058 『弱小領主のダメ息子、一世一代の告白をする(6)』

 駆けつけたミキとファビオによってベルはヴィレッティ家の一室に運ばれた。しかし、依然として意識不明の状態で呼吸も浅いままであった。

 

 ベルが寝かされたベッドの脇には大きな瞳いっぱいに涙を浮かべながら兄の手を握るレベイア、悲痛な表情を浮かべるバリアントとサンドラ夫妻、やり場の無い怒りに拳を握るミキ、震えるレベイアの肩を優しく支えるカレン、そして扉のそばで警戒を怠らないファビオの姿があった。

 

「……いったい……何があったと言うのだ……⁉︎」

 

 動揺を隠せないのか、震える声でバリアントが沈黙を破った。

 

「……申し訳ございません、旦那様。広場にいた者の話によりますと、気付いた時にはベルティカ様が胸から血を流して倒れていたと————」

 

 同じく震える声でミキが答えると、珍しく激昂した様子でバリアントがテーブルに掌を叩きつけた。

 

「————いったい何者がベルティカをこんな目にッ‼︎」

「……あの広場には観光客を狙うスリが多いと聞くわ。それに気付いたベルティカが逆上したスリに刺されたのかも知れない……」

 

 淀みなく答えたサンドラにバリアントは眼を怒らせた。

 

「お前はよくこんな時に冷静でいられるな! ベルティカが心配ではないのか⁉︎」

「……心配に決まっているでしょう! 冷静に振る舞っていないと頭がどうにかなりそうなのよ‼︎」

「————おめください! お父様! お母様‼︎」

 

 感情をぶつけ合う両親にレベイアが割って入った。

 

「……どうかお静かになさってください。お兄様が驚かれてしまいます……!」

『…………』

 

 小さな肩を震わせながら健気にも気丈に振る舞うレベイアの声にバリアントとサンドラは黙り込んだ。

 

 再び部屋の中を重苦しい雰囲気が包む中、コンコンと扉が叩かれファビオが応対する。

 

「……回復術士の先生です……」

 

 案内された回復術士はベルの胸の傷を改め、脈を取った。すると回復術士は諦めたように首を横に振ってベルの左手をゆっくりと置いた。

 

「せ、先生! どうか息子を————」

「————治療は必要ありません」

「先生! どうかお願い致します! 謝礼はいくらでもお支払い致します!」

 

 バリアントとサンドラが相次いて詰め寄るが、回復術士は二人を落ち着かせるように手を上げた。

 

「……いえ、正確に申し上げますと治療は終わっているのです」

「え……?」

「ご覧ください。傷はすでに塞がっておられます。今はあまりに血を流しすぎたために意識を失っている状態です」

「そ、それでは……?」

「失われた血が体内に戻れば、あるいは————」

「————息子の意識は戻るのですか⁉︎」

 

 バリアントは回復術士の両肩を掴んだ。

 

「あとはこの方の生命力次第というところです」

「おお……!」

 

 ここまではファビオの見立てた通りである。回復術士は再びベルの傷痕に眼を向け驚いたように口を開いた。

 

「……しかし凄まじい術士がいたものです。この方の傷は心臓まで達していたはずなのにそれを見事治してしまっている。とても私には出来ないことです」

 

 それだけ言うと回復術士は礼をして部屋を後にした。一同も頭を下げて見送っていたが、ミキが顔を上げながら言う。

 

「……どうやらベルティカ様の傷を治療したのはヤンアルのようなのです」

「————ヤンアルが?」

 

 サンドラが訊くと、ミキはゆっくりとうなずいた。

 

「……はい。それと、目撃者の話ですとヤンアルはベルの治療をした後、公衆の面前で『翼』を広げてしまったと……」

「————それでは、その時広場にいた全員にヤンアルの翼が見られたということ……⁉︎」

「…………」

 

 ミキは無言で再びうなずいた。

 

