055 『弱小領主のダメ息子、一世一代の告白をする(3)』

 サン・エミリオ教会を出た二人がジェラートを手に歩いていると、次第に人通りが増えてきたことに気が付いた。

 

「む……、なんだか人が増えてきたな」

「ヤンアルは人混みが苦手かい?」

「うん、あまり得意じゃない」

「そうか、でもこの先はアンヘリーノいちの観光スポットなんだ。少し我慢してくれるかい?」

「一番の観光スポット?」

 

 ヤンアルが訊き返すと、ベルは得意げに指を立てた。

 

「さっき言っただろう? ラトレの泉さ」

「ああ、言っていたな。それに面白い逸話があるとも」

「フフ、それは泉についてからにしようか」

 

 

           ◇

 

 

 ————ラトレの泉が近付いてくると、いよいよ人だかりが増えてきて前に進むにも肩と肩がぶつかりそうなほどになった。

 

「……なんだ、この人の数は……! 皆、ラトレの泉とやらを観に来ているのか……?」

「あ、ああ……そのようだね。ヤンアル、キミのことだから大丈夫だと思うけど、スリには気を付けてくれよ」

「分かった」

 

 なんとか人波を掻き分けて進んでいくと、夕陽が落ち始めた頃にようやく開けた場所に出ることが出来た。

 

 広場の先には、噴水が設置された小さな泉の姿が見えた。噴水のそばには神や女神らしき彫刻が何体も建てられており、神話の世界がそのまま現れたかのような錯覚に陥りそうである。

 

「————さあ、着いた! ここがラトレの泉だ! ……と言っても俺も初めて来たけど」

「ふむ……、あの彫刻は確かに見事だが、いったいこの小さな泉の何が人々をこれほどまでに惹きつけるんだ……?」

「それはね、みんなコインを投げに来るのさ」

「コイン?」

 

 ベルの言葉にヤンアルが再び泉へと眼を向けると、確かにカップルと見られる男女が背を向けてコインを投げ入れているのが見えた。

 

「泉にコイン……、以前まえにもどこかで聞いた気がする……」

「それはカディナのフレールの泉だね。このラトレの泉も同じような逸話があるんだ。肩越しに一枚コインを投げ入れると、『再びここを訪れることが出来る』と言われている」

「二枚投げたらどうなるんだ?」

「二枚投げ入れると、『大切な人と永遠に一緒にいることが出来る』らしい」

 

 これを聞いたヤンアルはフクロウのように首を傾げた。

 

「ん……? 確かフレールの泉もそんな話ではなかったか?」

「ああ、多分だけど向こうがパクってるんだと思う」

「なるほど……観光名所というのも色々大変なんだな」

 

 腕を組んでヤンアルが納得していると、

 

「————ヤンアル」

「ん? 改まってどうした、ベル?」

 

 いつになく引き締まった表情のベルが口を開く。

 

「俺の気のせいかも知れないが、何か思い出しかけているんじゃないか……?」

「…………!」

 

 ベルに指摘されたヤンアルの双眸が大きく開かれた。長い沈黙の後、ヤンアルは意を決したように口を開く。

 

「……うん。誰だかまでは分からないが、最近一人の男の姿が頭に浮かぶようになってきた……」

「……それは、キミの大切な人なのかい……?」

「……顔も名前も思い出せないが、その男は私の心の大部分を占めているような気がする……」

「…………」

 

 そう話すヤンアルの瞳が潤いを帯び、今まで見たことのない色に変わり始める。その様子を見たベルはゆっくりと眼を閉じた。

 

 

 

『————お兄様。お兄様はヤンアルのことをどう思っていますの? 本当にただの友人と思っていらっしゃるの?』

『……俺は————』

 

 

 

「————ヤンアル」

 

 眼を開けたベルは真正面からヤンアルの両肩を力強く抱いた。

 

「べ、ベル……?」

 

 ベルはたじろぐヤンアルの瞳を真っ直ぐに見つめ、想いの丈を言葉に乗せた。

 

「————俺は度胸も腕っぷしも野心もないヘタレのダメ息子だが、キミのことをこの世の誰よりも愛している。キミの心に住んでいるその男よりもずっとだ……‼︎」

「…………‼︎」

「俺の気持ちを受け入れてくれるなら、俺と一緒にコインを二枚投げ入れて欲しい……!」

 

 そう言ってベルはヤンアルの手にコインを三枚握らせた。その間もベルはヤンアルの顔から眼を逸らさない。ベルの眼力めぢからに屈したヤンアルの頬がみるみるうちに赤く染まっていく。

 

「……い、一枚じゃ駄目か……?」

「断りたいなら三枚投げ入れるといい。それで俺は納得する」

「……三枚投げるとどうなるんだ……?」

「三枚投げ入れると、『恋人や結婚相手と別れることが出来る』そうだ」

「…………!」

 

 ベルの決意を聞いたヤンアルの全身が硬直した。

 

「……安心してくれ。もし断られたとしてもキミを放り出したりはしない。友人として家族として、キミの記憶が戻る手伝いは続ける」

「わ、私はそんなことは気に————」

 

 その時、一陣の風が吹いてヤンアルの帽子をさらってしまった。

 

「あっ」

「————俺が行く! キミはここで待っていてくれ」

 

 言うが早いかベルは人混みを掻き分けて飛ばされた帽子を追って行った。

 

 ヤンアルはその背中を眼で追いながら自らの気持ちを整理していた。

 

(……私はベルのことが異性として好きだ。その気持ちは今はっきりと理解できた。でも、時折頭に浮かんでくる『あの男』の存在もベルと同じかそれ以上に————)

 

 そんなことを考えていると、遠くの方からベルの声が聞こえてきた。

 

「————ヤンアル! 帽子拾えたよ! 今そっちに————」

 

 ヤンアルが顔を上げた時、笑顔で駆け寄ろうとするベルの身体に通行人が軽くぶつかった。それは人混みの中ではよくあるなんと言うこともない軽い接触だったが、ベルの口から続く言葉は吐き出されず、その身体は人混みの中に紛れて見えなくなってしまった。

 

「……ベル……⁉︎」

 

 何か言い知れぬ異変を感じ取ったヤンアルはベルの居たところへ行こうとしたが、人混みが邪魔をして満足に進むことが出来ない。

 

「……どいてくれ、どいて————どけえッ‼︎」

 

 苛立ったヤンアルが怒号を上げたと同時にそれ以上の悲鳴が広場に響き渡った。

 

「————キャアァァァァァッ‼︎」

 

 力ずくで人混みを掻き分けたヤンアルの瞳に映ったものは、自らの流した血海の中で静かに横たわるベルの姿であった————。

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