第15章 〜Risveglio〜

060 『弱小領主のダメ息子、昏睡状態から覚醒する(1)』

 ————ヤンアルの手により『輸血』が行われて一週間が過ぎたが、ベルはいまだ昏々と眠り続けたままだった。

 

 

 そんなある日の午後————、学校から帰ってきたレベイアはいの一番にベルの眠る部屋へ駆け込んだ。

 

「ただいま戻りましたわ、お兄様————」

 

 ベルが運ばれて以来、日課となっていた呼び掛けをしたレベイアだったが、ベッドの上に兄の姿は無い。

 

「…………⁉︎」

 

 一瞬、パニックに陥ったレベイアが視線を移すと、窓際に立って外を眺めている男の後ろ姿が眼に入った。

 

「……お、お兄……様……⁉︎」

 

 確かめるようにレベイアが声を掛けると、男がゆっくりと振り返った。

 

「————おかえり、レベイア。学校は楽しかったかい……?」

 

 窓から射し込まれる陽光で男の顔には影が掛かっていたが、その声は聞き覚えのある兄の声で間違いない。レベイアは大粒の涙を浮かべてベルへ駆け寄った。

 

「お兄様……! 眼を覚まされて……良かった……ッ‼︎」

「おいおい、大袈裟だな。誰だって眼を覚ますだろう? 何も泣かなくてもいいじゃないか」

「え……⁉︎」

 

 平然とした様子で話すベルにレベイアは違和感を覚え、改めてその顔を見上げた。それは見知った兄の顔で間違いないのだが、以前と決定的に違う部分が一箇所あった。

 

「……お兄様、左眼が……!」

「左眼? ……ああ、すまない。目脂めやにが付いていたな」

 

 ベルは眼を擦ったその手でお腹を押さえた。

 

「起きたばっかりでなんだが、すごく腹が減ったな。レベイア、すまないが顔を洗って来るから、先に何か食事を頼んでおいてくれないか?」

「……え、ええ、分かりましたわ」

「ありがとう」

 

 普通に礼を言ってベルは部屋を出て行ってしまった。

 

 

          ◇

 

 

 ヴィレッティ家の食堂にはレベイアから報告を受けたサンドラも駆けつけ、一心不乱に食事を取るベルの姿を娘と共に凝視していた。

 

「————いやあー、変わったこともあるんですね。寝てる間に片眼の色が変わるなんて! 鏡を見てビックリしましたよ!」

 

 あっけらかんとした様子で話すベルの左眼は、元の薄い青色から漆黒へと変貌を遂げていたのである。そんな息子を心配した様子でサンドラが尋ねる。

 

「……ベルティカ。その、身体はなんともないの……?」

「ええ、何故か猛烈にお腹が空いてます」

「いえ、そういうことではなくて、例えばその、左胸が痛むとか……」

「左胸……ですか? いえ、なんともないですね。むしろたっぷり眠って、いつもより身体が軽い感じがします」

「……お兄様、その左眼は大丈夫なんですの……?」

 

 不意にレベイアに尋ねられたベルはフォークを置いて、左の目尻に触れた。

 

「うーん、これか。眼の色が変わっただけで、痛みとか視界がぼやけるとかは無いな」

「そうなのですね。でも一度お医者様に診てもらった方が良いですわ」

「そうだな。うん、そうしよう。ところで、父上はどちらに?」

「お父様ならお仕事がありますので、カレンとミケーレと一緒にもうトリアーナに戻られましたわ」

「えっ? 俺が寝てる間に帰るなんてヒドくないか⁉︎」

『…………』

 

 ベルの反応にレベイアとサンドラは顔を見合わせた。ベルはその様子に気付かずキョロキョロと首を動かす。

 

「————それじゃあ、ヤンアルは?」

『————‼︎』

 

 この質問にレベイアとサンドラの表情が凍りついた。

 

「またトレーニングでもしてるのかな?」

「…………ヤンアルはここにはおりません……」

 

 重苦しい表情でレベイアが答えた。

 

「いない? まさかヤンアルも俺を残して帰ったのか⁉︎」

「……ベルティカ。落ち着いて聞きなさい」

「……? はい」

 

 

 

 ————サンドラから、ヤンアルに告白した日から目覚めるまでの経緯を聞かされたベルは記憶が混濁していた様子だったが、徐々にその表情が歪み始めて突然席を立った。

 

「————ヤンアルが自分のことを忘れてくれだって⁉︎」

「……ミケーレにそう伝えるよう言い残したそうよ」

「なんでヤンアルがそんなことを! ミキの奴が嘘をついてるんじゃないのか⁉︎」

「落ち着きなさい。ミケーレがそんなことを考えるわけがないでしょう」

「あ…………」

 

 失言を悟ったベルは力なく席に座り込んだ。

 

「……まさか、俺が突然告白をしたから……?」

「そう……自分の気持ちを伝えたのね」

「……ええ。でも、ヤンアルは俺に告白されたことが嫌だったんだろうか……」

「————そんなことはありませんわ!」

 

 ベルの発言を聞いたレベイアが立ち上がった。

 

「ヤンアルはお兄様に好意を持っていました! もっとご自分に自信をお持ちになってください!」

「……しかし、じゃあなんでヤンアルは黙って姿を消してしまったんだ……?」

「そ、それは何か事情があって……」

 

 レベイアが言い淀むと、ベルはふらりと席を立って入り口に向かって歩き出した。

 

「……食事を取ったら、なんだかまた眠たくなってきました。休ませていただきます」

「……ええ。何かあったらすぐに使用人を呼びなさい」

 

 ベルは無言で一礼して食堂を出て行った。

 

 

            ◇ ◇

 

 

 部屋に戻ったベルは糸が切れたようにベッドに倒れ込んだ。

 

「……俺が誰かに刺されてヤンアルが治療してくれただって……?」

 

 左胸を押さえたベルは視線を左の手首に移す。

 

「……それに自分の血液を俺に寄越すだなんて、フった男に対して気前が良すぎるだろう……」

 

 自嘲気味に笑ったベルは何気なくベッドの脇のナイトテーブルに顔を向けた。そこには美しい紋様が描かれたランプの他にコインが一枚置かれていた。それに気付いたベルはガバッと跳ね起き、コインを手に取った。

 

「————これは、俺がヤンアルに渡したコイン……⁉︎」

 

 あの時、ヤンアルに渡したコインは三枚である。

 

 

 ————ラトレの泉にはカップルでコインを一枚投げると『再びここを訪れることが出来る』と言われている。二枚では『大切な人と永遠に一緒にいることが出来る』と言われ、三枚では逆に『恋人や結婚相手と別れることが出来る』と言われていた。

 

 

(……一枚をここに置いて行ったということは、ヤンアルはまだ二枚を持っているということだ……!)

 

 ベルはベッドから立ち上がって、窓の外へ眼を向ける。

 

(俺は未練たらしい男だからな。覚悟しておけよ、ヤンアル……‼︎)

 

 残されたコインを握りしめたベルの双眸オッドアイには希望という名の光が宿っていた。

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