「————ミケーレ。ヤンアルはいったいどこへ行ってしまったんですの……?」

「……分かりません、レベイア様。私とファビオ殿が着いた時には、すでにどこかへ飛んで行ってしまった後のようでした……」

「……まさか、ヤンアルはベルティカ様を刺した犯人を追って……⁉︎」

 

 カレンが口を開くと、バリアントが首を振った。

 

「……とにかく今はベルティカの意識が戻ることを待とう。きっとヤンアルもすぐに戻ってくるはずだ」

「かしこまりました。旦那様、今夜は私がベルティカ様のおそばに控えておりましょう」

「それでは、私も————」

「いえ、旦那様。旦那様は明後日の早朝にはトリアーナにお戻りにならなければなりません。体調を崩されてはご公務にもさわりますので夜間は私にお任せください」

「……うむ……」

 

 ミキに説得されバリアントは渋々承知したが、レベイアはベルの手を握ったまま動こうとしない。

 

「レベイア。気持ちは分かるがお前まで倒れてしまっては、ベルティカが眼を覚ました時に悲しむぞ。もう自分の部屋で眠りなさい」

「……お兄様がこんな状態ではとても眠れませんわ」

「レベイア。今日は私と一緒に眠りましょう」

 

 気を利かせたサンドラが渋るレベイアを連れて出て行き、続いてバリアント、カレン、ファビオも部屋を後にした。

 

 一人残ったミキはベッド脇の椅子に腰掛け、死んだように眠るベルへ顔を向けた。

 

「……ベル……、早く眼を覚ませよ……! レベイア様が泣いていただろ……!」

「————本当に。眼を覚まされたらレベイア様を泣かせた罰を受けてもらいましょう」

 

 声に顔を上げると、扉のそばにカレンが立っている。

 

「カレン……」

「私も付き合うわ」

 

 そう言うとカレンはミキの返事を待たずに隣の椅子に腰を掛けた。

 

「……責任を感じているのね……?」

「……ああ。ベルティカ様には付いてくるなと言われたが、隠れてでも後をけるべきだった……!」

 

 後悔の念で顔を歪ませるミキの左手をそっとカレンが握る。

 

「あまり自分を責めないで。出掛けのベルティカ様のお顔を見たでしょう? きっとヤンアルにご自分のお気持ちを伝えるおつもりだったのよ」

「…………」

 

 ミキは黙ってカレンの手を握り返す。その時、部屋の窓が突然開かれた。

 

「————ヤンアル!」

 

 ヤンアルはあかい粒子の翼を広げてベルが横たわるベッドの前にふわりと降り立った。

 

「ヤンアル! いったい今までどこに行っていたんだ⁉︎」

「…………」

 

 立ち上がったミキが問い詰めるが、ヤンアルはベルへ視線を向けたまま答えない。

 

「ヤンアル……?」

「旦那様へ知らせてくるわ……!」

 

 そう言ってカレンが後ろを通りすぎた時、ヤンアルのしなやかな指が伸びてカレンの首の後ろを突いた。全身が硬直してカレンは床にくずおれる。

 

「————カレン! 何をするんだ、ヤンアル⁉︎」

「……すまない、ミキ。ベルが眼を覚ましたら、私のことは忘れるように伝えてくれ……‼︎」

「な、何を言って————」

 

 戸惑うミキの背後へ音も無く回ったヤンアルは、カレンと同じく首の後ろを突いて気絶させた。

 

「…………」

 

 ヤンアルは気絶したミキとカレンを優しく椅子に座らせ、再びベルへ向き直った。

 

「————再見了さようなら、ベル……‼︎」

 

 大粒の涙を流しながらヤンアルは眠るベルへ口づけをした。

 

 

 ————永い時が過ぎ、ようやく二人の唇が離れる。

 

 

 涙を拭ったヤンアルは何を思ったのか、自らの左手首を切った————。

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