071 『弱小領主のダメ息子、褐色の美女と出会う(5)』

 ベルに指を突き付けられた謎の人物は一瞬動揺したように身体を揺らしたが、すぐに持ち直して頭を覆っていた布に手を掛けた。

 

「————よく、あたしだって分かったわね、名探偵さん」

 

 濃紺の布の下から現れたのは、トパーズを彷彿とさせる褐色の肌。謎の人物の正体はベルの推理にあやまたず、昨夜酒場で知り合ったアリーヤであった。

 

「お褒めの言葉どうも————と言いたいところだが、キミにとってはズルだったかも知れないな」

「え?」

 

 そう言ってベルは自らの鼻に指を当てて見せる。

 

「とある事情で常人ひとより嗅覚が鋭くなってね。さっき廊下で嗅いだ窃盗犯の残り香が、昨夜キミが使っていた香水と同じ匂いだったからピンと来たんだよ」

「……驚いた……! 今夜は香水を振ってなかったのに」

「いつも使っているものなら匂いが身体に染みついているんだろうね」

 

 アリーヤはやれやれといった様子で両手を広げた。

 

「確かにズルね。さっきの言葉は取り消すわ」

「もう一度訊くが、デルニの街の窃盗事件もキミがやったのか?」

「……だったら? あたしをどうするの?」

「さっきも言った通りだ。とりあえず懐に入れた物を出して、それから今まで盗んだ物を返すんだ。なんだったら俺が一緒に付いて行ってもいい」

「…………」

 

 再びベルが右手を伸ばすと、アリーヤはうつむいて肩を揺らした。

 

「……ふふ。さすが領主のおぼっちゃまは言うこと成すこと甘っちょろいわね」

「どういうことだ……?」

「それはね……、こういうことよ————『魅了ヴィーナス』!」

 

 言葉と同時にアリーヤの瞳が妖しい輝きを帯びてベルの双眸を見据えた。ベルはアリーヤの瞳に惹きつけられたように眼が離せなくなった。

 

「…………」

「ふふふ……、これで魔法が解けるまでアンタはあたしの命令に逆らえなくなったわ……!」

「…………」

「……さあ、ベル。いい子だから、あたしのためにそこを退いてドアを開けなさい」

「……分かりました————とは言えないな」

 

 ベルは平然とした様子で答えると、瞬時に間合いを詰めてアリーヤの右腕を掴んだ。

 

「————ど、どうして⁉︎ なんであたしの魔法が効かないの⁉︎」

「さあ……? よく分からないが俺には効果が無いみたいだね」

「くっ……、それなら『睡眠ソムヌス』ッ!」

「…………」

 

 先ほど番犬を眠らせた魔法をアリーヤが唱えるが、ベルは眼をパチクリするだけで掴んだ手を離そうとしない。

 

「……眠たく————」

「————ならないね」

「…………‼︎」

「どうやらキミは神経系の魔法が得意みたいだが、使えるのはこれだけかい? それじゃあ、いま盗んだ物を返すんだ」

「……分かったわよ……!」

 

 悔しそうな表情を浮かべたアリーヤは残った左手で盗んだ貴金属を取り出した。

 

 

          ◇

 

 

 ————貴金属を戻した二人は何事もなかったように金持ちのやしきを出て、夕方ベルが休憩していた公園へとやって来た。

 

 ベルは途中で買った水のボトルをベンチに座るアリーヤへ手渡した。

 

「良かったら事情を説明してくれないか……?」

「……別に。そんな面白い事情なんてないわよ。住民票の無い移民の女の子が生きていくためにはどうすればいいのかアンタに分かる?」

「……それは…………」

「そう。芸を売るか身体を売るか、それとも盗むか。そのどれか、もしくは全部でしょ」

「…………だけど、犯罪に手を染めたらますます表社会に戻れなくなる」

 

 長い沈黙の後、ベルが発した言葉を聞いたアリーヤが立ち上がった。

 

「————アンタなんかにあたしの何が分かるのよ! 生まれながらに上流階級の人間が偉そうに説教しないで!」

「……そうだね。改めて自己紹介しよう。俺の名前はベルティカ=ディ=ガレリオ。父はデルモンテ州トリアーナ県の領主を務めている」

「……は? 何よ今更。出自の差を自慢しようって言うの?」

「綺麗事を言うつもりはない。ガレリオ家は弱小領主だが、移民のキミと比べたら俺はかなり恵まれているだろうな」

「フン。だから————」

「————だから、キミを雇うことも出来る」

 

 ベルの唐突すぎる発言にアリーヤは我が耳を疑った。

 

「……今、なんて言ったの……⁉︎」

「キミを雇うって言った」

「…………⁉︎」

 

 信じられないと言った表情のアリーヤが言葉を失ったが、ベルは構わず続ける。

 

「正直なところ、ウチもこれ以上メイドひとを雇う余裕はあまりないが、空いている部屋もあるし衣食住は保証するよ」

「……ちょっ、ちょっと……」

「田舎が嫌でもっと給金が欲しいならアンヘリーノの母の実家に紹介状を書いてもいいし、ダンスで生計を立てたいと言うなら専業で稼げる店を探してあげよう」

「————ちょっと待ちなさいよ!」

 

 一人で突っ走るベルにアリーヤが待ったを掛けた。

 

「ん? どうしたんだい、アリーヤ?」

「『どうしたんだい』じゃないわよ! あたしを憲兵に突き出すんじゃないの⁉︎」

「うん、最初はそう思っていたんだけど気が変わった。幸い盗んだ物はまだ換金前でそのまま残ってることだし、今回は見つからないようにそっと返しておけばいいだろう」

「……気が変わったって……」

「キミを憲兵に突き出したところで根本的な解決にはならないと思うんだ。だからキミを雇って真っ当に働かせてやることに決めた」

「…………‼︎」

 

 またしても言葉を失うアリーヤにベルが指を突き付ける。

 

「言っておくが、キミに拒否権はないよ」

「…………いいえ、あるわ」

「え?」

「あたしを雇うって言うなら、ヤンアルさんを捜す手伝いをさせてもらいたいわ」

 

 アリーヤの返事にベルは額を押さえる。

 

「……また、キミはそんなことを……!」

「上流階級のメイドも面白そうだけど、やっぱりあたしの性に合わなさそうだし、専業ダンサーも一つのはこじゃあ窮屈なのよね。それにベルにとってはヤンアルさんが見つかることが一番嬉しいんじゃないの?」

「そ、それはそうだが……」

 

 脈ありと見たアリーヤが畳み掛ける。

 

「多分アンタは貴族の情報網でヤンアルさんを捜してるんでしょうけど、あたしはお上品な方々がとても探れないようなルートに顔が利くわよ。役に立つと思わないかしら?」

「う……」

「あたしを雇う条件だけど、ヤンアルさんを見つけるまでの経費はそっち持ちで、成功の報酬はあたしを自由にすること。これでどう?」

 

 得意げに指を立てるアリーヤの様子にベルは顔を覆った。

 

「……ふっ……、ハハハハハハ!」

 

 ひとしきり笑ったベルは顔から手を離し、アリーヤに向き直った。

 

「————はぁーあ……、負けたよ、キミには……」

「それは契約成立ってこと?」

「ああ。よろしく頼むよ、アリーヤ」

「ええ。こちらこそ、雇い主さん」

 

 アリーヤはニッコリ笑って、ベルの差し出した右手をしっかりと握り返した。

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