056 『弱小領主のダメ息子、一世一代の告白をする(4)』

 自らの血海の中に横たわるベルの瞳は固く閉じられ、その顔色は蒼白を通り越して青みを帯び始めていた。

 

「……べ、ベル……⁉︎」

 

 自分がいま眼にしている光景が信じられずヤンアルが茫然としていると、周りの通行人たちが異変に気付き始めた。

 

「うわっ、人が倒れてるぞ!」

「すげえ血だ‼︎」

「えっ、何かの冗談……⁉︎」

「医者だ! 誰か医者を呼べ!」

 

 通行人の声にヤンアルは我に返り、周りを見回した。すると、誰もがこの惨状に足を止め驚いているというのに、一人だけ背を向けてこの場から去ろうとしている人影が見えた。それは先ほどベルとぶつかった男だとヤンアルは確信する。

 

(……あの男がベルを……ッ‼︎)

 

 漆黒の双眸に怒りの炎を燃え上がらせたヤンアルだったが、思い直してすぐにベルへと顔を向けた。

 

(————今はベルの治療が先だ!)

 

 ヤンアルはスカートが血に染まることもいとわずベルのかたわらにひざまずいた。ドス黒く染まっているジャケットを開いてみると、左の胸元から溢れ出る鮮血が噴水のようにシャツを押し上げていた。

 

(マズい……! 一刻も早く出血を止めなければ……‼︎)

 

 一瞬でベルの状態の深刻さを理解したヤンアルはまずベルの心臓付近を指で数カ所突いた後、両の掌を重ねて左胸に置いた。

 

 ヤンアルの掌が暖かな光を帯びてベルの胸を包み込むが、溢れ出す鮮血は一向に止まる気配がない。しかし、ヤンアルは額に玉の汗をいくつも浮かび上がらせながらも諦めずに掌の力を強める。

 

(……止まれ! 止まれ————ッ‼︎)

 

 やがてヤンアルの頭から大量の蒸気が上り始め、ベルの身体を包む光が増した頃、ようやく出血が止まった。

 

「————おお、スゲえ! なんていう回復魔法だ⁉︎」

 

 この様子を見ていたギャラリーから喝采が上がったが、ヤンアルは構わずベルの胸に耳を近付けた。次の瞬間、その顔が驚愕の色に染まった。

 

(傷は塞がったはずなのに心臓が止まっている……‼︎ 呼吸も……!)

 

 ヤンアルは再び掌に光を集めて、ベルの左胸をリズム良く押し始めた。

 

(————ベル! 死ぬな! 死なないでくれ! 私はまだコインを投げていないぞ‼︎)

 

 心臓マッサージの合間にヤンアルはベルのアゴを持ち上げ口づけをした。

 

(……ベル……‼︎)

 

 一連の作業を数分間繰り返した時であった。

 

 

 ———— ドクン……ッ ————

 

 

 顔色は蒼白のままではあるがベルの心臓が再び鼓動を始めて、浅いながらも呼吸をするまでになった。

 

「……ベル……良かった……‼︎」

 

 安心した様子でその場にへたり込んだヤンアルだったが、何かを思い返したようにすぐに立ち上がった。

 

「お、おい、姉ちゃん。いま医者を呼んでるからアンタも座って休んでおきな! 長時間回復魔法を使って消耗してるだろう……⁉︎」

「……回復魔法じゃない……」

「え?」

 

 ヤンアルは声を掛けてくれた男へ振り返り頭を下げた。

 

「すまないが頼みがある。この男はベルティカ=ディ=ガレリオと言って、この街の有力者であるヴィレッティ家とゆかりの者だ。どうかヴィレッティ家の者にこのことを伝えて欲しい。礼は必ずする」

「あ、ああ、それは構わねえがアンタはどうするんだ?」

「…………」

 

 その質問には答えずヤンアルは横たわるベルへ視線を向けた。

 

 ベルは依然として意識を失ったままだったが、その右手には風に飛ばされた自分ヤンアルの帽子が固く握りしめられていた。それに気付いたヤンアルの瞳から涙が溢れる。

 

「……ベル……、一人にしてすまない……‼︎」

 

 涙を拭ったヤンアルが顔を上げると、その背にあかい粒子が集まり今までのものよりもさらに大きな翼が形作られた。

 

「————な、なんだこりゃあ⁉︎」

「な、何⁉︎ 紅い翼⁉︎」

 

 突然現れた紅い翼にギャラリーが騒然となる中、ヤンアルの身体が宙に浮かび上がる。

 

 ヤンアルは名残惜しそうにもう一度ベルへ視線を向けた後、どこかへ飛んで行ってしまった。

 

 ヤンアルにベルのことを頼まれた男が茫然とした様子で独りごちる。

 

「……天使様ってホントにいたんだな…………」

 

 

         ◇

 

 

 ————その頃、街の路地裏ではフードをかぶった男が息を弾ませていた。

 

「……へ、へへ、上手く行ったぜ……! これで当分遊んで暮らせる————」

「————なるほど、金で誰かに雇われたのか……‼︎」

「あ……? ————へぶっ!」

 

 突如、男は顔面を地面にしたたかに打ち付けられた。

 

「な……が……⁉︎」

 

 打ち付けられた衝撃で前歯を二本無くした男がゆっくりと振り返ると、背後から夕陽を浴びた女が仁王立ちしている姿が眼に入った。その背には夕陽色に染められた翼が広がり、恐ろしくも幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

「な……なんだ、その翼は……⁉︎」

「…………」

 

 しかし、ヤンアルは男の質問には答えず二本指で男の胸を突いた。

 

「————ッ⁉︎」

 

 ヤンアルに胸を突かれた男の挙動が止まった。

 

「……お前の身体の自由は奪ったが、首から上は動くはずだ」

「て、てめえ、俺の身体に何をしやがった⁉︎」

「…………」

 

 ヤンアルはまたしても答えず、無造作に路地の壁を殴り付けた。『ボゴォッ』という音を立てて、レンガの壁が女の細腕によって破壊された。

 

「————‼︎」

「……いいか、今から私がお前に質問をするが、余計なことを喋った場合はお前の頭がこうなると思え」

「…………!」

「嘘をついても、三秒以内に答えなかった場合も同様だ。分かったか……?」

「…………‼︎」

 

 男は無言でブンブンブンと三度首を縦に振った。

 

「……よし、お前は金で雇われて私の連れを襲ったのか……⁉︎」

「……そうだ」

「…………」

 

 男の返事にうなずいたヤンアルは次の質問を浴びせる。

 

「では次が最後の質問だ。お前は誰に雇われた……⁉︎」

「————そ、それは……‼︎」

「……『ウーノ』……!」

「ま、待ってくれ……‼︎」

「……『ドゥーエ』……‼︎」

「————わ、分かった! 言う! 言うからカウントをやめてくれ‼︎」

「つまらない時間稼ぎをするな。早く喋れ……!」

 

 苛立った様子でヤンアルが言うと、男は観念したように口を開いた。

 

「……俺を雇ったのは、カステリーニ家の人間だ……!」

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