070 『弱小領主のダメ息子、褐色の美女と出会う(4)』

 窓から飛び降りたベルは2階の屋根に静かに着地し、部屋の様子を窺っていた人物が逃げた方へ顔を向けた。

 

 視線の先にはそのまま屋根伝いに逃亡する怪しげな人影があった。

 

(————逃さない! 追いかけて正体を掴んでやる……!)

 

 脚に力を込めて走り出すと、自分が思っていた以上にスピードが出てベルは驚きの声を上げた。

 

「————うわっ!」

 

 慌てて急ブレーキを掛けて口元を押さえるが、幸いなことに前方を駆ける謎の人物の耳には届いていなかったようで、ベルはホッと息をついた。

 

(……危ない、危ない。ヤンアルの力の一部が宿ってから五感というか気配を察知する能力が高まったが、身体能力も以前とは段違いだ。気を付けて制御しないとな……)

 

 半分ほどの力で追跡を再開すると、ほどなくして謎の人物の背中が見えてきた。付かず離れずの距離をキープして追跡を続けても謎の人物は全く背後を気にしている様子がなく、どうやら自分が追跡されているとは気付いていないようであった。

 

 ベルは慎重に追いかけながら謎の人物の姿を観察する。濃紺のゆったり目な服を頭からスッポリ着用しており、走り方からおそらく年寄りではないと思われるが、男か女かまでは判別がつかない。

 

(まるで犯罪者ですと言わんばかりの衣装を着て人目を忍ぶように屋根伝いに移動するなんて、もしかしなくてもアイツが例の泥棒なんじゃないか……?)

 

 しかし、犯行の現場を目撃したわけではないので、ベルはこのまま謎の人物の追跡を続けた。

 

 

        ◇

 

 

 ————10分後、謎の人物を追っていたベルは大きなやしきにたどり着いた。

 

 かなりのスピードで追跡をしていたはずだが、ベルの息は全く上がっていなかった。以前、カディナの山をヒィヒィ言いながら登っていた頃とはまるで別人のようである。

 

 ベルは謎の人物を視線の端に収めながら、邸を見上げる。

 

(……これは母上のご実家に並ぶほどの邸だぞ。あんな怪しげな格好をしているヤツの家だとはとても思えない。どうやらアイツが連続窃盗犯で決まりっぽいな。後は犯行の決定的瞬間を確認してから憲兵に突き出してやる)

 

 ヤンアルの手掛かりが失くなったことでベルはムシャクシャしており、泥棒を捕まえることでストレスを晴らそうとしていたのである。

 

 その間にも謎の人物はやはり正面からではなく、塀を身軽に飛び越え邸内に侵入した。ベルも同じ経路を辿って追跡を続ける。

 

 ベルが音も無く庭に着地すると、前方の謎の人物が番犬と思われる大型犬と遭遇していた。番犬が今にも吠え出しそうに口を開けた瞬間、謎の人物が何やらつぶやくと番犬は急にゼンマイが切れたようにその場に崩れ落ちて寝息を立て始めた。

 

 物陰に身を隠しながら目撃していたベルの表情が引き締まる。

 

(————アレは『睡眠ソムヌス』の魔法……! どうやらただのケチな泥棒じゃなさそうだな……!)

 

 たやすく番犬を無力化させた謎の人物はスヤスヤと眠るワンコのそばを走り抜けて建物内に入り込んだ。ベルも気配を消して後に続いていく。

 

 

 ベルが邸の中に入ると廊下の隅にメイドが一人倒れ込んでいるのが見えた。近付いて確認してみると、やはりスウスウと眠りこけているだけである。メイドを静かに横たえたベルは何かに気付いた様子でスンスンと鼻を鳴らした。

 

(……なるほど、そういうことか……!)

 

 

      ◇ ◇

 

 

 ————謎の人物の姿は最上階にある窓のない角部屋にあった。

 

 

 どうやらこの部屋はこの邸の主人のコレクションルームのようであり、見るからに防御力の低そうな金色の甲冑やロセリアベアの剥製、芸術が爆発したようなオブジェや絵画が多数飾られていた。無論、持ち運びやすい指輪などの貴金属も。

 

 謎の人物は肥えた眼でいくつかの貴金属を物色するとサッと懐に忍ばせた。

 

「————はい、犯行の決定的瞬間を押さえました」

 

 驚いた様子の謎の人物が振り返ると、そこには扉を背に腕を組んで佇むベルの姿があった。

 

「……と言っても、不法侵入罪が既に適用されていたけどね」

「…………」

 

 謎の人物は突然現れたベルを警戒して後ずさるが、この部屋には窓が無く、逃げるためには眼の前の男を倒さなければならない。

 

「一つ訊くが、デルニの街の窃盗事件もキミの仕業かい?」

「…………!」

「『どうして、そのことを……?』って感じだな。俺はアンヘリーノからまずデルニへ向かったのさ。まさかあの時はこんなことに結びつくとは思ってなかったけどね」

「…………」

 

 なおも無言を貫く謎の人物にベルは右手を差し出した。

 

「悪いことは言わない。いま懐に入れた貴金属ものと今まで盗んだ物を出すんだ。まだ換金していない物もあるんだろう?」

「…………」

 

 謎の人物は懐に手を入れたものの、折角手に入れた盗品が惜しいのか手放そうとはしない。業を煮やしたベルは謎の人物に一歩近付き声を荒げる。

 

「……いい加減にするんだ。いつまでもこんなことを続けていてはいけない。さあ、早く返すんだ————『アリーヤ』……!」

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