を感じないとは————まさか……!)

 

 血相を変えたベルは窓辺へ走り寄り、シャッとカーテンを開けた。

 

「————やあ、キミは本当に窓から入ってくるのが好きなんだね」

「…………」

 

 一瞬、驚きで眼を丸くしたベルだったが、すぐに安心したような笑みを浮かべるとゆっくりと窓を開けて、雨夜の来訪者を迎え入れる。

 

 レインコートを纏ったその来訪者は音も無く部屋の中央へ舞い降りると、フードをまくりおもむろに振り返った。

 

「……フランチェスコは約束を守ってくれたのか……!」

 

 涙ぐみながら話すベルの瞳の中には燕を模した仮面を着けた女の姿があった。

 

「…………何の話だ……」

 

 燕面の女————ロンディーネは長い沈黙の後、ようやく重い口を開いた。

 

「いや……、キミが来てくれたのなら何でもいい……」

 

 涙顔のベルは笑みを浮かべてロンディーネの前に近づく。

 

「……来てくれてありがとう……! あれから・・・・ずっと、キミにお礼を言いたかったんだ……‼︎」

「……お前に礼を言われる筋合いはない」

「分かっているだろう……? キミは命を懸けて俺の命を救ってくれた。そうだろう、ヤンアル……‼︎」

「……言ったはずだ、私はロンディーネだと」

 

 飽くまでも否定するロンディーネに対し、ベルはその言葉を否定するように首を横に振った。

 

「それじゃあ、どうしてここまで来てくれたんだい……?」

「……それは……、これ以上お前に付き纏われるのが……迷惑、だからだ……! 私はお前が捜している女じゃない。分かったら早く故郷へ帰ってくれ……!」

 

 ロンディーネは両の拳を固く握りしめて、ようやく今の言葉を振り絞った。しかしベルはその言葉には耳を貸さず、さらに歩み寄った。

 

「————キミがロンディーネを名乗るのは俺のためなのか……?」

「…………!」

「フランチェスコが輸血の方法を教えてくれたから、その礼に奴の配下になっているのか……?」

「…………」

 

 ロンディーネの沈黙を肯定と捉えたベルは続ける。

 

「だが、それだけじゃあキミが仮面を着けて偽名を使う理由が分からない。何か他にも理由があるんだね……⁉︎」

「…………ッ」

 

 言い淀むロンディーネの肩をベルは力強く抱いた。

 

「頼む、ヤンアル……! 一人で抱え込まないで、俺にもキミの苦しさを分けてくれ……! 二人で一緒に抱えれば、きっとどんな重荷も軽く感じられるはずだ」

「…………ベル・・……ッ、私は……‼︎」

 

 ロンディーネの口から初めて名前を呼ばれたベルが応えようとした時、首筋にゾッとするような寒気を感じ、背後を振り返った。

 

 いつの間に現れたものか、そこにはロンディーネと同じく仮面を付けた少年がうつむいてたたずんでいるのが見えた。

 

「……ロンジュ……? なぜキミがここに……⁉︎」

「————さない……」

「え?」

 

 ベルが訊き返すと、うつむいていたロンジュが突如顔を上げた。竜面の奥から、金色こんじきに光る双眸がベルの姿をめ付ける。

 

「ロンディーネを奪う奴は許さない————ッ‼︎」

「ベル! よけろッ‼︎」

「————ッ⁉︎」

 

 ロンディーネの声に反応したベルは考える前に、その肩を抱いたまま窓の外へ飛び退すさった。

 

 隣の建物の屋根に着地すると、何かに気付いたベルが驚きの声を上げる。

 

「————な、なんだ、これは俺の肩が⁉︎」

 

 おのれの右肩が凍りついていることに気付きベルが恐慌を来たした時、ロンジュが追いかけるように着地する。そちらに視線を送ったベルはまたしても驚愕した。

 

 前方に立つロンジュの全身からはシンシンと冷気が立ち昇り、降り注ぐ雨の滴を片っ端から氷の結晶に変えてしまう。

 

「落ち着け、ロンジュ! その技・・・を使うな‼︎」

 

 ベルの腕を振り払ってロンディーネが叫ぶが、ロンジュはその声が届いていない様子でブツブツと独りごちる。

 

「……誰だろうと、僕からロンディーネを奪おうとする奴はみんな凍りつかせてやる……‼︎」

 

 構えを取ったロンジュは狂ったようにベルに襲いかかった————。

 

 

         ◇

 

 

 ————ティーナは王宮の廊下で佇み、雨のしたたる窓へ眼を向けて何事かを思案していた。

 

「…………」

 

 その薄茶色の瞳には様々な感情が渦巻いていると思われるが、それを正確に読み取れる者が果たしてどれほどいるだろうか?

 

「————マルティーナ……」

「!」

 

 背後から声を掛けられ全身を震わせたティーナは恐る恐る振り返った。

 

「……フ、フランチェスコ様。いかがなさいました……?」

 

 ティーナに尋ねられたフラーは意味深な笑みを浮かべて口を開く。

 

「ああ、ロンディーネが任務から戻っているはずだが、部屋に居ないようなんだ。彼女がどこに行ったか、お前は聞いていないか……?」

「————は、い……いえ、存じ上げ、ません……」

 

 震える声でティーナが答えると、フラーは笑みを維持したままうなずいた。

 

「そうか……。ところで、身体が震えているようだがどうした……?」

「い、いえ……雨で気温が下がったせいでしょう。ご心配いただきありがとうございます」

「ふむ……小降りになってきたが、確かに少し肌寒いかもな」

 

 フラーは窓辺に歩み寄って窓の外へ視線を向けた。

 

「……だが、心拍数が上がって瞳孔が開き気味なのは何故なんだろうな……」

「————‼︎」

 

 ティーナは全身の震えを抑えるように自らの肩を抱いた。その反応を見たフラーは眼を細めて自らの上着を肩にかけてやる。

 

「お前に風邪を引かれては私が困る。今夜は早く休め」

 

 そう言って立ち去るフラーをティーナが呼び止める。

 

「フランチェスコ様! ロンジュ……はどこへ……⁉︎」

「ああ、彼にはロンディーネが行きそうなところへ迎えに行かせた」

「!」

 

 眼を見開き絶句するティーナに背を向けたままフラーは言う。

 

「フフ……、こんな雨の夜にはの技が威力を増すだろうな……!」

「…………‼︎」

 

 薄暗い王宮の廊下にはカツンカツンという無機質な靴音だけが響いていた。

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